家族関係の変化
伝統的に理想とされてきたのは、三世代同居の家族形態でした。しかし1960年代からの産業化と都市化の進展はアパートでの核家族の居住を一般化させました。地方の小さな町にもアパートが建ち、近隣の村の若い夫婦たちが居住しています。1980年代までは都市に出た人でも祭祀(チェサ)などの際には故郷に帰るのが一般的であり、都市に暮らす人と農村に暮らす人との間の交流がみられ、常に関係が確認されました。
しかし最近では、祭祀の場に参加する人々は減少しており、門中などの親族の結束も弱体化してきています。しかし人間関係自体が希薄化しているかというとそうは言い切れないのです。かえって携帯電話をはじめとする通信機器の発達は、人間関係の維持にも大きな役割を果たしており、世界中のどこにいても身近にいることを確認できます。
核家族化は、家族の人数の減少ももたらしています。1995年には家族の人数は3.3人にまで減少しています。この背景には女性の社会進出があります。また近年では離婚率が高くなっており、さまざまな問題が引き起こされています。
家族観のゆらぎ
韓国では、男性の側により重心をおく構造に変わりはないようにみえました。しかし女性側から要求として出されていた「戸主制」廃止論が力を持つようになってきており、変化がみられます。
「戸主制」は日本の植民地期に日本の家をモデルとして制度化されたもので、数度の改編を経ながら存続してきています。「戸主制」では戸主の地位の景勝が男系優位であること、家族の範囲を戸主の戸籍の範囲内としていること、子供の姓は父親の姓であることなどの特徴がみられます。離婚の急増で問題となっているのは子供は実父の姓を受け継ぎ、犠牲を名乗ることができないため、さまざまな不利益をこうむる点です。子供に実父以外の姓を名乗らせようとする運動は父系主義を真っ向から対立するものです。
「戸主制」廃止については、保守勢力からの反発は強いですが、若い世代を中心に楊ミンする雰囲気があり、近い将来改編される可能性が高いです。廃止されると、朝鮮王朝以来続いてきた父系主義が否定されることになります。その結果多くの問題が引き起こされるのか、逆に社会が変化したために制度が変えられただけのことで大きな問題とならないかは興味深いところです。
ナショナリズムと移民
2002年、日本と韓国とで共催されたサッカーのワールドカップ大会は、韓国チームの活躍もあり韓国では街中に応援の人々があふれました。そこでは「大韓民国(テハーン・ミングック)」が合唱され、熱烈な応援とナショナリズムが世界の人々の関心をよびました。韓国はナショナリズムがよく表明される社会でもあります。また近年の若い世代の反米感情の高まりのなかでは、北朝鮮と一体化した民族というナショナリズムもみられ、2001年末の大統領選挙では、北朝鮮との宥和政策をかかげた盧武鉉(ノ・ムヒョン)を大統領としました。
一方でその同じ世代が国を離れて移民を希望したり、また実際に移民していったりしています。理由は子供の教育問題のためで、韓国内の苛烈な受験競争を避けての移民です。韓国では移民は特別珍しいことではありません。父系血縁意識が強かったので、どこにいても自分自身のアイデンティティは変わらないと思われてきました。しかし、社会の変化とともに薄らぎつつある父系血縁意識は、韓国人のアイデンティティをどう変えていくのか注目されます。