十日晴れ。卯の刻過ぎに立ち出ず。
二丁行けば堀畑村。農家三十軒ばかりあり。五丁ばかり行けば西は出石領、東は御公領(天領)という領地境の表あり。
これより大川(円山川)の岸を通って二十丁ばかり行けば
門は
さて、大道を帰って五、六丁行けば、薮崎村(養父宿よりここまでニ五丁)。
人家四、五十軒。茶屋、宿屋あり。村のはずれより左へ行けば因州(因幡)道、右へ行けば湯ノ島道なり。一丁ばかり行けば大屋川。幅六、七十間もあるべし。夏秋の間は歩いて渡るも、冬春は舟にて渡すという。(中略)
六、七丁行けば
十丁ばかり行けば小田村。(網場よりここまで二十丁)人家四、五十軒。茶屋ありて宿屋なし。まっすぐに行けば出石の城下小出家へ。左の方湯ノ島の道にかかって三丁ばかり行く間に人家百軒ばかり立ち続くなり。また行けば下小田村。農家五十軒ばかりあり。これよりいささか上りありの坂を越えて五丁ばかり行けば江の宮(今の寄宮)村。農家ニ、三十軒あり。冬春はここより湯島へ渡る舟あり。夏秋は水浅きによりて渡さずという。二丁ばかり行けば、宿南村。農家三、四十軒。村はずれに茶屋のあるに立ち入り暫し休んで平道五、六丁行けば、左は岩山。右は気多川(円山川の気多郡内流域の名)にゆく。岩山の裾の川岸の上をば小坂を上り下りつつ行く足いと痛し。この間を
十丁ばかり行けば浅倉村。農家五、六十軒。茶屋一軒あり。村の出口に滝中(岩中)川となり。幅十間ばかりの川あると歩いて渡る。
*1丁(1町)=約109.09m、1里=約3927.2m *変体仮名、続き文字等で難解な箇所は□で記す 『筑紫紀行』巻1-10 巻9 吉田 重房(菱屋翁) 著 名古屋(尾張) : 東壁堂 文化3[1806] /早稲田大学図書館ホームページより