【日本神話】 第3巻「出雲編」 第1章 ヤマタノオロチ

乱暴な所業で高天原を追われたスサノオは、鳥髪(とりかみ)といわれる出雲の船通山(せんつうざん)に降り立ちました。

すると上流から箸(はし)が流れて来るではありませんか。川上に人が住んでいるのだろうと、スサノオは川沿いに上っていきました。

そこには、クシナダヒメ(『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫)という美しい娘をはさんでアシナヅチとテナヅチ(『古事記』では足名椎命・手名椎命)という年老いた両親が泣いていたのです。

わけを尋ねると、その両親には8人の娘がいたのですが、毎年ヤマタノオロチ(『古事記』では八俣遠呂智、『日本書紀』では八岐大蛇)に1人ずつ食べられて、いよいよ最後の1人が食べられる時期になったというのです。それでスサノオが、どんどん上っていくと、老夫婦が若い女を中において泣いていました。

「なせ泣いているのです?」
「私たちはもともと8人の娘がおりましたが、毎年恐ろしいオロチがやってきて1人ずつ食べてしまい、今ではこのクシナダヒメだけになりました。今年もそろそろオロチがやって来る頃となりましたので、それが悲しくて泣いているのです」

とアシナヅチは答えました。

「して、そのオロチとはどんなもの?」
「はい、ヤマタノオロチは、目はホオズキのように赤く、からだ一つに八つの頭と八つの尾を持ち、その長さは八つの谷と八つの尾根を越える恐ろしい姿をしている。」というのです。

スサノオはしばらく考えてから言いました。

「よし、私がオロチを退治してあげよう。その代わり、クシナダヒメを私の妻にくださらぬか」 心ひかれた美しいクシナダヒメとの結婚の約束をとりつけ、オロチ退治を決心したのでした。

そこでスサノオは、クシナダヒメを小さな櫛に変えて自分の髪に差しこみました。

アシナヅチとテナヅチに頼んで、垣根で八つの門を作らせ、門ごとに八つの樽に強い酒を用意させました。

「そなたたちはすぐに強い酒を造ってください。そして、オロチの来そうなところへ柵を廻らせ、8つの入り口と8つの柵を作り、くだんの酒を満たした桶を置いておきなさい」

老夫婦は早速準備をしました。

やがてオロチが物凄い地響きを立てながらやってきて、好物の酒をガブガブ飲み、酔いつぶれて眠ってしまいました。

スサノオはここぞと剣を取り出し、今がチャンスと酔っぱらったオロチに向かっていきました。

とうとうスサノオはオロチの息の根を止めたのです。その後オロチをずたずたに切り刻んだところ、尾から立派な剣が出てきました。

スサノオが取り出した剣は、アメノムラクモの剣(天叢雲剣、別名 草薙剣(日本書紀)・草那芸之大刀(古事記))といい、スサノオノは見たことのないこの剣は、自分が持っているより姉のアマテラスにこそふさわしい剣だろうと、アマテラスに献上しました。

この剣は、後に草薙の剣(くさなぎのつるぎ)といわれ、今も伝えられる三種の神器の一つといわれています。

激しい闘いが終わったとき、スサノオは約束どおりクシナダヒメと結婚し、新居の地を探し歩きました。

そして、最適の地を見つけ、
「わが心清々し」
と叫んだので、その地は須賀(すが)と呼ばれるようになりました。

新居が出来あがると、あたりから美しい雲が湧き上がってきました。喜んだスサノオは思わず歌を詠みました。

日本で最初といわれる
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに
八重垣作る その八重垣を」
という和歌を詠み、幸せに暮らしました。

やがて子孫に、オオクニヌシ(大国主)(大国主命)が誕生するのです。

[註]

神楽でおなじみの、あの壮絶な死闘のシーンは、『古事記』にも、『日本書紀』にも書かれていない。だが、名だたる怪獣オロチが、寝込みを襲われて、易やすと殺されることはなかったろう)
スサノオの力強さ、優しさ、そして善神ぶりが、生きいきと描かれています。出雲では、スサノオはオオクニヌシ(大国主)と並んで人気絶大です。

クシナダヒメ…
稲田の神として信仰されており、
廣峯神社(兵庫県姫路市)、
氷川神社(さいたま市大宮区)、
須佐神社(島根県出雲市)、
八重垣神社(島根県松江市)、
須我神社(島根県雲南市)、
八坂神社(京都市東山区)、
櫛田神社(富山県射水市)、
櫛田宮(佐賀県神埼市)
のほか、各地の氷川神社で祀られている。多くの神社では、夫のスサノオや子孫(又は子)の大国主などと共に祀られている。

引用:社団法人島根県観光連盟・島根県観光振興課
ウィキペディア 2009/09/06

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