スサノオ(素盞嗚尊)は、オオヤマツミ(大山祇命)の娘、カムオオイチ(神大市姫命)を妻にし、
オオトシ(大年神)・ウカノミタマ(蒼稲魂神)をお生みになられる。
スサノオはオオトシに命じて、二方の地を開かせ、蒼稲魂神に命じて、
ツヌゴリタマ(角凝魂神)の娘、カムミズヒメ(神水姫命)を妻にし、ウシロミタマ(牛知御魂神)を生む。
時にタカミムスビ(高皇産霊神)の子、
またその地方を伊佐布御原という。いま
伊佐布魂神は
(式内伊曾布神社:美方郡香美町村岡区味取字神町880-2)
式内小代神社:美方郡香美町小代区秋岡995)
時に
(鳴尾は今の奈良尾。明治22年まで七美郡奈良尾村、昭和31年まで美方郡熊次村、のち養父郡関宮町、平成16年より養父市)
大己貴命は
また鳴尾魔志牢が駆け出す地を称して駆場という。いま駆原場というのはこれである。(現在の養父市川原場)
後世この地方にて怪異なことがあれば、荒御魂神を勧請するのはこれによる。
(荒霊神社:養父市川原場206、荒霊神社:養父市外野334)
第1代神武天皇3年(前658年)5月 大年神の子、香山富命を伊曾布県主とする。香山富命は、牛知御魂神の娘、実山姫命を妻にし、長須毘古命を生む。(一に事知主命)
41年夏6月 香山富命の子、香山主命を伊曾布県主とする。(香山は
第2代
第2代綏靖天皇7年(前575年)春3月 香山富命の子、長須毘古命を伊曾布県主とする。
長須毘古命は、長井田中命の娘、長井姫を妻にし、
第4代
勢主山彦命は、熊波彦命の娘、大熊姫命を妻にし、
第5代孝昭天皇42年(前434年)3月 勢主山彦命の子、真流美若命を伊曾布県主とする。(真流美は今の丸味)
真流美若命は、大沼毘古命の娘、
第6代孝安天皇40年(前353年)6月 真流美若命の子、射弖良大彦命を伊曾布県主とする。(
射弖良大彦命は、久須彦命の娘、久須美毘売命を妻にし、
第7代孝霊天皇30年(前261年)6月 射弖良大彦命の子、意富努賀刀米命を伊曾布県主とする。(大沼・意富努は大野の異体字)
意富努賀刀米命は、
第8代孝元天皇35年(前180年)4月 意富努賀刀米命はの子、弖良賀和比遅命を伊曾布県主とする。
弖良賀和比遅命は、
第9代開化天皇40年(前118年)6月 弖良賀和比遅命の子、黒田大彦命を伊曾布県主とする。
黒田大彦命は、森狭田津命の娘、八井富姫命を妻にし、
(森狭田は今の森脇、八井は八井谷、丹戸は明治22年まで七美郡丹戸村、昭和31年まで美方郡熊次村、のち養父郡関宮町、平成16年より養父市)
第11代垂仁天皇5年(前25年)7月 黒田大彦命の子、丹戸真若命を伊曾布県主とする。
丹戸真若命は、大雲刀美命の娘、佐々津姫命を妻にし、
第12代景行天皇3年(73年)3月 丹戸真若命の子、奈志賀波良命を伊曾布県主とする。
奈志賀波良命は、草比遅毘古命の娘、大草毘売命を妻にし、布久佐毘古命を生む。
(奈志賀波良は今の養父市梨ケ原、草比遅は養父市草出、布久佐は養父市福定か?明治22年まで七美郡、昭和31年まで美方郡熊次村、のち養父郡関宮町、平成16年より養父市)
第13代
布久佐毘古命は、二方滝田彦命の娘、滝中毘売命を妻にし、若須彦命を生む。
神功皇后32年(232年)7月 崇神天皇の皇子、
多他毘古命は、気多県主、多他別命の御子である。多他毘古命は、黄沼前県主、賀津日方建田脊命の娘、大山毘売命を妻にし、
第16代仁徳天皇10年(322年)7月 多遅麻国伊曾布県を改め、志都美郡とし、多他毘古命の子、志都美毘古命を志都美郡司(*2)とする。
志都美毘古命は、府(郡家)を板石野原に置く。志都美毘古命は、美含郡司竹野別河原命の娘、花香姫命を妻にし、志都美若彦命を生む。
15年4月 志都美毘古命は、多他毘古命を小代の丘に祀り、多他神社と申しまつる。(式内多他神社:美方郡香美町小代区忠宮136)
第18代反正天皇2年(407年)正月 志都美毘古命の子、志都美稚彦命を志都美郡司とする。
志都美稚彦命は志都美毘古命を板石野原に祀る。(村社郡主神社:美方郡香美町村岡区板仕野1)
志都美稚彦命は、二方国造 陽口開別命の娘、乳原毘売命を妻にし、神阪中津彦命を生む。
第20代安康天皇2年(455年)6月 志都美稚彦命の子、神阪中津彦命を志都美郡司とする。
神阪中津彦命は、志都美稚彦命を萩山に祀る。(村社天満神社:美方郡香美町村岡区神坂248)
第25代武烈天皇4年(502年)夏6月 孝霊天皇の皇子、彦狭島命の末裔、宇自可臣幸世を七美郡司とする。
幸世は宇自可郷を開く。いま
(現在の美方郡香美町村岡区福岡地区。以降兎塚・兎束とあるが同じ。原文を尊重するのでそのままとする。)
第30代敏達天皇3年(574年)秋7月 宇自可臣幸世の子孫、狭立を七美郡司とする。
狭立はその祖、彦狭島命を兎束の丘に祀り、高阪神社と申しまつる。(式内高阪神社:美方郡香美町村岡区高坂165-1)
第37代孝徳天皇の大化3年(647年)秋7月 孝昭天皇の皇子、天帯彦国押人命の末裔、小黒冠岡首黒野麿を七美郡司とする。(岡とはのちの村岡)
岡首黒野麿はその祖、天帯彦国押人命を七美村に祀り、黒野神社と称えまつる。(黒野神社 式内志都美神社2座:香美町村岡区村岡字宮ノ脇723)
第40代天武天皇の白凰12年(683年)夏5月 七美郡司黒野麿は、勅を受け、兵馬器械を備え、武事を講習する。兵庫(*3)を小代村に設け、兵器を納める。
葦田首刀伎雄を召し、刀剣鉾鏃を作らせ、
楯縫連楯彦を召し、楯・甲冑を縫わせ、
矢作連速鷹を召し、弓矢を作らせる。
黒野麿は、兵主神を兵庫に祀り、兵庫の守護神とする。
葦田首刀伎雄はその祖、天目一箇命を鍛冶の丘に祀り、葦田神社と申しまつる。
楯縫連楯彦はその祖、彦狭知命を楯縫の丘に祀り、楯縫神社と申しまつる。
矢作連速鷹はその祖、経津主命を矢作の丘に祀り、矢作神社と申しまつる。
第41代持統天皇5年夏6月 岡首黒野麿の子、広進四・岡首用野麿を七美郡司とする。
第42代文武天皇の大宝2年(702年)春3月 鹿田首道麿を主政に任じ、高家首菟道麿を主帳に任じ、共に大初位上(*4)を授かる。
郡司岡首用野麿を大領に任じ、従八位上を授く。
鹿田首道麿はその祖、雷大臣命を鹿田の丘に祀り、鹿田神社と申しまつる。(村社二柱神社:美方郡香美町村岡区村岡63-2鹿田区)
高家首菟道麿はその祖、天道根命を高井の丘に祀り、高井神社と申しまつる。(村社高井神社:美方郡香美町村岡区高井185)
第47代淡路廃帝(淳仁天皇)天平宝宇4年(760年)冬10月 従八位上・岡首用野麿の子、広野麿を大領に任じ、従八位下を授く。
熊野連吉射を主政に任じ、大初位上を授け、
耀山首丹磯城を主帳に任じ、少初位上を授く。
熊野連吉射はその祖、
耀山首丹磯城はその祖、
第53代淳和天皇の天長4年(827年)冬12月 正八位下・豊日連伊知井を大領に任ずる。(豊日は今の市原)
豊日連伊知井はその祖、物部連豊日命を市原の丘に祀り、等余神社と称えまつる。(式内等余神社:美方郡香美町村岡区市原字豊田497-2)
天長5年(828年)夏5月 江首琢麿を主政に任じ、大初位上を授く。
山代直都自麿を主帳に任じ、少初位上を授く。
江首琢麿はその祖、久米津彦命を入江の丘に祀り、江神社と申しまつる。(江は今の入江。村社入江神社:美方郡香美町村岡区入江1669-2)
山代直都自麿はその祖、天御影命を兎束の丘に祀り、天御影神社と申しまつる。(村社八幡神社:香美町村岡区福岡216-1)
第59代宇多天皇の寛平2年(890年)夏5月 伊知井の子、正八位上・豊日連高井を大領に任ずる。
兎束臣義麿を主政に任じ、従八位下を授け、長巣(今の長須)村主(*5)正恵を主帳に任じ、大初位下を授く。
長巣村主正恵はその祖、天事代主命を長巣の丘に祀る。(村社長須神社:美方郡香美町村岡区長須340-2)
第61代朱雀天皇の承平5年(935年)秋7月 義麿の子、従八位上・兎束臣百足を大領に任ずる。
江首長麿を主政に任じ、大初位上を授け、豊日連長井を主帳に任じ、少初位上を授く。
兎束臣百足は、江首長麿・豊日連長井に命じ、神社神名帳を作らせ、郷社に納める。
(式内社8社・式外社11社 記載は省く)
右 国司の解状により、これを(但馬国府の国学寮へ)注進する。
七美大領・従八位上 兎束臣百足
天徳3年(959年)8月15日
[註]
*1
『国司文書別記 但馬郷名記抄』によると、七美郡駅家郷鳴尾村
鳴尾真志良潜居の地なり。八千矛神はこれを駆り出し、真志良は草に隠ったので、その地を「隠原」という。この隠原に火を放ち、これを焼いた。その地を「火出野」という(いま外野あり)。真志良は火を恐れて、森林より出てきたので「草出」という。八千矛神は真志良を征伐した。その地を鳴尾の多波礼山という。
後世当地方で怪異あれば、すなわち荒御魂神を勧請するはこの因に依る。
おそらく野生ザルか獣だろう。鉢伏山西麓の香美町小代区
*2 郡司、大領・少領・主政・主帳 大宝令により、評が廃止されて郡が置かれ、郡司として大領・少領・主政・主帳の四等官に整備される。郡司は、旧国造などの地方豪族が世襲的に任命され、任期のない終身官。郡司として記す場合は大領または少領のことである。
*3 兵庫(やぐら) 櫓(やぐら)とは日本の古代よりの構造物・建造物、または構造などの呼称。矢倉、矢蔵、兵庫などの字も当てられる。 木材などを高く積み上げた仮設や常設の建築物や構造物。
*4 大初位(だいしょい、だいそい) 律令制の官職の位階における位の一つ。正一位から少初位下までの従八位(または従九位)の下、少初位の上の位階である。
*5 村主(スグリ) 帰化人で、中国大陸および三韓に出自を持つ渡来人系氏族の姓(かばね)の一つ。古代朝鮮語の郷,村を意味するsu‐kur(足流)という語に由来する。
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