はるか太古のむかしより、温泉の郷として親しまれている「城崎温泉」。舒明天皇(在位629年?641年)の時代に、コウノトリが傷を癒した伝説がある。コウノトリが足の傷を癒したといわれる城崎温泉最古の湯です。庭園風呂(露天風呂)もあり、山に囲まれているので自然に囲まれた森林浴風呂という楽しみ方もできます。
山の湯風をとり入れた素朴な様式の建築で町の奥深く街路から離れた閑静な湯。川べりの柳が風情ある散策をかねた七つの外湯めぐりが楽しめます。知名度と京阪神からのアクセスの良さにもかかわらず、歓楽色の少ない静かな情緒が特徴です。
夏は海水浴、冬はカニ料理に人気があります。城崎温泉駅にもさとの湯(駅舎にある温泉)や足湯、飲泉場があります。足湯や飲泉場が温泉街各所にある。外湯は、「鴻の湯」・「まんだら湯」・「御所の湯」・「一の湯」・「地蔵湯」・「柳湯」・「さとの湯」 の7箇所。
城崎では浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われている。温泉街には「ゆかたご意見番」という掲示をした店が多く、浴衣が着崩れたりした時に対応する。浴衣の模様で旅館が分かるとその旅館の下駄を差し出す下足番もいる。色鮮やかな浴衣を貸し出す旅館も多い。
また温泉郷に設置されている7ヶ所の外湯では観光客向けに当日最初の入湯者に一番札を配布しています。
泉質:ナトリウム・カルシウム・塩化物・高温泉、効能:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・疲労回復・慢性婦人病ほか。
歴史
舒明天皇(在位629年~641年)の時代に、コウノトリが傷を癒した伝説がある。「鴻の湯」の伝説。
養老元年717年から養老四年720年、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したことが城崎温泉のはじまり。(現在のまんだら湯)道智上人は温泉寺開山でもある。温泉寺は以後、城崎温泉の社会的中心になる。
平安時代になり、「城崎温泉」が広く知られるようになりました。
鎌倉時代嘉禄2年(1226年) 、藤原定家が「名月記」7月2日の条に記しています。
文永4年(1267年)、「木崎湯治」、安嘉門院が入湯した湯を「御所の湯」といいました。
江戸時代の温泉番付によると西の関脇(最高位は大関)にランクされる。ライバルの有馬温泉は西の大関。江戸時代の外湯の元になった湯壷は9つあった。
幕末に桂小五郎(木戸孝允が)が新撰組に追われて出石・城崎温泉に潜伏していたことがあった。
江戸時代の城崎温泉はすでに遊技場のほか、食べ物屋は鍋焼き、ぜんざい、うどん、そばなどがある。果物、魚、鳥も各地から運ばれフグ、タコ、カモと何でも手に入った。
貸し物屋では三味線、すごろく、碁、琵琶、琴、さらに、槍や刀まで貸してくれていた。このように、客が帰るのを忘れさすほどもてなした。城崎温泉には、近郊の藩主や藩士が多数訪れたにぎわった。
大正2年(1913年)、志賀直哉が来遊し、大正6年(1917年)、「城の崎にて」を発表。
城崎を訪れた文人たち
有島武郎、泉鏡花、京極杞陽、斎藤茂吉、志賀直哉、白鳥省吾、柴野栗山、司馬遼太郎、島崎藤村、沢庵、田中冬二、徳富蘇峰、山口誓子、吉井勇、徳富蘆花、富田砕花、日野草城、藤原兼輔、前川佐美雄、向井去来、柳田國男、吉田兼好、与謝野晶子、与謝野寛など
見どころ
社寺 – 温泉寺、四所神社、極楽寺
博物館 – 城崎美術館、城崎文芸館、太田垣士郎資料館、城崎麦わら細工伝承館
日和山・城崎マリンワールド、兵庫県立円山川公苑、自然 玄武洞、来日岳、竹野浜、神鍋高原
2008年7月、木屋町通りと四所神社を結ぶ小路に木屋町小路がオープン。
ローカルキャラクター
* 松葉カニの ジョーくん(弟)、サキちゃん(姉) * コウノトリの 翔君、舞ちゃん (夫婦) * 城崎泉隊オンセンジャー
アクセス
鉄道…JR山陰本線城崎温泉駅下車すぐ。かにカニエクスプレス
バス…大阪・神戸から全但特急バス「かに王国号」で城崎温泉駅または城崎温泉下車
飛行機
羽田~(日本航空)~伊丹~(日本エアコミューター)~コウノトリ但馬空港
コウノトリ但馬行きは日本航空東京便と連絡。コウノトリ但馬空港からは空港連絡バス40分で城崎温泉。
その他…冬は山陰名物松葉ガニ(ズワイガニ)の料理を組み入れたツアーが設定されている。
引用:城崎温泉観光協会