日本の国家と地方自治
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3.君主制と共和制
君主制(英:Monarchy)は君主が支配する統治形態(政体)です。君主政とも言います。連邦は、複数の国家、またはそれに相当する強い行政上の権限を有する政府によって統治される州の集合であり、それらが1つの上位政府によって統治される国家様態です。中央政府から距離を取り連邦制を主張または擁護する立場を連邦主義といいます。
これに対して、共和制(英:republic)は、国家に君主を置かない政体。君主制に対置される概念です。共和政ともいいます。共和制を取る国家のことを共和国といいまう。また、共和制を国家のあるべき姿だとする思想のことを「共和主義」といいます。一般に共和制では、国家の元首は君主ではなく、国民により選出されます。
4.連邦制と単一国家
地域間の民族的相違や国家の大きさなどを考慮して権力を分立させる考え方であり、その現実の形が「連邦制」です。州(アメリカ合衆国)、ラント(ドイツ連邦共和国)、共和国(ロシア連邦)などと呼ばれるいくつかの支分国が集まり、一つの主権国家を構成しますが、その際に中央政府への過度の権力集中を防止するために、中央政府と地方政府との間の合意に基づいて、憲法において両者の間の権限分配に関して明確に規定しています。ただし中央政府と地方政府との間で権力の衝突があるような場合には、中央政府が優越するという原則があります。
主権が中央政府と政治的構成単位(州や地方など)との間に分割され、多くの場合連邦と呼ばれる体制を形作るような政体。とりわけ広大な国家や多民族国家など、地域的、民族的、また歴史的な多様性が見られる場合には、連邦制は対外的統一性と、国内的な分権性という両立させることができる制度であると考えられるため、採用されることが多いもの。対外的な、主として外交・国防部門での強固な統一性と、国内的な、主として民政部門での各構成単位の確固とした独立性の留保が、矛盾なく両立されることが目指されます。アメリカ合衆国、アラブ首長国連邦、ドイツ連邦共和国など、連邦制を敷いている国家は、地方分権的傾向が大きいとされています。また広義では現在のヨーロッパ連合(E.U.)の強い連邦政府(中央政府)と弱い国家政府を指します。
比較的領土の大きな国や、歴史的に数多くの君主国や都市国家が並立していた時代が長かった(ドイツなど)、革命の過程で誕生した多民族国家が統合したソビエト連邦などなどで(ソビエト連邦はロシア連邦に)、他には2つの主権国家が統合して1つの国家となったアラブ連合共和国、英国の植民地であった13州が統合したアメリカ合衆国など、連邦国家には幾多もの成り立ちがあります。ただし、国によっては連邦制が形骸化している場合があります(アルゼンチンなど)。このような連邦制では、基本的に国家としての立法権や執行権及び司法権はすべて中央政府に集中されており、それに対して、場合によっては中央政府の意志として国家機能の一部が地方政府に委譲されているような国家を「単一国家」と呼びます。例としてはイギリスやフランスであり、日本もそのような単一国家として分類されます。
歴史的には連邦国家においても中央政府の権力の拡大という現象が見られました。しかし今日では連邦国家か単一国家かに関わらず、参加民主主義への指向や各地方の住民のニーズの多様化、行政の効率化などに対応する形で、地方分権の流れが一般的となっています。
5.立憲主義
民主化の程度の高い国においては、統治に当たる者の権力行使を防止し、国民の権利と生活を守るための仕組みとして、代議制を駆動させる両輪として、選挙制度と政党があります。この他にも権力行使を抑制する制度としてまず、近代国家の最も基本的な仕組みが立憲主義です。憲法をはじめとした法による制限を通じて、統治者による権力行使を防止し、個人の権利や自由を擁護しようというものです。立憲主義の歴史は、1215年、イギリスで制定されたマグナカルタにはじまるとされています。それ以降、世界で最初の現代的民主国家であるアメリカ合衆国の独立宣言(1776年)や絶対王政を打倒したフランスの人権宣言(1789年)などによって、民衆によって選出された指導者によるワンマンな権力行使を抑制する近代的な立憲主義が確立していきました。
さらに、権力を分立させて相互に抑制と均衡の役割を担わせる仕組みが。いわゆる「三権分立」です。国家の主要な統治機構としての立法府、行政府、司法府の三つですが、それぞれ異なった人間や党派に担当させることによって、多数派による少数派に対する横暴を防ごうという狙いもあります。
立法府は国権の最高機関ですが、世界の多くの国は「一院制」であり、日本のように「二院制」を採用している国の2倍弱の約120ヶ国です。
フランス革命の指導者の一人であるアベ・シェイエスは、1789年に二院制を否定する言葉を残しています。
「第二院は何の役に立つか。もし第二院が第一院に一致するならば、それは無用な存在であり、第一院に反対するならば有害な存在である。」
というものです。平民である第三身分の立場を擁護するシェイエスにとって、第三身分こそがすべてであったのであり、人民主義を代表する議員に対しては何らかの抑制も加えられるべきではないと考えていたからです。
しかし、立法府を二つの院で構成することにも一定の合理性があります。モンテスキューも立法府を二院制で構成することを主張しました。優れた少数派としての貴族と多数派としての人民といった階級的な差異を反映した二院制によって、少数者に対する多数者による権力濫用に対して一定の抑制を施す仕組みということで、今日このイギリスの「貴族院型」と呼ばれる、選挙によって選ばれる代表によって構成される庶民院(下院)の方の権限が、王による勅撰で選ばれる議員によって構成される貴族院(上院)よりも強い。
この貴族院型に対して、権力の濫用防止といった観点だけでなく、慎重な審議や第二の見解の用意といった観点から第二院が存在している場合もあります。これを「参議院型」と呼び、両院の議員が国民の直接選挙で選ばれる場合には、その権限は比較的に対等です。日本がその例です。衆議院の優越がいわれていますが、予算案の決議、条約の批准、首班指名を除いて通常法案においては両院はほぼ対等な関係にあります。
二院制はさらに連邦制型と呼ばれる形態も存在します。アメリカがその典型で、国民を代表する院が下院であり、各州の利益を代表する院が上院です。
2.日本の政府
日本は天皇を君主とし議院内閣制の立憲君主国になります。国家に君主を置かず、国家の元首は国民から選ばれる(大統領など)政体である共和制国家とは異なります。対外的な、主として外交・国防部門での強固な統一性と、国内的な、主として民政部門での各構成単位の確固とした独立性の留保が、矛盾なく両立されることが目指されます。
地方分権とは、特に政治や行政において、国家権力を地方自治体に移して分散させる体制を指す。政治・行政以外の組織体では、分権組織と呼ぶ場合もある。対義語は中央集権。
日本において中央集権国家が成立した時期は、律令制の時代や明治維新の時代が代表的です。
律令制によって朝廷は中央集権化を目指しましたが、荘園制度の崩壊から平安時代の終わりころには国府は衰えて守護大名が台頭支配しています。
江戸時代の日本は、幕府という中央政府は存在するが、藩という「地方王国」に権限が下ろされていました。ただし、藩の大名は、参勤交代による江戸への出張や、幕府の公共事業への強制的な出費や参加も命じられており、半ば中央統制的な面も有していました。明治維新で廃藩置県が実施されると、強固な中央集権体制を作り上げ、135年が経った現在も変わっていません。2000年施行の地方分権一括法では、機関委任事務が廃止され、国家と地方公共団体が名目上では対等な関係とされています。しかし、中央政府主導で基礎自治体を合併させるなど、上から強制する姿勢で、「地方自治」と相容れない現象も起きています。