日本の技術輸出の第1号 上垣 守国 「養蚕秘録」

養父市蔵垣に生まれた上垣守国は、当時、粗悪な繭しか生産できなかった三丹地方の養蚕の品質改良に取り組み、養蚕技術を広める。著書「養蚕秘録」は翻訳され、日本の技術輸出の第1号となる。

1770年(明和7年)、若干18歳の時に奥州の福島に赴き、蚕種(蚕の卵)を購入し研究したことに始まる。やがて守国は、増やした蚕種三丹地方に広め、餌の桑園の技術指導なども熱心に実行し、養蚕業の隆盛に大きな功績を残した。

長年の養蚕研究の集大成として48歳の時に発行したのが、「養蚕秘録」(全3巻)である。翌年には京都、大阪、江戸でも発行され、その技術は全国に広まった。オランダの王室通訳官であったホフマンによって、フランス語に訳され、ヨーロッパの養蚕技術にも影響を与えたとされ、伝染病で壊滅状態のフランス養蚕を救った。「日本の技術輸出第1号」ともいわれている。

正垣半兵衛

養父市大屋町
新しい蚕種を但馬各地に普及。
小倉寛一郎
養父市大屋町
養蚕製糸業の近代化に努力。大屋町で明治期に工場開設。
養蚕業は三丹地方にグンゼなど、群馬、長野岡谷と並ぶ一大製糸産業地域となり、近代化殖産事業として対米輸出始動の役割を果たした。

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