若水古墳群A11号墓・若水城跡
写真:兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所
朝来市山東町一品
同遺跡は、粟鹿神社の西側の小さな山塊。『若水城跡』は、山塊の最高所を中心に展開する城跡であり、本城跡は、北方から南下してくる山名氏の軍勢をいち早く察知できる唯一の場所であり、竹田城への東からの谷口を押さえる重要な位置にあることが分かります。天正5年(1577)あるいは天正8年(1580)に、羽柴秀吉(実際には弟の秀長)が但馬侵攻に際して造った陣城と考えることができるそうです。
若水A11号墓は、直径40m、高さ5mを誇る円形の墳丘墓(古墳?)です。直径20m~25mの広さをもつ墳頂の平坦面からは、2つの埋葬施設が発見されました。木棺の両端に石を積むという構造で、似た例としては舞鶴市川向古墳群がありますが、全国的に見ても他には例がありません。第1主体部は10m×5mの大きさの墓穴の中に、長さ約6m、幅約80cmの木棺を納めています。遺物は、鏡(飛禽鏡:ひきんきょう)が1面、漆塗り木製品(容器?)、鉄製品(鉄鏃?)が出土しています。木棺の形態は、円筒形の形をもつ「割竹形(わりたけがた)木棺」の可能性を現在のところ考えています。出土した飛禽鏡(ひきんきょう)は、全国的にみても9例しか存在しておらず、また中国大陸、朝鮮半島でも10数例程度しか確認しておりません。日本での確認例は、弥生時代末から古墳時代初頭の時期に集中しており、時期を決定する決め手となる遺物があまりない若水A11号墓も、鏡や墓の構造などから、この時期の墳丘墓(古墳)であると考えています。
第2主体部は、6m×3m以上の大きさの墓穴の中に、長さ約5m、幅約60cmの木棺を納めています。遺物は小さなガラス玉(直径2~3mm。その中に穴を空けています)が10点以上出土しています。 木棺の形態は、箱形木棺と考えています。 この埋葬施設で注目すべき点は、木棺の周囲を拳大~人頭大の石で囲み、 底には平坦な石を敷いていることです(礫槨状)。 また、若水古墳群A11号墳は、内行花文鏡という銅鏡2面(1面は飛禽鏡といわれるもので日本で十数例しかない珍しいもの)、鉄製のナイフ(刀子)1点と、直径2~4mm程度のガラス小玉50点以上出土しています。南但馬における最も古い大型古墳で、池田古墳、城の山古墳、茶すり山古墳同様、南但馬の王墓の一つと考えられています。若水古墳群A11号墳は南但馬最古の大型円墳です。