第2回 城郭の歴史と姫路城

姫路城築造には、赤松貞範築城説と黒田重隆築城説がある(後に記述する)。

1.戦国時代の姫路城■天文14年(1545)
黒田重隆、小寺氏の命により御着城から姫路城に移る(御着城の出城(支城)としての姫路城)■永禄4年(1561)
黒田重隆・職隆、城を改修する永禄4年12月・「姫路御構」の存在確認■天正8年(1580)
黒田孝高(官兵衛)、羽柴秀吉に姫路城を勧める
(黒田職隆・孝高父子は、妻鹿国府山城へ)2.羽柴秀吉

姫路城築城

三重の天守築造 天正9年(1581)
中国攻めの拠点としての姫路城…『豊鑑』『播磨鑑』

拙者付記 但馬征伐もおこなう

3.築城最盛期の築城(池田輝政の大改修)

■慶長6年(1601)~14年(1609)
池田輝政が白亜の姫路城を完成(播磨の国主を誇示する姫路城)
・連立式天守構造
5重7階(地上6階・地下1階)の大天守
東・乾・西小天守をイロハニの渡櫓
・総構えの城下町造営

4.姫路城・総構えの城下町

  
■らせん状に三重の堀
■三つの曲輪
・内曲輪(内堀内)…城郭と居館
・中曲輪(中掘内)…侍屋敷
・外曲輪(外堀内)…町家、寺町、侍屋敷・組屋敷

■総構え…城と城下町全体を堀と土塁で囲む
■山陽道を城下町に引き込む

5.武家諸法度下の築城

■本多忠政の御殿築造
元和4年(1618)
西国の藩鎮、西国探題職、幕府を守る姫路城
・西の丸櫓群、中書丸御殿
・御殿群構造
居城(本城)、武蔵野御殿、向屋敷、樹木屋敷(西屋敷)、東屋敷築造

「姫路侍屋敷図」姫路市立城郭研究室蔵

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