小浜歴史探訪 2/6 国宝明通寺(みょうつうじ)(但馬史研究会) 

Kojiyama/ 7月 1, 2010/ 小紀行/ 0 comments

まず我々のバスは、福知山から無料になったばかりの舞鶴若狭自動車道を完成している終点小浜西ICで降り、小浜市内へ。町の中心部は城下町らしくこじんまりしているが、どこの地方都市も同様にシャッター通りと化し活気がない。


JR小浜駅

小浜の東部は昨年、敦賀の気比神宮を尋ねた帰り道に若狭彦・姫神社を尋ねたので大体分かる。若狭地方は福井県だから曹洞宗大本山永平寺が越前のあるので曹洞宗のお寺が多いと思いがちだが、若狭は京都・奈良に近く古くから大陸の玄関口として、また小浜は淡路、伊勢に並ぶ御食国としての交流が深く、曹洞宗よりも真言宗、天台宗の寺院が多いのだそうだ。従って山寺なので建物や仏像がよく残っており、小浜には寺院が多いのも財産。

■明通寺(みょうつうじ)

福井県小浜市門前
真言宗御室派 山号は棡山(ゆずりさん)
ご本尊 薬師如来(重要文化財)

「明通寺縁起」(応安7年・1374年奥書)などによれば、大同元年(806年)、桓武天皇のとき、坂上田村麻呂公が蝦夷征伐に際して創建されたと伝えられる。縁起によると、今の本堂、三重塔は中興の僧頼禅が棟上し、その他鎮守堂、大鳥居など24坊があったと伝えられています。本堂と三重塔は国宝に指定されている。
守護・地頭らの戦勝祈願を繰り返し行うなど、武家と関係を保って寺領を拡大し伽藍整備を行っていきました。


棡橋

駐車場と明通寺の境内を結ぶ赤い橋。下に流れるは松永川。

明通寺略縁起
延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麿公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元(806)年このところに堂塔を創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置したと伝う。
爾来壱千二百年、つねに天下万民の祈願所として、法燈たえることなし。
現存の堂塔は、中興頼禅法印の再建にかかり、地方にありながら中央のものにも劣らぬ優秀な密教建築である。

石段を登ると山門がそびえ立つ。
本堂(国宝)

国宝の本堂は、正嘉2年(1258)に建立された、入母屋造桧皮葺、桁行5間(14.72m)・梁行6間(14.87m)の建物です。屋根の勾配のきつさと、柱と柱の間を幅広くとるなど建築資材の使い方や組み方が豪壮です。武家社会の円熟期の象徴とされる建物です。

平面は桁行(間口)5間(14.72m)、梁間(奥行)6間(14.87m)である(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語)。屋根や隅軒の悠然とした勾配は鎌倉時代の特色を示す。正面側を全て蔀戸(しとみど)とした住宅風の外観をもつ。和様を基調としつつ、内部の構架には禅宗様の要素も取り入れている。堂内は内部空間を内陣と外陣(礼堂)に明確に区画する中世仏堂特有の構成で、寛政11(1799)年に内陣を拡張したとの記録がある。大正12年(1923年)に解体修理。昭和28年(1953年)、国宝に指定。
平安後期作の国指定重要文化財、木造薬師如来像や木造深沙大将立像(像高256.6cm)、木像造降三世明王立像(像高252.4cm)、木像不動明立像(像高161.8cm)が、平安後期の仏像4体が重文となっています。

三重塔(国宝)

三重塔檜皮屋根葺替工事により外観はシートで覆われているが、そのかわりに期間中に限り、三重塔初層内部の公開を行なわれている。これまで三重塔内部(初層部)は、保存維持を目的としているため、一般公開は基本的に行なっておりませんでした。(年に数回のみ風通しのために開けることはありますが、これも天候等の条件に左右されるために告知も行なえませんでした)
今回、約30年に一度の檜皮屋根葺替工事という節目を迎えることと、工事期間中は保存維持に務めながらの公開の条件を整えられることができるため、拝むことができる。今年京都東寺五重塔内部(初層部)の特別拝観もできたし、偶然にも内部公開に恵まれる機会が重なった。
釈迦三尊・阿弥陀三尊像や、現在でも色鮮やかに残る十二天の壁画といった秘仏級の寺宝をご拝観いただけた。
期間/平成22年4月24日~三重塔葺替工事完成まで(晩秋予定)
文永7(1270)年上棟。総高22.12m。和様を基調としているが、初層に拳鼻(こぶしばな、部材の末端部に拳状の装飾彫刻を施したもの)を用いる点に大仏様(だいぶつよう)の要素が現れており、塔に拳鼻を用いた最古例とされている。初層内部は四天柱(仏壇を囲む4本の柱)が立ち、釈迦三尊像と阿弥陀三尊像を安置して仏堂風の扱いとする(心柱は初層天井裏から立つ)。柱や壁には十二天などの絵画を描くが、建立当初のものではない。天文8(1539)年と元禄15(1702)年に、それぞれ修理が行われた。明治27年(1894年)以降、屋根は瓦葺となっていたが、昭和32年(1957年)の修理の際、桧皮葺に戻された。昭和28年(1953年)、本堂とともに国宝指定。明通寺の創建1,200年を記念して、2006年4月から11月まで初層内部が一般公開された。
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