ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」倭寇の実像を探る

/ 10月 26, 2009/ メディア/ 0 comments

観ようと思っていたが、10時からのフジの新番組に気をとられて途中から観た。

ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」

 韓流ブーム以後、民間交流が進んだ日本と韓国だが、いまなお歴史認識は大きな溝となっている。その溝を埋めようと、2002年以来、日韓両政府が主体となり、歴史共同研究プロジェクトが進められている。また、民間レベルでも歴史共通教材が次々と発表され、歴史を共有しようという努力が続けられている。朝鮮半島と日本はどのような関係を築いてきたのか。最新の学術的成果をもとに、古代から現代まで2000年の交流史を2年がかりで通覧する大型シリーズ。

第7回 東シナ海の光と影 ~倭寇の実像を探る~

14世紀、東シナ海に猛威をふるった倭寇。倭寇は単なる海賊ではなく、重武装した騎馬軍団として朝鮮半島の内陸深くまで侵入していたことがわかってきたが、その中に朝鮮半島の人々が加わっていたかどうかが、論争の的になっている。彼らは一体何者だったのか?

近年、韓国で進む水中発掘から、倭寇が活動した東シナ海の交易ネットワークが明らかになってきた。最新の研究成果を踏まえ、正史には刻まれない海の民・倭寇、そして商人の実像に迫る。 NHK

 このシリーズは、プロジェクトJAPAN 
http://www.nhk.or.jp/japan/index.html

の一環で、日本と韓国の歴史学者を招き双方の意見を聞きながら中立に検証した初めての番組にしてあるが、NHK JAPANデビューは、「アジアの一等国」 第一回を個人的に観た時、台湾を訪れたこともあり、台湾人がひどく反日感情を抱いているような内容がおかしいなと率直に感じたのが発端だった。それに対してチャンネル桜では「人間動物園」とか「日台戦争」とか、一学者の書籍のみ使われている用語を番組の構成に使用して、一方的な反日的捏造が問題となっているのが分かり、自分以外にこの番組を観た多くの方が同様な印象を持っておられるのだと知った。

シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明
http://www.nhk.or.jp/japan/asia/090617.html

「プロジェクトJAPAN」という企画は、横浜開港150年となる今年から3年にわたって、日本の近現代史を見つめ直そうとするものです。初年度は、NHKスペシャルで「JAPANデビュー」というシリーズを組み、1859年の横浜開港から1945年までの日本の歩みを描く番組を放送しています。

 としている。ならばなぜ突如としてJAPANデビューが台湾統治から始まるのか不思議に思ったからだ。横浜開港からなら日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)で開いた横浜港と神戸港、日露戦争からだろう。突然台湾を併合したのではないし、近代史よりもはるか昔から中国や朝鮮半島との交流があったからである。以後このシリーズは常に時代やテーマがバラバラで制作側の偏見がある。台湾統治から始まったように、歴史上の一片に焦点をあてて番組を構成させているようだ。

シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明・追加
http://www.nhk.or.jp/japan/asia/090722.html
 

さる平成21年6月17日、NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明を、番組のホームページ上で公開しました。この「説明」によって、NHKの取材・制作姿勢、事実関係や用語などについて、よく理解できたというご意見をいただきました。一方で、いまだに誤った情報に基づいたご意見やご批判もあります。特に、「人間動物園」という用語、そしてパイワン族の方々への取材について、中には誹謗中傷、歪曲ともいえる誤った情報も流布しています。

 そのため、以下にまず「人間動物園」について追加の説明をいたします。それに続いて、前回の「説明」ではふれなかったパイワン族の方々への取材、インタビューについて新たに説明させていただきます。なお、それぞれ、代表的な批判に答える形で説明いたします。

としている。

 あくまでも歴史は大きな時の流れの中である事件が起きているのであり、とくに国同士の歴史観は断片的に事象を取り上げることは相互の歴史的事実を研究するのが学問であり注意しなければならない。NHKの番組製作はプロデューサーの恣意によって出演者の発言を誘導することは有名である。

 だからこの日本と朝鮮半島2000年のシリーズも、初回から中立に観ている。日本と朝鮮半島2000年は、朝鮮半島の関係を時代の順に取り上げているのは良い。

 ウィキペディア(Wikipedia)によれば、倭寇については一般的には13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の事であるとされるが、 突如として倭寇が現れたのではないだろう。なにがしら外圧的な大きな変化が朝鮮半島と九州の間の東シナ海地域に起きたからだろうと思う。そこで倭寇の前に起きた元寇ではないかと思ったのだ。
 

元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)及びその服属政権となった高麗王国によって2度にわたり行われた日本侵攻(遠征)の、日本側の呼称である。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。

 また「元史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」との記述がある[9]。これに対して忠烈王の発言の所以を高麗の国内事情に求める向きもある。高麗はモンゴルの侵攻前は武臣が王を傀儡化して政権を執っており、王はモンゴルの兵力を借りることによって王権を奪い返した。それ以後、高麗王はほとんどモンゴルと一体化し、モンゴル名を貰い、モンゴル皇帝の娘を王妃にしモンゴル皇帝であるクビライ王家の娘婿(キュレゲン、グレゲン)となる姻族、「駙馬高麗国王家」となっていた[26]。これに反対する勢力は反乱を起こし、モンゴルにより鎮圧されるが、一部はなお激しい抵抗を続けていた。これが三別抄である。忠烈王の発言は王権を保つためにクビライの意を迎えようとしたとする見解がある。

[9]『元史』 卷十二 本紀第十二 世祖九 至元十九年七月壬戌(1282年8月9日)の条 に「高麗国王請、自造船百五十艘、助征日本。」とある。
[26]森平雅彦「駙高麗国王の成立 -元朝における高麗王の地位についての予備的考察- 」『東洋学報』79-4, 1998.03.

 前期倭寇は日本人が中心で、元寇に際して元軍とその支配下にあった高麗軍によって住民を虐殺された対馬・壱岐・松浦・五島列島などの住民が中心であり、「三島倭寇」と総称された。

 朝鮮半島や中国沿岸に対する海賊行為は、元寇に対する地方の私軍による復讐の意味合い、および、再度の侵攻への予防という側面もあったと考えられる。また、これらの地域では元寇による被害で労働力不足に陥り農業生産力が低下したために、これを補完する(奪還する)目的があったとも考えられている。その証拠として前期倭寇の初期においては、朝鮮半島で唯一稲作が盛んに行われていた南部の沿岸地方を中心に襲撃し、食料や人間を強奪していることが挙げられる。さらには、連れ去られた家族を取り戻すためであった事例もあり、実際に家族と再会した記録も残っている。

 高麗滅亡期の前期倭寇の行動範囲は朝鮮北部沿岸にも及び南部では内陸深くまで侵入するようになった。 中には、完全武装の大将に率いられ、数千人規模の騎兵や徒歩兵で城攻めすらおこなう集団もあらわれていた。こうなると正規の軍隊と呼んでも差し支えない規模であり、高麗人が主体であった可能性、あるいは、モンゴル系島嶼人や西国武士が参加していた可能性が指摘されている[4][5][6][7]。

[4] 田中健夫『倭寇-海の歴史』(教育社歴史新書、一九八二年)および「倭寇と東アジア通行圏」(『日本の社会史』一<列島内外の交通と国家>岩波書店、一九八七年

[5] 高橋公明「中世アジア海域における海民と交流-済州島を中心として」(『名古屋大学文学部研究論集』史学三三、一九八七年
[6] 村井章介『中世倭人伝』(岩波新書、一九九三年
[7]東郷隆、『【絵解き】雑兵足軽たちの戦い』 講談社〈講談社文庫〉、2007年、48-51頁。この時期の前期和冦の頭目として阿只抜都などが記録に残っている。同書では、阿只抜都の正体について、赤星氏や相知比氏(松浦党)といった九州の武士、あるいはモンゴル系島嶼人や高麗人といった可能性も示唆している。

 つまり、まだ国家支配が及ばず国境があいまいだった地域を、単に日本と朝鮮半島の国の歴史に結びつけて語ろうとするのは矛盾があると思う。また、韓国の歴史研究はなんでも外国から侵略されたことに抵抗した英雄ばかりで、そもそも朝鮮半島の成り立ちを客観的に研究する資料や歴史が乏しく、歴史教科書など政治的にいまだ完全な自由度がない。NHKが中韓を冷静に評価できる存在でもなければ、政治や公共ではない放送局を介さない歴史学者同士が客観的に自由に共同研究する流れに期待している。

まずNHKや朝日新聞がやらなければならない歴史認識


【直言極言】NHK、崩壊した嘘と隠蔽工作[桜H21/10/24]

 まずNHKや朝日新聞が戦時中は先頭を切って日本人に戦争を煽りながら、それは当時としてやむを得ないことであったのだから、誰もいま反省を求めたりしない。しかし、戦後は一変して第三者のように自虐史観から自らを省みずなぜ戦ったかを無視して一方的に起きたことばかりを批判している姿勢は中韓と同じだ。米国も戦争はサンフランシスコ条約で以後問わないことで終わっているのだ。戦争の双方に善悪はないからだ。そこから解放されない限り、NHKが日本や日本人、また戦争やアジアの歴史を語る資格はない。自虐史観からの脱却。日本人に公共放送として自覚を持って誇りを持てる番組づくりを使命とすること。それがまず先ではないのだろうか。終戦記念日に広島・長崎の原爆慰霊祭を中継するのと同時に、国家のために戦い亡くなられた尊い方々を祀る国立墓地に年に一度は必ず拝礼することはどの国家でも最高の国家的な行事だ。日本国民がお墓や神社にお参りするのに理屈はいらない。その靖国神社例祭も中継しなければならない。

 過去の負債と組合を残して赤字を累積している国営だった国鉄や日航と同じである。NHKは国民のための放送局だ。自ら清算できないなら国民の公共放送のためには一度解体した方がいい。

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