【速報】 年内にも保守新党 桜田門外の変か

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国民新党、新党日本などに新党結成呼びかけ

日テレNEWS24

国民新・新党日本・平沼グループ、年内にも新党
読売新聞 11月16日03時03分
 国民新党(代表・亀井金融相)、新党日本(田中康夫代表)と、無所属の平沼赳夫・元経済産業相が率いる「平沼グループ」が合流し、年内の新党結成を模索していることが15日、わかった。
 複数の関係者が明らかにした。実現すれば、衆参合わせて計12人の新党となる見通しだ。国民新党は民主、社民両党と連立政権を組むが、仮に新党となっても、連立政権にとどまる意向だ。すでに民主党幹部にもこうした意向を伝えた。
 合流構想は亀井氏を中心に調整が進んでいる。来年の参院選に向け、保守勢力の結集をアピールする狙いがある。亀井氏らは自民党議員の一部にも呼びかけて勢力を拡大したい考えだ。将来的な民主党との合流も視野にあるとみられる。
 国会の議席数は、国民新党が8(衆院3、参院5)、新党日本が1(衆院)、平沼グループは3(すべて衆院)を確保している。

保守のリーダー平沼赳夫氏の動きに注目していたが、自民党以外で合流するとすればいちばん近しい国民新党となるだろう。自民党議員の一部とは、自民党の明確な保守である安倍晋三、稲田朋美氏(衆議院)、落選した赤池誠章、馬渡龍司、西川京子氏ら、西村眞悟氏、 (参議院)山谷えり子、西田昌司氏らの、日本解体阻止!国民運動に参加したメンバーだろうが、彼らが自民党に留まり再生しようとするか、離党して合流するかどうかがカギになってきた。
いずれにしても、現時点で読売のみが報じているので、どれだけ確かな動きなのかはまだわからないが、ようやく新党結成の動きが芽生えてきたのなら暗雲がたちこめたなかで明るい兆しだ。
産経が伝えた。

11月16日11時09分
 国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融担当相が、新党日本(田中康夫代表)と、無所属の平沼赳夫元経済産業相が率いる「平沼グループ」に対し、年内の新党や統一会派の結成を打診していることが16日、分かった。複数の関係者が明らかにした。

読売は新党結成と伝えたが、産経では「新党や統一会派の結成」としている。民主党の外国人参政権などを厳しく批判する平沼グループが民主党連立に加わるとは考えにくいので、参議院選にむけて統一してゆくのだろう。
亀井氏はクセがあり話が長いが、かつてブログに書いたが、苦学の末に東大時代は学生に対する不当な扱い抗議したり、元警察庁幹部だけに正義感が強い。ぶれない点では平沼さんとは通じる。

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平沼元経産相 新党結成を否定 「第三極」手詰まり感
毎日新聞 11月16日22時43分
平沼氏は16日夜、東京都内で記者団に「(国民新党との合流は)事実上ない」と述べ、新党結成を否定した。
だが、平沼氏は「ほかの2人に相談しなければいけない」と即答を避けた。
両氏はかつて同じ自民党亀井派(現伊吹派)に所属し、05年に郵政民営化法案に反対して離党した経緯がある。ただ、同グループの一人は「民主党政権入りはあり得ない。行政刷新会議は人民裁判そのものだ」と拒否感をあらわにする。
 平沼氏は8月の衆院選後の新党を視野に、同グループから17人を擁立した。しかし、当選したのは平沼氏を含めて3人で、公職選挙法上の政党要件(国会議員5人以上)は満たせなかった。

ちょっと昭和チックに

「別れても好きな人」 大ヒットの裏側

亀井静香
広島市の修道中学校に入学。修道高等学校2年生時に、通学定期券の購入に必要な通学証明の発行を学校が有料化したことに対して批判ビラを配る。これが学校側の不興を買い学校を放逐される(自主退学)。
自主退学後は実兄を頼りに上京し、東京都立日比谷高等学校・東京都立九段高等学校の編入試験を受けるが入学を許可されず、東京都立大泉高等学校に編入し、同校を卒業する。
1956年、東京大学教養学部文科II類に入学。駒場寮に入りキャバレーのボーイ、家庭教師などのアルバイトをして学費、生活費を稼ぐ。学生時代は「マルクスの亀井」と呼ばれるほど、マルクス経済学に精通していた。また他校の合気道部の学生を糾合して「日本学生合気道連盟」を結成、その初代委員長を務めた。段位は学生時代に三段を取得した。
またアメリカの水爆実験反対を訴えるストライキが原因で退学となった友人を救うため、ハンストを決行する。その後、1週間あまりでドクターストップとなったが、大学当局はその友人の退学を取り消した。
1960年、同大学経済学部経済学科を卒業し、住友精化に入社。この頃ガンの宣告を受けるが後に誤診と判明。1961年、同退社、猛勉強の結果国家公務員採用上級(甲種・行政)試験に3番の成績で合格、警察官採用上級試験に7番の成績で合格。
警察庁入庁後、鹿児島県警察本部捜査第二課長、鳥取県警察本部警務部長、埼玉県警察本部捜査第二課長等を歴任。1972年、連合赤軍あさま山荘事件、成田空港事件、テルアビブ空港事件の捜査に初代の警備局極左事件統括責任者として参加。1977年、警察庁警備局理事官、警察官僚となり警察庁長官官房調査官を最後に退官した。警察官時代の階級は警視正である。
退官後、政界を引退した永山忠則の地盤にて350万円の退職手当を元手に立候補準備を始める。衆議院議員となり、村山内閣のもとで第69代運輸大臣を務めた。また、第2次橋本内閣のもとで第64代建設大臣を務めるなど、要職を歴任した。
自由民主党党内でも政務調査会の会長などを務めた。党内では清和会に所属していたが、平沼赳夫中川昭一ら同志を率いて離脱し、亀井グループを旗揚げした。亀井グループと政策科学研究所(旧渡辺派)とを対等合併させ、新たに志帥会(村上・亀井派)を結成し、のちに第3代会長を務めた。
後輩に平沢勝栄
東京大学入学(同級生に白川勝彦、早川忠孝)。1968年卒業後、警察庁入庁、デューク大学留学。入庁同期に、佐藤英彦、石川重明、兼元俊徳(内閣情報調査室長)など。駐英日本国大使館一等書記官、警視庁防犯部長、岡山県警察本部長、警察庁長官官房審議官、防衛庁長官官房防衛審議官、内閣官房長官秘書官などを務めた。
学生時代は小学生時代の安倍晋三の家庭教師を務めた。本人の話では勝手に冷蔵庫を開けて色々と食べていたとの事。ビートたけしのTVタックルの番組内で当時の写真を公開され、ビートたけしから「どっかの誘拐犯だろ」と言われた。
2005年、郵政民営化法案に反対を公言していたにもかかわらず、決議では賛成票を投じた。
2007年12月、北朝鮮との国交正常化実現を目指す議員連盟、自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、幹事に就任した。
北朝鮮による日本人拉致問題に関する拉致議連の中心的役割を果たした。
「パチンコ業界の位置づけを真剣に考えていく」として、自民党の「遊技業等の営業の健全化に関するプロジェクト会議」を立ち上げた。自公連立には否定的な立場を取った。
警察庁の先輩である佐々淳行によれば、平沢のかつての上司である後藤田正晴(1969年警察庁長官に就任した。長官時代は、よど号ハイジャック事件(よど号乗っ取り事件)を始め、極左過激派による、テロ、ハイジャック、あさま山荘事件、爆弾事件などの対処に追われた。この頃の部下の一人が、後に初代内閣安全保障室長を務める佐々淳行。自民党、中曽根康弘内閣の内閣官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、宮澤喜一内閣の副総理、法務大臣などを歴任。)は「燻し出されたタヌキみたいな顔」「早口で日本語で何をいっとるかさっぱり分からん。英語を喋らせると少し分かる」「平沢は英語は上手いぞ。日本語より上手い」と他の部下に対してと同様、平沢に対しても毒舌だったが、これは後藤田の部下統率術であり、部下としての平沢には信頼をおいていたという。
亀井静香と同様、あさま山荘事件に出動している。
2009年総選挙では都市部を中心に自民党が大逆風を浴びる中、東京では唯一、民主党の対抗馬を小選挙区で下して当選を果たした。

桜田門
江戸城桜田門の正面(豊後杵築藩松平家屋敷跡)には現在、警視庁の庁舎がある。この事から警視庁は隠語で「桜田門」と呼ばれることもある。この門の近くに暗殺された大老井伊直弼屋敷があった。現在憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500メートルほどの所にあった。
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1 Comment

  1. カメラの有る日常
    2009年11月16日

    保守再編は始まるか

     『産経新聞』11月16日に、「国民新が新党日本と平沼グループに新党結成を打診」という記事がある。
     国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融担当相が、新党日本(田中康夫代表)と、無所属の平沼赳夫元経済産業相が率いる「平沼グループ」に対し、年内の新党や統一会派の結成を打診していることが16日、分かった。複数の関係者が明らかにした。

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