鳩山政権の次はどうなるか

/ 10月 17, 2009/ オピニオン/ 0 comments

鳩山内閣が誕生して1か月たった。
安心なのは、鳩山内閣は、いずれにしても長くは続かないだろうということだ。
花岡信昭の「我々の国家はどこに向かっているのか」
日経BP 2009年10月15日
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091015/188799/?P=1
事実上の「最高権力者」となった小沢一郎氏
 鳩山政権は「政治主導」「脱官僚」を旗印に連日のように、メディアをにぎわす派手な動きを示している。308議席という歴史的圧勝によって実現した政権交代であるだけに、これまでのしがらみにとらわれず自在な政策発信が可能になった。あやうい面も多々あるのは事実で、臨時国会乗り切り、来年度予算の年内編成が当面の課題だが、名実ともに「最高権力者」の座を占めた小沢一郎幹事長は何を考えているのか。そこを占って見よう。
 鳩山新体制のスタートに当たって、小沢氏は党役員人事を決めないまま英国を訪問してしまった。このため、党側の新たな体制づくりは大幅に遅れた。そこににじむのは、鳩山首相と小沢氏の微妙な関係だ。
 鳩山首相は当初、小沢氏を幹事長には想定していなかった。岡田幹事長体制のまま、内閣と党を鳩山―岡田で分散統治することでバランスをはかろうとしたフシがある。小沢氏がそれに不快感を示し、鳩山首相はあわてて深夜のトップ会談を設定、小沢氏に幹事長就任を要請するはめになったのは周知の通りだ。
 したがって、岡田氏の外相起用はいわば「閣内封じ込め」の意味合いが濃い。その岡田氏は、日米同盟の関係強化とインド洋の給油支援停止という難問に直面している。だが、さすがというべきか、アフガニスタンへの電撃訪問など、行動する外相として存在感を示しつつある。
 野田佳彦氏は財務副大臣という、その党内的立場から見れば軽量ポストに甘んじることになったが、高齢の藤井裕久財務相を支えて、これまた存在感を示している。
 岡田、野田両氏に触れたのは、「ポスト鳩山」が現実のものとなった場合の最有力候補であるからだ。現段階では鳩山政権が短命であると言い切れるだけの材料はない。厄介なのは、「故人献金」問題で、おそらく臨時国会では小沢氏の「西松献金」とともに、「野党・自民党」の集中攻撃を浴びるだろう。
鳩山政権誕生の後、小沢氏は何を考えているのか
 臨時国会を乗り切れば、予算の年内編成ができるかどうかが焦点だ。政治主導、脱官僚の2枚看板ではたして予算編成がスムーズに進むのかどうか。未知の領域であるだけに、こればかりは分からない。
 本来は予算の大方針を決める場となるはずの国家戦略局(室)は実質スタートが遅れている。菅直人担当相のイライラも相当に募っているようだ。臨時国会で自民党は献金問題とともに、政権内部の不統一を徹底して追及し揺さぶるだろう。これにどこまで耐えられるか。
 そこで、早くも永田町でささやかれているのは、小沢氏はいったい何を考えているのか、ということだ。あの小沢氏のことだから、鳩山政権誕生ですべてよし、とは思っていない。むしろ、これからが「本番」と踏んでいるはずだ。
 この政権があやういのは、小沢氏の政局至上主義と左派の結合にある、とこのコラムでも指摘してきた。小沢氏は民主党を完全掌握するために、旧社会党出身グループとあえて緊密な関係を築いてきた。
 そのことは、横路孝弘氏の衆院議長就任、輿石東氏の幹事長職務代行への起用にあらわれている。衆院議長は渡部恒三氏が有力視されていたが、小沢氏はこれを退けた。西松献金問題が浮上したさい、渡部氏が代表辞任を迫ったことで小沢氏が嫌った、といった解説が流れている。
 輿石氏はいうまでもなく日教組の大ボスである。地元の山梨県教組を舞台に教育界を総動員した選挙態勢を展開したことも批判されてきた。そうした一面はあるにせよ、輿石氏の政治的手腕は半端なものではない。だからこそ、自民党の参院を牛耳る青木幹雄氏とも太いパイプを築くことができた。小沢氏はそこを買ったのである。輿石氏は参院議員会長兼務のまま幹事長職務代行というポストを得た。党にあって、小沢幹事長に次ぐナンバー2の座を確実にしたといえる。
失敗するごとに政治的地位を増してきた不屈の生命力
 小沢氏はまた、ことに失敗して「政治生命は終わった」などといわれるような局面に遭遇しても、あっという間によみがえり、再浮上したときには以前よりも強い政治的パワーを備えている、という芸当のできる政治家でもある。
 2年前の大連立騒動を思い起こそう。当時の福田康夫首相との間で大連立の枠組みが完全に出来上がっていた。大連立は安倍政権下では無理だった。安倍氏の保守的傾向に対して民主党側にアレルギーがあったためである。それが思わぬ安倍氏退陣によってリベラル色の強い福田氏が首相となり、小沢氏はただちに大連立工作を開始する。福田首相が安倍内閣の閣僚をほとんど「居抜き」で引き継いだのは、実は大連立に備えてのことであった。
 小沢氏は民主党側の了解を取り付けようとするが、失敗する。民主党幹部で大連立工作を知らされていた人はほとんどいなかったようだ。まさに寝耳に水だったのである。党側の猛烈な抵抗で小沢氏は大連立を断念、代表辞任を表明する。それからが、小沢氏の真骨頂であった。
 党側はこぞって小沢氏を慰留、最後には小沢氏が「東北出身のため口下手で説明不足だった」などと涙を流して、代表の座にとどまる。大連立工作の失敗という政治的ダメージにもかかわらず、続投した小沢氏は代表としてのパワーを倍加させてしまった。党をあげての慰留の結果なのだから、それも当然だ。
 西松献金問題で代表を辞任したときも同じである。小沢氏は鳩山―岡田両氏による代表選挙を演出、鳩山氏側に立って代表選を勝ち抜く。その結果、選挙担当の代表代行におさまる。公認、資金を含め選挙全体を仕切るのだから、これは考えようによっては、動きが制約される代表の座よりも政治的には強いことになる。
 なんのことはない。政治献金問題で代表を辞任し、すぐさま、代表の座にあったときよりもパワーアップしたのである。その結果が308議席だ。これはもう最高実力者の位置を天下に示したことにほかならない。
 鳩山氏は表舞台で飛んだりはねたりする首相としては、当たりはやわらかいし、国民受けもいい。小沢氏にとって、これ以上、操縦しやすい首相はいないといえる。そこで間違えてはならないのは、小沢氏は民主党を軸にした政権をつくったのであって、鳩山政権をつくったのではないという非情な事実だ。鳩山氏がなんらかの事情で窮地に追い込まれれば、「カオのすげ替え」は容易に行われるだろう。
「壊し屋」だけでなく、次々と新たな組織をつくってきた
 民主党と自由党の「民由合併」以後、小沢氏は「ヒサシを借りて母屋を乗っ取る」を地で行く行動を取り、民主党全体を掌中にした。その党内操縦術のカギは旧社会党グループとの関係強化にある。
 「放っておいても近い連中は黙っていてもついてくる。厄介なのは、最も遠くにいる連中だ。ここと手を握る。そうすれば全体をごそっと引き寄せることが可能になる」。小沢氏は組織掌握の戦略をそう述べたものだ。
 小沢氏の政治行動を見ると、大胆な政局転換を果たしたいときには、政治信条などは抜きにして「なんでもあり」の対応を取ってきたことが分かる。細川政権をつくったときには、当時の社会党も含め8党派をまとめあげた。新進党瓦解のあと、小渕自民党との「自民・自由連立」を果たしたかと思うと、連立離脱、そして民主党との合併とめまぐるしい政治行動を取ってきた。
 「壊し屋」の異名をとる小沢氏だが、壊した後に別のものを構築してもきたのである。そこを見据える必要がある。
狙っているのは「左派切り」、保守大連立か
 小沢氏は党内の旧社会党グループとともに、社民党とも良好な関係を築いてきた。国民新党、社民党との連立政権となったが、これは参院で民主党が単独過半数を得ていないためだ。
 現在、参院の民主党会派には国民新党、新党日本などが含まれており、118議席となっている。過半数122議席に4議席足りない。だから、神奈川、静岡の参院補選が重要になる。ここで2連勝すれば、無所属で民主党とほぼ同一歩調を取る議員が2人(糸数慶子、川田龍平両氏)いるから、全部合わせるとちょうど過半数に達することになる。
 補選2連勝がかなわなかった場合は来年夏の参院選が勝負となるのだが、いずれにしろ、参院で社民党に頼らなくてもいい状況が生まれた場合、小沢氏の「次の一手」が発動される可能性がある。それが大連立の再燃である。
 自民党、公明党を含めた大連立となれば、党内左派も社民党もその「重み」はぐんと軽くなる。308議席を背景に、自民党に対しても優位な立場で大連立の工作を展開できる。「左派切り」への大転換によって、外交・安保政策や消費税問題などを中心に思いきった政治決断が可能になる。
 大連立によってそうした重要課題に決着をつけ、次の総選挙を迎えるときには、小選挙区選挙だから必然的に2大政治ブロックに分かれていくことになる。これによって、小沢氏が政治改革の到達点として狙ってきた「保守2党時代」が現出する。小沢氏の現在の言動はそこへ向かっての第一歩と見たいのだが、どうか。
友近、外山の両参院議員が民主入り表明
産経IZA 2009/10/16 23:21
 平成19年の参院選で民主党などの推薦を受け無所属で当選した友近聡朗(愛媛)、外山斎(宮崎)両参院議員が16日、民主党に入党する意向を表明した。民主党の小沢一郎幹事長は7日、友近、外山両氏のほか、無所属の鈴木陽悦、広田一両氏に民主党への入党を要請していた。

友近、外山両氏が民主党入りで「マジック1」となる。
無所属で民主党とほぼ同一歩調を取る議員が2人(糸数慶子、川田龍平両氏)を含めると、すでに過半数に達した。
 渡辺治(一橋大教授)で歴史専門誌『歴史評論』(09年7月号)に掲載された「日本における新自由主義の展開と松下政経塾」という論文で、
《小沢一郎による「政治改革」》 
渡辺は、小沢一郎がその「政治改革」の中心としての役割を担ったのだという。
小沢による「政治改革」とはなにか。その狙いは三つあった。
一つは小選挙区制の採用によって軍事大国化への障害物・社会党を解体することである。
二つは自民党の新自由主義政党への再編である。小選挙区制により党中央の権限は拡大―幹事長の公認決定―する。中選挙区制下での分立的自民党を、中央集権的威令の行きわたる党に変貌させる。
三つは保守二大政党制の展望である。政権交代によっても大国化、構造改革の路線は継続させるのがその最終目的である。

《報告書の内容とその実現可能性》 
2008年11月24日実施の「松下幸之助塾主生誕記念 松下政経塾シンポジウム」において、提言を発表した『日米同盟試練の時』と題された松下政経塾の報告書には注目すべき特徴がある。
第一は、自民・民主両党の共通基盤形成を求めるにもかかわらず、極めて「タカ派的」構想であることだ。世界情勢認識では、北朝鮮の脅威だけでなく中国脅威論に近い認識を打ち出している。財界、与党、外務省にも支持者がある「東アジア共同体」構想に強く反対しアメリカを含む「アジア太平洋経済共同体」を提唱する。
第二は、アメリカの対日安全保障要求をほぼ全面的に受け入れていることである。
日米安保面の非対称性緩和のため沖縄・グアム間のシーレーン防衛の分担を主張するほか、集団的自衛権解釈の変更、海外派兵恒久法の制定、憲法九条改憲を主張している。
第三は、憲法改正について次のようにいっていることである。

 現在制限されている国際安全保障における活動の多くは、解釈変更によって可能と私たちは考えるが、憲法改正により少なくとも第9条第2項を書き換えることが新しい自己定義に基づく日本の国際安全保障活動について国民的合意に基づく正統性を確立する上で望ましいであろう。
プロジェクト委員 
山田  宏  東京都杉並区長     /松下政経塾第 2期生
前原 誠司 民主党衆議院議員    /松下政経塾第 8期生
金子 将史 PHP研究所主任研究員/松下政経塾第19期生
 
報告書賛同者 
逢沢 一郎 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第 1期生
野田 佳彦 民主党衆議院議員    /松下政経塾第 1期生
松沢 成文 神奈川県知事       /松下政経塾第 3期生
中田  宏  神奈川県横浜市長    /松下政経塾第10期生
小野寺五典 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第11期生
 渡辺はこれらの「タカ派的」構想は安倍晋三元首相やそのグループの見解に近いと指摘する。さて、その実現可能性はどうであろうか。論文はこれらの主張の実現には多くの困難があろうとみている。
 その理由として民主党の多数が容易に受け入れないだけでなく自民党内にも親中派がいることを挙げている。また多くの国民の反対を呼び起こすだろうともいう。
前原担当相「北方四島は日本固有の領土」
産経IZA 2009/10/17 13:20
 前原誠司国交相(沖縄・北方対策相)は17日、「歴史的にも北方四島は日本固有の領土で、終戦のどさくさに紛れて、(旧ソ連が)まさに不法占拠した。そのことは言い続けなくてはいけない」と述べ、鳩山由紀夫首相にも北方領土の視察を求める考えを明らかにした。
 以上の発言は、前原氏が実はタカ派であることをほのめかせ、安心した。
 花岡信昭氏は、岡田、野田両氏が「ポスト鳩山」が現実のものとなった場合の最有力候補であるとしている。小沢氏は次期政権では、小沢氏はフィクサー役が適任であり、小沢総理は年齢的にもまずないだろうから、代表選で争った岡田氏が順当だろう。しかし、岡田氏はいまの外相でも危ない。
 民主党の中では、国の防衛・安全保障で元代表の前原氏が最も有力で正当な保守派だ。
野田、前原氏が松下政経塾出身者であって一定の安心感はある。
他の松下政経塾出身の国会議員:逢沢 一郎、高市早苗、河井 克行、小野寺 五典氏以外はみんな民主党議員(松原仁、原口 一博など)。
 多くの卒業生に共通して見られるのは、経済政策では構造改革支持、外交政策では親米保守路線を基調とした、いわゆる新自由主義的な主張をする者が多い点。
「時間厳守、下座、低姿勢」で連合を籠絡した小沢幹事長
週刊文春2009年10月22日号「THIS WEEK 政治」

 「政権交代で新しい扉の前に立った。その扉を開き、新しい社会をつくる」。十月九日、都内で開かれた定期大会で、連合の新会長に就いた古賀伸明氏(57)の言葉だ。久々に政治の表舞台で主役をはる高揚感が伝わる。一九八九年、総評と同盟が合体したときの連合のスローガンは『政界再編の起爆剤になる』だった。それから二十年、非自民の細川政権に続く二度目の『与党』になった連合だが、二回とも背景にあったのは民主党の小沢一郎幹事長との蜜月関係だ。
(中略)
 その後、野党になった小沢氏を、連合は新進党時代も支えた。「労組、創価学会、保守の三位一体で戦えば自民党に勝てる」が持論の小沢氏だったが、やがて新進党は解党。連合幹部も「小沢には愛想が尽きた」と呆れていたものだ。
 だが、時は流れ、小沢氏と深い関係を持った連合幹部は第一線を去った。
「ここから、またもや小沢氏の『人たらし』の本領が発揮されます。自由党を民主党と合併させると、小沢氏は積極的に連合の地方組織と交流する。『剛腕、悪党』として名高く、身構える出席者に、小沢氏は『時間厳守、上座に座らない、低姿勢』を貫いたのです。これで『本当はいい人なんだ、小沢さんは変わった、それはオレだけが知っている』といっぺんに小沢ファンにさせてしまった」(民主党関係者)
 実はまったく同じ戦略で過去に「小沢ファン」になってしまったのが創価学会だった。地方の学会幹部は「本当の小沢さんを公明党議員は知らない」とまで言い、小沢支持にのめり込んだ。その結末は喧嘩(けんか)別れ。竹下派の昔から今まで、小沢氏が繰り返してきた人間関係の「創造と破壊」だ。
 古賀会長は小沢氏が最初に連合と接触した二十年前はまだ三十歳代後半にすぎなかった。「変わった」と言われ続けて変わらなかった小沢氏。
 二十年間の歴史で二度の「与党」暮らしはともに「小沢頼み」だった連合が、創価学会と同じ運命をたどる日も近い。
参考URL
日経BP(2009年10月15日) http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091015/188799/?P=1
リベラル21(2009/08/06 08:00) http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-854.html
週刊文春2009年10月22日号「THIS WEEK 政治」 http://bunshun.jp/shukanbunshun/thisweek_pol/091022.html
 要するに小沢氏は、左翼政党躍進で危機感から合同した55年体制前の経済重視の自由党と憲法改正の日本民主党の保守二大政党再編を狙っているのではないだろうか。それは衆議院で民主党が大勝して、次の参議院で過半数を獲得することでハードは完成する。すでに冷戦崩壊で旧社会党は分裂し、共産党の存在価値も凋落した。自民党敗退で公明党との連立も野党となっては事実上消滅したが、その創価学会と組む気はない。「左派」「労組」切りで、リベラル民主党が分裂しても自民党との保守大連立は可能だ。
 旧社会党議員には大臣になれたことで今しかないとばかりに、外国人参政権、夫婦別姓など直近課題ではないものをノー天気に通そうとしているのは、そんな焦燥感が背景にあるのではないだろうか。
 川の流れは水面は激しいが、案外、川底は以外に静かなものだ。
【続く】小沢一郎氏がどうしても必要なのか?
http://koujiyama.at.webry.info/200910/article_66.html
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