【前原レポート】羽田がハブなら成田はマングースか?

/ 10月 13, 2009/ オピニオン/ 4 comments

 メディアは日本は空港が約100か所で多いという。しかし、もともと高度経済成長期に東京まで3時間以内の交通網という構想があったように憶えている。100か所といっても半分は小型機しか離着陸できない飛行場か、日本は南北に離島が多く、離島の飛行場だ。それらを除くと50か所でほぼ1県に1か所空港があることは多いか少ないかは一概に言えないのではないか。
 しかし、土地が狭く高い日本では大規模な空港は造れないから、ワイドボディ機の離陸に必要な2000m以上の滑走路がある空港は50か所のみ(ボーイング747の離陸に最低2500mが必要、同じ747でも燃料・旅客・貨物を多く積む長距離便(飛行距離が1万kmを超えるもので利用するには3,000m以上が必要)しかない。
 羽田や伊丹が都心に近く騒音や拡張が困難なので国際線専用の成田が建設された。そのころ、国内線と国際線を一か所で繋ぐ24時間のハブ空港の発想はなかった。70年代からアメリカでハブ空港が現れた。関空は国内線と国際線を一か所で繋ぐ24時間のハブ空港として、最初神戸沖が予定されたが泉州沖に決まり、騒音問題と拡張性のない伊丹を廃止して国内発のハブ空港を建設する目的だった。今から「たられば」を言っても仕方がない。
 経済成長したアジア諸国のハブ空港建設に対しては、そうした変化が起きてからの後手が有利で、規模では仁川(インチョン)などアジアのハブ空港に負ける。成田に決まったころは海上空港建設の技術はまだ確立されていなかった。今になっては羽田に4本目拡張のように埋め立てずに海上に立体滑走路が建設できる。
 前原国交相が、羽田を国際化しハブ空港にするというのは珍しく正論だ。だが、いつもダムでもだが結論を先にいいすぎるのだ。千葉県や大阪府の知事が反論するのも当然である。橋下府知事が関空と2つのハブをと主張するのも分かる。
すでに決まっていた羽田の拡張
 羽田空港の4本目の滑走路は、
 平成12年9月から、学識経験者、関係地方公共団体等からなる「首都圏第3空港調査検討会(座長:中村英夫 武蔵工業大学教授)」を航空局において開催し、広く意見を聞くとともに、羽田空港の再拡張案と公募により提案された15の候補について種々検討した結果、羽田空港の再拡張案が、他の候補と比較して、既存ストックの有効活用、アクセス等の旅客利便等の観点から大きな優位性があるため、これを優先して推進することとされました。
 平成19年、安倍政権での「アジアゲートウェイ構想

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1.「航空自由化(アジア・オープンスカイ)」に向けた航空政策の転換
~ 航空自由化(アジア・オープンスカイ)による戦略的な国際航空ネットワークの構築、羽田の更なる国際化、大都市圏国際空港の24 時間化
である。
 前原国交相が、まず24時間ハブ空港として羽田を進めるというのは、平成12年から決定していたことで、それを言っただけだ。成田は夜間発着ができないが羽田だけでは新規参入に限界があるから、長距離路線と国内を結ぶハブ空港として2つは必要だ。さらに様子や経済動向を見て、2番目に関空を当初の予定通りハブ空港化する。中部もハブの3つめとして機能させることがベストだろう。アジアへは羽田よりも、西日本や九州・南西諸島からは関空やさらに福岡、鹿児島、那覇などをハブとする方が近いから合理的だ。千歳や新潟もそうだ。羽田・関空に行ってから東北・北海道にUターンは合理的ではない。
羽田と仁川はハブでも違う
 仁川は国際線専用で、将来的には仁川も韓国国内線を充実するかも知れないが、国内線は金海(釜山)国際空港路線、済州国際空港路線、大邱国際空港路線があるのみだ。大韓航空(KAL)の拠点としての仁川から国際線と国際線のトランジット(乗り換え)目的である。国内線の乗り継ぎはリムジンバス・航空鉄道とも(30分)でかつての国際空港であったソウル市内の金浦空港まで移動する手間がかかる。つまりソウルの成田と羽田だ。
チャンギ国際空港(1981年) 国際線専用
シンガポール航空、シルクエアー、インドネシアのガルーダ・インドネシア航空、オーストラリアのカンタス航空のハブ空港。
北京首都国際空港(1958年) 中国国内兼用
1999年に北京首都空港は長年、中国民用航空総局が直轄管理してきたが、日本のODAによる大規模改修直後3倍の広さになった。1999年に株式会社組織である北京首都空港株式会社(北京首都機場股份有限公司)の管理に移され、2000年に香港証券取引所に上場され民営化された。しかし、このことを日本政府に事前に通告していなかった上に、民間企業もしくは民営化を前提としている組織に対してODAは行わないという日本政府のODA規定に反しているために問題化した。(中国はそういう国だ)
香港国際空港(1998年) 中国国内兼用
上海浦東国際空港(1999年) 国内線兼用
仁川国際空港(2001年) 国内3空港
 羽田ハブ化は主に国際線と国内線のトランジットが目的だ。要するに昔の東京国際空港に戻そうとするだけのこと。羽田のハブ機能が充実すれば、航空運賃の問題は残るが乗り換え時間の便宜性は高いから、運賃と時間のどちらを優先するかでKALの仁川拠点の日本27路線に影響を与えるだろう。
 欧米でもそうだが、大都市圏には災害時に一方が使えない場合を想定して空港が2つある方が望ましい。
成田・羽田、関空・神戸、中部・名古屋、福岡・北九州など2つあることはいいことだ。首都圏の規模から言えば成田・羽田の2つでも少ない。
羽田が10月以降に滑走路が完成すると仁川利用は低下するだろう
 もうひとつ、成田・羽田は着陸料が高いことがあるが、滑走路の増設や拡張が難しく新規参入を断っているのが実情だった。仁川は日本へは27路線があるが、着陸料・運賃が安いからに尽きる。しかし、東京や日本がアジアの他の空港よりも最も高くからといって、利用客数からいって人口・国土面積が韓国の2倍以上の羽田や関空がハブ空港になれば日本国内に乗り継ぎするのに仁川でなくても構わない。
 しかも、オープンスカイがすすめば、アジアの航空会社が外国-羽田便を自国の人員で賄ったり安い航空運賃で競争するなら、空港利用だけの仁川などをハブにするよりも、航空グループ運行で国内線の利用も増えてメリットは増える。東京・関西観光やビジネスに便利という付加価値も高いだろう。
 成田はそれまでの拡張性に時間がかかった経緯もあるし、1本を2500mに延伸するといっているが、旅客機もジャンボジェットなど燃費の悪い大量輸送から中型機になっていて2500~3000mの滑走路を必要としない時代になっている。ジャンボも製造中止になった。航空会社も大量輸送から小回りのきくエアバスの中型機、B777などに移行している。YS-11以来の国産MRJも期待される。航続距離がジャンボ以上に伸びた結果、ハブのトランジットなくノンストップで地球の裏まで飛行可能になったので国際線同士の乗り継ぎのハブ機能はもはや古いし不要。
日本はプライベートジェット後進国?
  しかし、メディアも航空会社の大型機にしか目がいっていないのだ。空港利用はとっくにプライベートジェットの時代に入っている。
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 個人的に15年近く前に、地元のローカル空港活性化のため、商工会青年部でチャーターした経験から、日本の航空行政が実に総合的視野がなくばらばらなのかを痛感した覚えがある。釜山まで飛ばそうと大韓航空に頼んだらチャーターしてもらえて有り難いが滑走路に降りられる機体がないと言われた。当時の運輸省が初めてのことで、なかなか飛ばす手続きが難しかったです。
2009年04月17日16時56分 / 提供:YUCASEE MEDIA (ゆかしメディア)
http://news.livedoor.com/article/detail/4115041/
 日本は経済的には先進国ですが、圧倒的に他国に遅れを取っている分野があります。それは、ビジネスジェット(プライベートジェット)の市場規模です。
 まず、海外では「プライベートジェット」という呼び方はあまりしません。遊びで使うことは少なく、圧倒的にビジネスで利用するため「ビジネスジェット」と呼ばれるのが一般的です。日本では国民性やメディアの影響で、プライベートジェットは金持ちの道楽、という見方が根強くあります。しかし海外ではビジネスの道具として富裕層だけでなく一般にも認知されていて、欧米はもちろん香港、北京、上海などアジアの各都市やリゾート地にも広く普及しています。この分野では意識の上でも、そして実際のビジネスとしても、日本は他国に大きな遅れをとっていると言えます。
 海外と比較して日本にビジネスジェットが浸透しないのは、インフラ設備が最大要因です。日本の空港はエアラインのための空港がほとんどで、ビジネスジェットが離着陸できる場所は限られています。羽田空港など大規模な空港では現在早朝・夜間に限り乗り入れができたりもしますが、常時離着陸できる空港は少ないのが実情です。
 対してアメリカには、ビジネスジェット専用の空港がエアライン利用空港の10倍ほどの数存在します。それだけの数があれば、目的地から最も近い空港に降りることができ、エアラインの乗り換えの手間が省けます。また専用空港ではジェットの横にリムジンをつけることができ、税関や入国審査などの手続きで並ぶ必要もないので、時間のロスが全くありません。セキュリティー面でも安心なので、有名人にとってもありがたいシステムです。投資家なども、自分の会社の人にも知られたくないミッションで海外に飛ばなければならないこともあります。そのような時には、人目につくことなく手続きできるのは大きなメリットです。
一極集中から地方分散
 すべてにおいて政治と国交省などががんじがらめに牛耳ってきて、航空情勢に後手後手なのだ。政府専用機がジャンボなんて国はアメリカと日本だけ。欧州ではもちろんエアバスの中型機だし、中古機も多い。しかもアメリカはボーイングがエアバスに対抗する航空機製造国として意地でも誇りたいところだが、日本はそんな意味がなく、無駄な燃費の製造中止になった400人乗りジャンボを、この間の国連でも首相と外相が同日に2機別便を午前と午後に国税でしかも派遣に反対な航空自衛隊を海外派遣させていることになるではないか。無駄を排除するといったマニフェストを実行していない。すでに岡田外相は10日に何度も乗り回して、CO2削減25%削減とか矛盾したオバカな政権だ。なぜJALやANAを活用しない?国産MRJにしない?この矛盾をメディアがなぜ批判しないのか?
 これからは小型機やビジネスジェットの利用が地方空港の活性化につながる。乗り継ぎなんて時代は終わっている。地方空港が航空会社の定期便に頼る発想が古いのではないか。ハブ機能が充実すれば産業などは首都圏に集中させず地方でも構わないから、100か所も空港が多いどころか、もっと飛行場は増えるかも知れないのだ。前向きに生かすことを考えなければならない。
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4 Comments

  1. 通りすがりに失礼します。
    無駄な地方空港が多すぎ、という論調が支配的な中、貴殿の見識の深さに敬服致します。
    小生も空港の数が多いこと自体は決して悪いことではなく、使い方の問題だという認識でいるのですが、周囲の人に話してもなかなか理解してもらえません。
    腐っても世界第2位(もうすぐ3位?)の経済大国の首都が羽田成田だけで満足していてはダメです。茨城も横田も、できれば厚木や下総も使って大手エアライン定期便からLCCやビジネスジェットや自家用機まで、目的や予算に応じて多様な航空輸送の中から選択できるのが理想だと思います。実際ロンドンやニューヨークではそのようになっています。
    地方空港については1県1空港どころか、1市町村1空港でもよいと思っています。「空港」というと誤解されやすいので「飛行場」とか「滑走路」と言った方がいいかもしれません。

  2. あまりに多くの人が空港と言えばJALやANAのジェット機が飛ばないといけないと思っていて、需要のとても小さな地方空港にも豪華なブリッジ付き2階建てターミナルなんて建てるからおかしなことになるのです。それでJALが路線縮小だと言うと、廃港かと騒ぐ。実に滑稽です。
    本来そういう100かゼロかと言うようなものではなく、エアラインのジェット機が飛ばなくても地域航空の小型機が、それでも供給過多ならより小さいプロップ機が、それがだめならエアタクシーやビジネス機が飛ぶ、というように80だったり40だったり20だったりという使い方があります。身の丈に合った施設と運営方法にすれば大きな赤字になんてならないものです。
    国交省が大手エアラインやゼネコンと結託してきた航空行政では、小さな空港で活動するジェネラルアビエーションがほとんど育っておらず、日本の航空産業は実に薄っぺらなものになっています。それがパイロット等の人材不足にも繋がっており、結局エアラインのコストも押し上げる結果になっていると思います。

  3. ジェネアビが健全に育てば、ご指摘のようにエアラインに頼らずとも各地域が他の地域や世界と繋がり、独自の経済活動も可能になり、地方活性化に貢献できます。医療過疎地域に大都市から医師を効率よく派遣もできますし、災害時には寸断されがちな地上交通に頼らずとも物資や人員の迅速な輸送ができます。
    地方空港の在り方についての議論がエアライン定期便以外にも目を向けた方向に進むことを望んでいますが、マスコミは大した勉強もせず空港もダムも同じように報じたりしますから、ちょっと心配しています。
    だらだらと駄文をかきなぐり失礼致しました。

  4. 通りすがりさん レスならびに貴重なご意見おいただきありがとうございます。
    おっしゃるっとおり、飛行機がもっと身近な足として利用されるべきで、問題視される地方飛行場がある市の住民のひとりとして過去になんとか活性化させる事業をおこすため、当時一生懸命、チームで団体や行政・県や運輸省、航空会社と交渉し調べた経緯があり、日本の航空行政は思い切り、上からの縦割り行政で、30人乗り小型機一機飛ばすだけで前例がないとか航空路がないとか申請が大変でした。日本初の画期的な事業だと県知事の前で講演したり新聞社の取材などさせていただきました。
    今なら空港建設なんてなかなかできませんから、バブル期に全国に建設できたことはある意味財産として良かったと思いますよ。では。

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