脳ある鷹は爪を隠す的外交

/ 9月 16, 2009/ オピニオン/ 0 comments

かつて世界を敵に回す戦争を経験した被爆国日本。武力には武力を持って解決ははかかれないことを身を持って体験した国である。ベトナム戦争がそうであったように、自爆も辞さない北朝鮮やイスラム国家に、武器をもってしても解決はできないのだ。

日本は二度と武器を持って解決しない。それは戦争を反省するだけではなく、戦いでは解決しないということの教訓なのだ。それが進んだ平和憲法である。だから自衛隊も武器も放棄する。

日本は戦争を放棄したのだ。だからあなたの国も放棄しなさい。

しかし、相手が刃物を持って刺してきたらどうするのか、黙っているのかという問いに説得力はあるのだろうか。

政権が代わってもびくともしない民主主義の日本が表明すべきは、あくまで外交手段を通じ合理的、抑制的に国際問題の解決に努める、しかし、「いざという時には自らを守るために力も行使する用意のある日本」「世界の平和維持に応分の責任をもつ抑止力としての日本」でもある。どちらが相手に対して説得力があるのだろう。

健康だったら病気にならない。だから医者も病院もいらないのか。
何もしなければケガはおきないと言い切れるだろうか。

 中国の抬頭(たいとう)という、動かし難い現実を直視して、(イ)日米同盟を強化して中国に対応する、(ロ)日米中を正三角形ととらえて米中と等距離を取る、(ハ)「全方囲外交」(所謂国連中心主義)を採る、(ニ)安全保障の突っかえ棒として核武装を含む防御能力の確保に動く-などの選択肢のなかから、何が現実的で何が非現実的なのか、そこを選択しなくてはならない。

 過去のしがらみを消化し、現実的で論理的、抑制的でありながら前向き、国民のコンセンサスに基づいた安保政策は日本なら可能なはずである。そのキーワードは、国民の健全な常識に基づいた「民主主義」であり、民主主義への「確信」であることは繰り返すまでもない。

 現実には、日本には誇るに足る民主主義の伝統と現実がある。そうであれば、日本は国際社会でこれからもっと大きな役割を果たせるはずだ。「切れたら何をするか分からない日本」というパーセプション(感覚)に無意識にせよ寄り掛かった安全保障・防衛政策は、日本のとるべき道ではない。それは「世界の平和維持に責任をもてない日本」を意味する。

60年も経っていつまでも思考停止を続けるのはよそう。戦争自体に正も悪もない道理もないのだから。世界を平和にするには、まず日本がしっかりとした安全保障を築かなければ、いつまでたっても先に進まないばかりか、強い平和の発進力にはならないのだ。

脳ある鷹は爪を隠す

普段はうだつの上がらない貧乏同心。しかし必殺仕置き人なのだ。日本人はそれが粋であり大好きなのだ。(^^)

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