体育の日を10月10日に戻したい

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毎年、当区の神社もですが町内では10月10日が秋祭りだった。祭日の体育の日が10月10日だったので、9日夜は各区の神社からだんじんりが区内を練り歩いた。
古くからの区は神輿を持っていたが、当区などは消防団が中心となり毎年竹だんじりを制作していた。私はだんじりの太鼓を消防団を40歳で退団するまで十年ほどやっていた。みんなお神酒や回る中でお酒の量も増えて、だんじりごと田んぼに落とされたことも今では懐かしい思い出でである。

あれから十五年、昨年からもう竹で毎年竹を切って制作することも今の青年たちには苦痛になり、だんじりを数少ない豊岡の大工さんに作っていただき、制作もしなくなり、区は当町では珍しい世帯数が増加しており若い担ぎ手(台車をひっぱっている)も多いのか巡行が早い。いつもなら聞こえる時間に太鼓の音も聞かなかった。

毎年、竹伐りや縄で組み立てするのに数日間、集まって話したり、集まる人数は15年前から限られ大変だったが、今ではそうしたコミュニケーションが懐かしく感じる。神社、祭りとは何なのか、地域やつながりが大切なものだったことを、もう気づいている若い層も増えてほしいと思う。

国や地域を破壊して税金さえ収めて分配すればいいという単純な左翼や学者たち。彼らは戦後の敗戦利得者によって日本に自虐史観位をはこらせ、実は個人の都合のいいことしか考えていない視野の狭い連中なのではないだろうか?その典型が朝日新聞やマスコミ、国のためにやっているとは思えない政治家たちではないだろうか?
小泉純一郎も、鳩山由紀夫も、菅直人も辞めればどれだけおかしな人だったろう。精神が病んでいるとしか思えない。

もう気づいている人々は、気づいている。便利さや自己の利益を優先し、自己主義で楽ではあっても、その代償は税金は増えていくばかりだ。結局そんをしているのだ。
できるだことは自分らのつながりで解決させてきた村社会。日本の中で長い歴史で培われた伝統文化。神社をもとにした村社会こそ合理的な日本人の民主主義であるのだ。煩わしくもあったし、遊びたい、テレビが見たいと思ったものだ。

祭日には意味があったものを日曜と連携させて連休にしようとし、毎年日にちが変わり、休むのには都合がいいと決めた。国会や政府って無駄なことにやるおり最低限、長い日本の歴史から培わえてきたものには意味があるものを守り育てることに注力すればいいのだ。何もしない方がましである。国を否定したあさひsどんどん悪くなっているではないか。

国は小さく、市町村合併、大店法緩和で街が崩壊、富める者は富み格差が広がる新自由主義、グローバリゼーションこそ世界の敵である。もし、そうした罰を与えたいなら死刑に値するのが、朝日新聞とNHK、日教組、自民党にもいる国家の長期ビジョンを持たない人々や竹中平蔵だ。社民党。共産党など野党は言うまでもなく論外。

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