国歌「君が代」について思う

/ 2月 12, 2013/ パンくず, 音楽/ 0 comments

小中学生の頃は、国歌「君が代」をなんと歌いにくいんだろうとそう単純に感じていました。
中学3年から高校まで吹奏楽部で木管パートだったので、それは和音がないユニゾンなのが単調で演奏しづらいにかわって継続しました。日の丸と君が代はダサいなぁと思っていた方でしたw

世の中は、アメリカ映画や音楽全盛で、星条旗とアメリカ国家と比較して、日本はまだまだアメリカにコンプレックスと、あこがれを抱いていた少年のひとりでした。

二十歳過ぎると、十年はあっという間に感じます。今思うと、子供の頃は一年が長く感じられたと思います。戦後からだいぶたって生まれたように感じていたが、昭和32年生まれというと、まだ終戦から十数年しかたっていなかったんだと気がつきました。

国旗国歌をデザインや音楽の単なる好みだけで判断しがちですが、すぎやまこういち先生がおっしゃられています。

ドラゴンクエスト作曲者が語る君が代

国歌「君が代」について

1、「君が代」の成り立ち

 今から千数十年ほど前、延喜五年に出た歌集「古今和歌集」の巻7、賀歌の初めに「題
しらず」「読み人知らず」として載っているのが初めです。その後、新撰和歌集にも、和漢
朗詠集にも、その他数々の歌集にも載せられました。
 また、神様のお祭りにも、仏様の供養にも、酒宴の席でも、そして、盲目の乙女の物乞
いにも歌われました。
 これに曲がつけられたのは、明治2年10月ごろ、当時横浜の英国公使館を護衛するた
めに、日本に来ていたイギリス歩兵隊の軍楽長、ジョン・ウィリアム・フェントンが言い出し
たからということです。彼は、
「儀礼音楽が必要だから、何かふさわしい曲を選んだらどうでしょうか。」
と、当時薩摩藩の大山巌に進言し、それに基づいて、大山が数人と相談して、平素自分
が、愛唱している琵琶歌の「蓬莱山」に引用されている「君が代」を選び、その作曲をフェ
ントンに頼んだということとなっています。
 しかし、その曲は、日本人の音感にふさわしくないということになりました。1880年(明治
13年)、宮内省雅樂課に委嘱し、課員数名の中から奥好義の作品が選ばれ、一等伶人
(雅楽を奏する人)の林広守が補作して、発表されたのがこの曲です。これに洋楽の和
声をつけたのは、当時教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケ
ルトです。
 この曲については、次のようなエピソードがあります。日本の代表的作曲家山田耕作氏
は、若い頃ドイツに留学していました。その頃、ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の
主な国歌について品定めをしました。その結果第一位に選ばれたのが日本の「君が代」
でした。
2、歌詞について

(1)「さざれ石の巌となりて」について

 「さざれ石というのは、細かい石のことです。さざれ石が固結した岩石を礫(れき)岩とい
います。つまり、さざれ石は巌になるのです。その順序はこうです。
 日本列島やアルプスやヒマラヤ山脈などのできかたをみると、大陸の周辺に地向斜と
いう細長い海ができる。そこに大陸から運ばれてきた小さな石(さざれ石)が堆積を続け
何千万年という長い間に、圧力で固結して岩石となる。そこが、やがて地殻変動で、隆起
して山脈となる。・・・という一連の現象が、地質学の造山論の骨子であります。地質学発
達以前にできた「君が代」が科学的にみて、現代の地質学の理論にピタリと合っているの
は不思議なくらいで、歌詞には非科学的なところは少しもないというのが地質学者の見解
です。
(2)「君が代は、千代に八千代に」について

 これは、「天皇の御代がいついつまでも」と言うような意味です。現代は、民主主義の
時代であるのに、天皇を讃える歌を歌うのは矛盾しているという考えもありますが、それ
は、表面的な解釈と申せましょう。
 現憲法の第一条には、
「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」
とあります。象徴という言葉を考えてみましょう。「鳩は、平和の象徴である。」というように
象徴とは、目に見えないもの表現しにくいものを、目に見えるような形に表したものです。
 天皇は、日本国民が一つに統合されるシンボルということになっています。したがって、
「君が代は、千代に八千代に・・・」の意味は、現憲法に照らしてみても、
「日本及び日本国民が、いついつまでも平和で栄えますように」
という意味になります。ですから、民主主義とは、少しも矛盾しないことになります。
 イギリスの国歌は、世界で最も古く有名なものですが、労働党内閣ができても、「神よ、
守れ、女王を」と歌っています。それで、民主主義と少しも矛盾しないことを、イギリス人
は知っているのです。
(3)「歌詞が小さい子供にはわからない」ということについて

 小学校の校歌でも、一年生や二年生にも全部意味が分かって歌えるような歌でなけれ
ばならないということになると、ある意味では、非常に幼稚な歌にならざるを得ません。だ
から、必ずしも歌というものは、全員が意味を完全に理解してから歌わなくてはならない
というものではなく、歌っていくうちに、だんだんその意味が分かってくるというものでよい
のでありましょう。国歌は童謡ではないのですから、ただ分かりやすい歌詞というだけで
は充分ではありません。
 日本を代表する歌の歌詞として、日本文化の中から生まれたもの、古くから人々に親し
まれ、しかも、格調の高いものであることが望ましいのでしょう。その意味でも、この歌は、
ふさわしいと言えるでしょう。
3,「君が代」と戦争について

 どこの国でも、戦争のときは国歌を歌い、その軍隊は、国旗を掲げて戦争をします。で
すから、どこの国の国歌も国旗も、みな戦争につながることになり、特に日本の国だけ戦
争の時、国歌を歌ったというわけではありません。戦争というものは、国の総力を尽くして
するものですから、どこの国でも国民の力を結集するために国歌を歌います。
 また、当然のことですが、「君が代」を歌えば、日本が再び軍国主義化するとか、戦争
につながるという議論は成り立ちません。 
 日本以外の国でも戦争をしています。それどころか、日本は世界の中でも戦争の少な
い国なのです。
 竹山道雄氏の「剣と十字架」によれば、1480年(文明12年-室町時代)から、1941年
の(昭16年)までの戦争の回数は、次のようになっています。
  イギリス 78回、 フランス 71回、  ドイツ 23回、  日本 9回 
 これによっても、日本は平和の続いた国だということが分かると思います。
 戦前、日本が軍国主義になり戦争になった原因は、平和を祈っておられる天皇陛下
の御心を思うことのできない一部の政治家や軍人、また、自分の利益のみを求める国
民の一部に原因があったといえるでしょう。
 天皇陛下が、平和を願っておられたことは、陛下の御製を詠むとよく分かります。アメ
リカとの開戦前、陛下のお気持ち尋ねられた時、日露戦争前に明治天皇が詠まれた御
製を繰り返し詠まれました。その御製とは、次のような和歌です。
 
 四方の海、みなはらから(同胞)と思う世に、など波風の立ちさわぐらむ

(海をへだてた我が国のまわりの国々は、皆兄弟だと思っているののに、どうして、互いに
敵として,憎み合い、戦争をしょうとさわぐのだろうか。)

4,国歌としての「君が代」について

 フランスの国歌は、初めから国歌として作られたものでも、定められたものでもないので
す。だんだん多くの人に用いられていくうちに定まったものです。
 これは、一例にすぎませんが、我が国の「君が代」の場合は、一つの法令が発せられ
ているから国歌であるとか、その法令が見当たらないから国歌でないなどと議論してこと
を決すべき性質のものではないでしょう。
 幾百年にわたって、広い地域で多くの先人に歌い継がれてきた「君が代」の和歌が、
興るべき時に際会して、稀世のメロディを得、世界に認められる儀礼曲となったもので
す。一千年を越す歴史の所産なのです。洋楽となってからも90年用いられて、今日に
至ったのです。
5,日本の国歌「君が代」と外国の国歌

 外国の国歌と比べてみましょう。外国の国歌は、戦争や血や敵などという戦闘的なイ
メージが多いのです。それに比べて、日本の国歌は、なんと平和な歌でしょう。
 初代の天皇陛下より、代々の天皇陛下は、日本国民を愛し、その幸せと日本国の発
展とを祈って来られました。それに対し、国民は、天皇様を尊敬し、お慕い申し上げて
きました。だからこそ、2千年以上もの間、この関係は続いてきたのです。
       日本国歌     
                                         
       君が代は、千代に八千代に

       さざれ石の巌となりて

       こけのむすまで         
参考資料
中国国歌                   アメリカ国歌
                     

立て、奴隷となるな            見よや 朝の薄明かりに
血と肉もて築かむ             たそがれゆく 美空に浮かぶ
よき国 われらが危機せまりぬ      われらが旗 星条旗を

今こそ 戦うときは来ぬ           弾丸降る 戦いの庭に
立て立て 心合わせ敵にあたらん    頭上を高く ひるがえる
進め進め 進めよや            堂々たる星条旗よ
                       
                        おお われらが旗のあるところ
                        自由と勇気共にあり    
  
                    
             「神の子の教育(下)」(日本教文社より)

http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11444027110.html

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