右翼というなかれ、日本がただ好きなだけ
「正論」12月号
http://www.fujisan.co.jp/からのウェブ購読で定期購読している「正論」ですが、書籍なら手元の目につきやすい位置にあるので気がつくけれど、いつでも閲覧できるのは便利である反面、忘れてしまう。
「正論」「WiLL」の2つを定期購読している。マスメディアは信用出来ないなか、数少ない言論雑誌です。今日は日曜日でゆっくり読んでみようと思いました。
たちあがれ日本を年寄りだと批判した橋下維新。たしかに石原慎太郎氏は齢80歳。しかし、終戦をまだ実体験で覚えている最後の世代である。このことは、戦後レジームを脱却する貴重な最後のチャンスなのだ。それに気づいている人なら、決して年齢で政治家の価値を判断しない。戦後教育で育った政治家が大勢を占める中、謙虚に聞く耳を持った人でなければ私を捨てて国を思う政治家にはなれない。なってはいけない。
保守を右翼だ、軍国主義だとするのは、左翼の攻撃方法だ。むしろ、彼ら左翼と違う普通の日本を愛する戦後日本人が右翼というなら左翼ではないなら、そうだろう。
近現代史を少しでも勉強すれば、欧米列強国のなかで唯一黄色人近代国家であった日本が置かれていた事実を知り、客観的に論理的に戦争の見方もでき、必然的に今の日本がまだ独立を回復していないことが論理的に理解できるはずである。
この戦後自虐史観をいま一度戻して、
自主憲法を制定することにまず取り組むこと。
自分の国は自分で守ること。
日本は、天皇を中心に仰ぎ、125代、2600年余り続いてきた世界で最も古い国なのだ。神武天皇の時代から、まず自然を大切にして、神を祀り、天皇のもとに民が話し合いによってまつりごとを行なってきた民の国、つまり民主国家なのだ。世界が羨む誇れるものがせっかくあるのに、なぜ西洋近代国家で生まれた民主主義VS社会主義など、政策・マニフェストによる二大政党制はなじまない。そんなたかだか100年しかない近代イデオロギーがナンセンスである。
国体は変えてはいえない。変える必要はどこにもないことが分かれば、保守とは理屈ではなく日本は日本である。イデオロギーではないから説明できない。だからがなりたてる左翼に保守は弱い立場に立たされる。
日本には日本党と、強いて言えばその他の政党でしかない。その保守政党が大同団結して自由民主党が生まれた。派閥はあった。つまり自民党の中に派閥政党が多数混在していた。その中で政権交代が行われてきた。
しかし今の民主党は、政党でも派閥でもなく、その反自民が集まった、右から左まで理念が違う団体の寄せ集まりであって、それは国政政党とはいえない。体をなしていない選挙互助会なのである。