菅直人新首相、仙谷由人官房長官誕生について

Kojiyama/ 6月 9, 2010/ オピニオン/ 0 comments

※ 菅直人新首相会見のブログにコメント、トラックバックいただいたいた方々にそのブログをこちらにまとめたためにお詫び申し上げます。

仙谷官房長官、公務員改革は「放り出し」
産経IZA 2010/06/09 02:13
菅首相の“女房役”に選ばれた仙谷由人官房長官(64)は、民主党政調会長や行政刷新担当相などを歴任した政策通として知られる。だが、昨年9月の政権交代後、仙谷氏が取り組んできた公務員制度改革担当相のポストはなぜかあっさりと玄葉光一郎政調会長(46)に譲渡。鳩山前政権が今国会での成立を目指していた公務員制度改革関連法案も会期延長がなければ廃案となる運命で、このままでは“放り出し長官”の汚名も着せられそうだ。(比護義則)


【断舌一歩手前】嵐の前?菅内閣スタート[桜H22/6/8] SakuraSoTV

菅新総理の記者会見を生で聴いていたが、体制に対する批判攻撃でここまでのし上がった人間にしては、初めて為政者の立場になって、華美な言葉はなく庶民的で当たり前のことを普通に無難にそつなく語っていた。

もうひとり気になるのが総理の女房役に抜擢された、仙谷由人官房長官についてである。
与党になって、菅新総理にしても仙谷新官房長官にしても、長い経歴から左翼イデオロギーから、当事者の視点に立つのだから、両氏ともに60歳を越えて、本来の左翼的行動家とは異なるまともな思想に近づいていると思っていいかも知れないが、外交は「アジア重視」を掲げ、過去の戦争の反省にたって中華人民共和国、韓国、北朝鮮と友好・協力関係を築くべきだと主張している。

自民党、社会党の与野党時代が長く続いて、まあ、学んだ環境がある意味で当時の反体制トレンドだったことが影響した中でのヒーローだったのだろうか。自民党が戦後をあまりにも独立国家回復の理念を忘れてその時々の舵取りを優先して替えようとせず、田中派以降利権構造を生み出し、修正できなかった自由民主党に不満を募らせた。政治を変えようとしても、地盤・看板・鞄がないとなかなか当選できなかったのも事実であるし、彼らを自民党批判に向かわせた原因であるように贔屓目にみることもできる。私自身そもそも自民党が嫌いだっただからだ。そんな自分が、あまりにも弱体化した今の自民党が可愛くなったのが、民主党がもっとデタラメの政党であることだ。それは自由民主党合同の自主憲法の初志を貫徹しようとされる故中川昭一氏や安倍晋三氏など少なくなった保守派がおられる限り、まだ復活の期待を拭いきれないでいるからだ。

日本の戦後、保守を担ってきた自由民主党ののれんを無くしてしまうのはもったいない気がするが、でも、相変わらず民主党に替わる第二党として旧態依然の自民党のメンバーが残っているだけでは、政治は一向に良くならない。

とにかく、一刻も早く良い政治だけをやって欲しいと願う国民がうんざりして鉄槌を下したのが政権交代だったのではないだろうか。そして、利権政治が終わろうとしていることは正しい。自民でも民主でもなく、瀕死のこの国を救うためには政党政治の無用な対立自体もいらない。

しいていえば、この国を愛しているか、いや国境などいらない、世界は一つだと現実を乖離した夢想を描く弁護士出身に多い議員の2つに大別されるのではないだろうか。ジョンレノンが歌ったように国境などない方がいいかも知れない。しかし現実は国境があり、そうは思わない最後の共産国家がすぐ隣にいるのである。
弁護士は法律からしか考えない。国会議員にその中でも人権弁護士が多い。法律がある以上、どんなに罪悪人でも弁護する。間違ってはいないかと思うのは、常識や人道を理解しえない抗争が起きる場合の法律である。それが不備があり正しくともそうでなくても。

この論理が、日本国憲法の9条は戦争放棄であるから自衛隊はおかしいとする護憲派である。そもそも二度と戦えないようにお仕着せの日本国憲法を制定し、左翼教育にさせられて65年も改正しない方がおかしいのに、そんな気持ちは関係ない思考停止の人々だ。そして旧社会党や共産党で政治をおかしくしたのは人権弁護士といわれる人々が政界に入ったからではないか。

土井たか子、福島瑞穂、仙谷由人、横道などなど。自民党の利権政治家同様に護憲派こそ、日本の独立に弊害を及ぼしてきた。
民主党の枝野幹事長も弁護士的に、小沢氏の国会喚問について、地検がすることで法的に問題ない以上は国会には呼べないと小沢擁護ととれる発言を行っていた。道議的におかしくても罰せられないザル法であることが問題なのではないか。

人間が作る法律がすべて正しいのではなくて、現実に対処できない不備は改めるのが法律であり、現法が正しいかは別問題だ。9条があるから平和が保たれているわけではないし、あくまでも米国によって弱体化された日本国憲法を65年も守っているのはおかしいのである。改めねば戦後は終わらない。

徳島県生まれ。父は裁判所書記官、母は高校教師。1964年東京大学に入学、全共闘運動のリーダーとして活動した。在学中に22歳で司法試験に合格、 1971年から弁護士活動を開始。弁護士時代は労組事件や日本教職員組合(日教組)関連の案件を扱った。また、所属していた弁護士事務所の部下に福島瑞穂らがいる。
1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧徳島県全県区から立候補し当選した。当選後は、社会党を現実的に政権を担える党に脱皮すべく、ニューウェーブの会のメンバーとして活躍し、山花貞夫委員長を首班とする社会党シャドーキャビネットで官房副長官を務めたが、1993年の宮澤改造内閣不信任可決の後実施された第40回衆議院議員総選挙では次点で落選し、社会党も現有議席を割り込んだ。社会党が名称変更した社民党を離党し、四国市民ネットワーク代表を経て旧民主党に参加。
2008年1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」に参加。たびたび、公の場で文化大革命を肯定的なニュアンスを含んだ喩えとして用い、自らの手による官僚の更迭も文革になぞらえた。。2009年11月12日、『毎日新聞』の政策情報誌「毎日フォーラム-日本の選択」のシンポジウム「政治は変わったか~民主政権の課題と自民再生への展望」において、行政刷新担当相として、事業仕分けについて、「予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と発言した。また、12月9日に、テレビ朝日『スーパーモーニング』内で、「事業仕分けで文化大革命が起こってますよ」と発言した[14]。さらに、12月17日に国家公務員制度改革推進本部[15]の立花宏事務局長ら10名の幹部職員を更迭した際にも、政治主導の文化大革命だと述べた。

七奉行の会

七奉行の会(は、民主党の鳩山・菅・小沢のトロイカ体制の次世代を担う有力議員のグループ、呼称。報道では「民主党七奉行」と表記されることもある。
渡部恒三が衆議院副議長を務めていた平成15年(2003年)に、民主党の次代を担うニューリーダーとして挙げた7人の議員と結成[1]。かつて自らが名を連ねた竹下派七奉行になぞらえて命名した。
世話役の渡部を初め、仙谷由人や前原誠司など民主党内でも小沢一郎(元代表・現幹事長)に批判的とされる議員が多いため、メディアなどからは「反小沢派の連合」と看做されている。また、小沢や鳩山由紀夫、菅直人ら所謂トロイカ体制に対して、世代交代を図ることも目標にしており、さしあたり代表経験者でもある岡田・前原が潜在的な代表候補である。
ただし、若手中堅リーダー格、反小沢という共通項以外は、各々の政治的立場や主張は違う。特に各々の立場の面という面では、前原、枝野と彼らの後見人とされる仙谷は同じ前原グループ(凌雲会)に属しているが、岡田は無派閥、野田、玄葉、樽床は野田グループ(花斉会)。7人が同じ派閥(グループ)で結束したり歩調を合わせたりしているという事でもない。その他にも、かつての竹下派七奉行ほどの個性の強さや指導力が見られない点も特徴として挙げられる。ちなみに世話役である渡部は羽田グループ(政権戦略研究会)に属している。また、7人の中で樽床は、野田、前原と同じ松下政経塾出身で野田の後輩、前原の先輩である3期生で、要職を歴任し、知名度も高い他のメンバーと同列に扱うにしてはやや影が薄かった。平成22年6月鳩山由紀夫代表の辞任に伴う民主党代表選に出馬して一般にも知られるようになったが、対立候補である菅直人を支持した他の6人とは異なる対応となった。後述のように自らは七奉行から「卒業」したと認めるなど、今日では一線を画す存在とみなされている。

鳩山由紀夫代表時代

平成21年の民主党代表選挙では岡田を擁立して鳩山由紀夫と戦ったものの、メンバーの多くがその後政権交代に伴って発足した鳩山内閣の閣僚に登用され、鳩山内閣を支えていくことで一致した。会合自体も政権交代後暫くは行われてこなかったが、小沢訪中団や天皇特例会見問題など、小沢の「暴走」が強まった12月に再開した。陸山会の土地取引に絡む政治資金規正法違反事件によって小沢の元秘書石川知裕衆議院議員が逮捕された後は、渡部が公然と小沢批判を展開する以外は表立った声は上がらないものの、会合では小沢の幹事長辞任を求める声や、続投を認めた鳩山を批判する声も上がった。
その後、小沢に対する世論の風当たりが強まったことから、前原や枝野はポスト鳩山も視野に徐々に小沢批判を滲ませた。また七奉行の中でマスコミへの露出度の比較的高い前原がマスコミ等では「反小沢」の急先鋒とのイメージで報道される事が多い。高速道路の料金の新体系を前原が国土交通大臣として、小沢の意向を取り入れる形で発表した直後(2010年4月)、小沢がそれを批判したため、前原も折れず、マスコミでは「前原VS小沢」との対立構図で報道されることが増えている。小沢との距離の遠さという事では、仙谷が一時、小沢批判の急先鋒とみなされていた。岡田、枝野らは潜在的に「反小沢」であったが、2人とも内閣に入ってからは発言は控えめであった。

菅直人代表時代

鳩山の退陣に伴い平成22年6月4日に行われた民主党代表選挙では樽床が出馬したが、対立候補の菅直人の推薦人には仙谷を除く5人(岡田、前原、枝野、野田、玄葉)が名を連ね、仙谷も当初から菅陣営の一角として動いた。特にかねてから小沢に接近していた樽床は、事実上一新会(小沢グループ)の一部の支援を受けて立候補し、七奉行からも「卒業」したと発言するなど、実質的に離脱したとされる[4]。
代表選に勝利して発足した菅直人政権では、その樽床も含めた7人全てが主要閣僚・党幹部といった要職として名を連ねている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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