看護婦さんではなぜ悪い?

/ 5月 16, 2010/ オピニオン/ 0 comments

日頃から思っていたことがある。そんな的を得た記事だった。男女を問わず「看護師」ということになった。これは男女雇用均等法によるものなのかは定かではないが、同じころではなかっただろうか。

しかし、記事のように違和感を感じていた一人である。

産経IZA http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/391326/
「看護師」と表記しなくてはならないことは知っている。だが、あえて本稿では「看護婦さん」と使い分けた。看護の世界で、質、量ともに、男性の存在が女性に伍(ご)するようになったとき、「看護師」という言葉をもっと自然に使えるようになるだろうか。実感の伴わない言葉は、新聞に載せても、ただの単語でしかない。(編集長 別府育郎)

看護婦さんと呼んでは男女差別なのだろうか。自分も入院経験があるので同感だ。どちらかというと、男の看護師さんよりも女性に看護された方が安らいだ。それはこまやかな気遣いは男性よりも女性に軍配が上がる。ベッドから移動する際や暴れたりした患者に対する力仕事などは男性の看護師さんに軍配が上がる。

男女の適正に応じた適材適所であり、それぞれの役割分担があるとすれば、呼ぶ際にどちらも看護師さんでは面倒である。男性の才能が必要なら看護師さん、女性が必要な場合は看護婦さんでいいのではないだろうか。

英語のMr.とMissの言葉も廃止すればいいのか。相手が女性であるのにMrは失礼であろう。男女の違いがある以上、性別を区別するのは差別ではなく合理的な用語である。放送大学でジェンダーフリーについて学ぶ機会があった。しかしジェンダーフリーとは何なのかわからない。マルクス主義と同様に現実の合理性を無視した空論である。

学校でも同じ○○君に統一するのがいいのだろうか。ややこしくないか。私には姉が二人いるが、もし片方が兄であったら姉も兄でなければならないのだろうか。姉に兄さんって呼んだらぶん殴られていただろうと思う。看護師の誰々さんなのか看護婦の誰々さんなのか、同姓がいれば緊急時にややこしい限りである。こういう平和ボケの本末転倒な馬鹿は、人権を拡大解釈する福島瑞穂や社民党、田嶋陽子、民主党などもてない連中で十分だ。女性であれ男性であれ、尊敬される人は尊敬されるのである。

少なくとも、結局、染色体からも不完全なYの男よりXの女性の方が強い生物であることは構造上間違いないのだから。生きて元気な内は威張れるだけ威張らしてやればいいじゃないか。

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