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【幕末から学ぶ現在(いま)】 日本の維新に必要なこと

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(49)東大教授・山内昌之 井伊直弼(下)「井伊直弼と“政治家主導”の限界」
産経新聞 2010.2.11 08:39

 ■“政治家主導”の限界

 井伊直弼の大老就任には、現代にも通じる政治の本質にかかわる問題が潜んでいる。まず第1に、政治と軍事の最高責任者たる徳川将軍は、血筋で選ばれるべきか、能力で推挙されるべきかという統治の正統性である。

 黒船来航で風雲急を告げる時代の舵(かじ)取りは、13代将軍の家定という「菽麦(しゅくばく)を弁ぜざる昏主(こんしゅ)」(形の違う豆と麦を区別できないほど暗愚な君主)では無理なので、英明の誉れが高い一橋慶喜(後の15代将軍)を推戴(すいたい)するべきだという考えもあった。

 現代人の感覚では、もっともらしく聞こえるが、この意見は世襲による天皇や将軍の血統や筋目を尊重した時代には大きな論点を含んでいた。家定が事物の道理を分別できないほど痴愚だったか否かにも意見が分かれる。
 もし年長賢明な将軍でなければダメというなら、年少不明な後継者を直系であっても廃立する「革命」や権力簒奪(さんだつ)の論理につながりかねない。

 8代将軍、吉宗が英明な次男の田安宗武(むねたけ)を退けて、暗愚でも長男の家重を将軍にしたのは、筋目を重視して簒奪の論理を拒否したからである。ただし、この選択が成功するには、内閣や首相に当たる大老や老中などの幕閣が正常に機能し、国家が円滑に運営されることが前提となる。
(中略)

直弼には、徳川幕府は天皇から委任された統治権限に基づいて外国と条約を調印したという自負と自信も強かった。外国と結んだ条約をほごにするのは不可能であり、世界情勢を観察し、日本の安全を図って実現した開国なのである。目先に迫った外交危機を解決するには、いちいち朝廷の指示を仰ぐ暇も必要もないという“政治家主導の国事行為”に満々たる自信をもっていた。
 しかし、この姿勢は国学者として遺憾であり、天皇をないがしろにすると映り、尊攘(そんじょう)派を怒らせることにもなったのである。

 ◆優秀官僚粛清の失敗

 “政治家主導”を高らかに掲げ、徳川の権威回復に乗り出した直弼は、もう一つ大きな失敗を犯した。それは、大胆な政策遂行の上で手足とすべき幕府の優秀な実務官僚層を粛清したことである。外国奉行となった旗本の官僚5人のうち、水野忠徳(ただのり)、永井尚志(なおのぶ)、岩瀬忠震(ただなり)の3人は一橋派だったのでまもなく罷免されてしまった。

 また、京都に出張した川路聖謨(としあきら)も職を追われている。最大政治課題の対外関係を処理できる有能な人材を追放した結果、残った俗吏は悪辣(あくらつ)な外国公使の駆け引きに翻弄(ほんろう)され、幕府をますます衰退に追いこんだ。欧米の威嚇を恐れて要求をいれるとますます軽侮を招いた。幕府の威信低下は、まず外交から始まったといえるだろう。

 ◆称賛できないこだわり

 直弼を「開国の卓識者」と手放しで称賛できないのは当然なのだ。もし直弼が果断に世の議論に耳を傾け、岩瀬などの開明官僚を活用する雅量があれば、外交にも大きな成果を発揮したはずだ。

 大老による“政治家主導”にこだわるあまり、幕府を一橋派の“官僚支配”下にあると見立てた幻影への思い込みを現代に見いだすのは深読みにすぎるだろうか。

スペインの大航海時代から続く欧米列強の植民地政策は、江戸末期には新興国アメリカの太平洋航路開設によって、これまで大西洋ルート、インド洋ルートでアフリカ、アジアに植民地を維持してきたヨーロッパの植民地は変化していく。アメリカは日本だけではなく、朝鮮や清国にも開国を迫り不平等な通商条約を結んだ。ところが日本だけが植民地化を乗り越えられたのは、旧態依然の王朝体制を維持しようとして対応できなかった清や李氏朝鮮とは異なり、草莽崛起した諸藩の志士とそれを援助した薩摩などの大名である。幕府の中でもこのままで大勢を維持させようとした井伊大老は、必ずしも視野が狭いだけではなかったかも知れないが、武士としては有名無実化していた血統保身の封建体制化では無理があった。

最先端の教育と能力のある既成概念に囚われない人々が、上下の身分や幕藩にかかわらず、天皇を仰ぎ神国日本という共通認識のもとに官民一体となって能力主義で明治新政府をつくり、近代国家に転換を図ることができたからだ。

伊藤博文は、長州萩の貧しい下級武士に生まれながら、吉田松陰の松下村塾に学んだ一人だが、総理として大日本国憲法や議会制度を築き、引退後も例外的に爵位を拒み、絶えず己のことより国のことばかりを考えていた。

門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山縣有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎らがいる。また木戸孝允も塾生ではないものの明倫館時代の松陰に兵学の教えを受けている。

原敬も平民宰相として爵位を拒否し続けた。聖人君子にはなかなか成れないが、だからこそ、いつまでも日本を築いた大政治家として尊敬されるのだろう。

日本の歴史上、太平の世が260年も長く続いたのは江戸時代だけです。それは戦後、保守の自由党と民主党が合同して左翼政党に戦って、自主憲法を制定する民主主義国家を目指してきた60年の自民党時代に似ています。

しかし、東西冷戦構造が崩壊したことで、イデオロギーの表面上の政党構造も崩壊しました。そして偶然ですが、元号が平成と替わった20年間は、江戸末期の幕藩体制に似ています。鎖国から黒船出現による外圧で開国政策をとったように小泉構造改革はアメリカからの国内経済の自由化を迫られました。そしてITによって情報のグローバル化と世界同時に伝わる速度は加速しています。民主党に政権が交代する前には首相が1年で代わる事態が3回も続きました。そして、自民党から民主党への政権交代が実現しました。

それは民主党のマニフェストが支持されたというよりも、自民党政治への三行半であった。といっても、それは自民党だけの責任とは言えないだろう。政治がテレビショーになって身近になった反面で、大衆迎合の口当たりの良いその場しのぎの公約に左右され、勢いというポピュリズムで動く度合いが増したことは、多数決が絶対だという民主主義の最も弊害である衆愚政治に陥る危険性である。

消費税を掲げれば不利になり、脱官僚、天下り禁止といえば官僚叩きに流れ、郵政民営化だけを争点に選挙をする。メディアは政治をヒーローと悪役という時代劇の対立にして面白くする。その方が面白く分かりやすいから、メディアからはいいのだろうが、国家国民という目線はない。それは政治もただ政党が有利になることが国政よりも優先する。

国家の危機に直面した政局は、小選挙区制では各選挙区での得票数には大差がなくても、中選挙区制ならば2人や3人が当選できたものが1人区が多いために、各選挙区で当選した政党の議員数が、総合すると大きく変わることになる危険性が高いという弊害が起きる。結果的に民主党が圧倒的に議員数を伸ばしたことは、民主主義を揺らがす。

いまこの平成の危機を救うには、幕末から学び、幕府でも井伊でも、攘夷でもない、私欲を捨てて国のことを思う人が政治を担えるように仕組みを変えるべきである。政治家が官僚が、民間人が、ではなくて、西郷、勝、龍馬らには世界情勢から固定観念に囚われずに大局を観るバランス感覚が維新を成し得たのではないか。

民主党政治は自民党政治の終わりの終わり

「WiLL」6月号の『総力大特集 日本を建て直す!』「志民」の力でよい国つくろう!」 日本創新党代表・山田宏・櫻井よしこ両氏の緊急対談で、山田氏は、民主党政治は自民党政治の終わりの終わりだと思います。
櫻井 なるほど。両者は対立しているけれども、同じ根っこですね。民主党の顔ぶれを見ると、鳩山さんや小沢さん、岡田さんもみんな旧田中派ですものね。

山田 戦後日本幕藩体制です。今回の政権交代は、老中の交代に過ぎません。よく言って将軍の交代です。徳川家も長く紀州から選ばれ、十五代将軍の慶喜になって水戸になりました。自民党から民主党とは、紀州から仲が悪かった水戸に徳川家の中で変わっただけ。

ところが、現在はそれで乗り切れる時代ではありません。我々も含めてこれから時代を作る新党は、有名人やタレントを集めて自己満足でやるのではなく、国民全体を巻き込んで志ある人たちが進んで参加できる環境を作らなければなりません。

人格を高める教育

櫻井 そこで、日本国家としての未来の姿についてですが、とくに教育と安全保障は非常に重要な分野になるかと思います。まず、志を共有できるかは教育にかかっています。ここをどうするのか。
山田 教育はこれからの志ある国家作りのためには、最も重要視しなければなりません。
(中略)

今までは、「私がなりたい、だから応援してくれ」というのが日本の選挙でした。それも大事で、私もそうやって立候補しました。しかし一方で、こういう人にこそ政治家になってほしいという国民からの推薦があってもいいと思っています。たとえ有名でなくても、この人は政治家になってほしいと、そういう人たちを候補者にと思います。メンバーは、志を優先して募っていくというのがこの党の基本です。

戦後政治の終わりのはじまり

山田 (中略)自分の国は自分で守るという国家の一番大事な自立の精神を置き去りにして、他国に自国の防衛を依存してきました。この国家としての自立を失った時点から、「依存心」が国の中で少しずつ病魔のように社会を蝕んでいきます。その結果、政治家は国民の顔色を窺い、国民は国家に要求をする「依存型国家」になってしまったのです。

これから防衛・外交については、基本的な日本人の精神として、自分置くには自分で守ることを基本に示していく必要があります。同時に、現実主義に基づいた外交・防衛を展開するべきであって、日本の周囲がいったいどうなっているのか。日本の油や物資がどこから、どれぐらいの距離をどう運ばれ、その周辺にはどのような国家が勃興しているのかを政治家が正面から語り、国民の中に自分の国は自分で守るという、どこの国でも当たり前の風土を形成していく必要があります。

維新を起こした勝海舟と西郷隆盛


【荒谷卓】日本の維新に必要なこと[桜H22/5/11] SakuraSoTV

米国の総領事ハリスが下田に赴任し日米交渉をしたときの様子

ハリスの主張は、はなはだ強硬であった。
交渉に当たる幕府は何とかしてハリスの要求を押し返そうとするのだが、彼は少しも聞き入れなかった。

無理もない。彼が天下の公儀と必然の理を持って主張してくるのに対し、幕府側は、日本国内の小節に立って対応しているのだ。だから一言言い負かされ、先方の言うとおりになってしまうのである、これがアメリカの軽蔑を受ける第一歩であった。

幕府は、泰平時の古い考えに立脚して何が何でも拒むのだが、相手が威力で圧倒してくるとたちまち屈してしまうのだ。
許されてならぬものが許される。こういう事態を見せるのだから、愚弄されないわけがないのである。

幕政内の破廉恥

外国人と手を結ぼうとしているものがあるという。幕府はフランスから、長州藩はイギリスから資金借款したと言われる。

フランスは銀狐、イギリスは飢虎だ。もしこの噂が真実であるなら、天下の大乱、万民が塗炭の苦しみに陥ることになる、悲嘆に涙して私が主張しなければならないのもここにある。

災いとは天から降ってこない。小人が起こすのだ。幕府が堂々たる姿勢に立ち戻りさえすれば、どのようなかん邪(女へんに干)のたくらみも破産し有益なものが残るであろう。

幕政につくものに「私」があれば人々はもっとはなはだしい「大私」で応じてくる。たとえ人々に「私」があっても、こちらが「正」を押し出し公明正大を保つのであれば、これに感服してこない日本人はいないはずだ。
勝海舟文言抄

日本を洗濯いたしたき心願

誠に嘆くべきことは、長門の国(長州)に戦争始まり、六度の戦い、日本に、はなはだ利少なく候。あきれ果てたることは、その戦いたる船を江戸で修復いたし、また長州で戦い候は、これみな姦吏の夷人に内通いたしたるものにて候。
右の姦吏などは、よほど勢いもこれあり、大勢にて候へども、竜馬、二三家の大名を約束いたし、同志を募り、朝廷より先ず神州を保つとの大本を乞うてそれより江戸の同志(旗本、大名等)と心を合わせ、右申すところの姦吏を一時に軍をいたし打殺し、日本を今一度洗濯いたしたしたきの心願にて候。
坂本竜馬 姉乙女への書

正しい道を踏み、国を賭けて、倒れてもやるという精神が無いと外国との交際はこれを全うすることは出来ない。

外国の強大なことに萎縮し、ただ円満にことを納めることを主として、自国の真意を曲げてまで、外国の言うままに従う事は、軽蔑を受け、親しい交わりをするつもりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。

国が外国から辱めを受けるようなことがあったら、たとえ国が倒れようとも、正しい道を踏んで道義を尽くすのは政府の努めである。

しかるに、ふだん金銭、財政の事を議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思いきや、実際に血の出ることに臨むと頭を一か所に集め、ただ目の前の気休めだけを謀るばかりである。

戦の一時を恐れ、政府の任務を落とすようなことがあったら、商法支配所と言うようなもので政府ではない。

『遺訓』  西郷南州

命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は始末に困るものである。このような始末に困る人でなければ、困難を共にして、一緒に国家の大きな仕事を大成することは出来ない。しかしながら、このような
人は凡人の眼では見抜くことは出来ない。
孟子の書に『(天下の正しい道を行う人が)もし、志を得て(国に)用いられたら一般国民と共にその道を行い、もし志を得ないで用いられないときは、独りで道を行えばよい、』
『遺訓』  西郷南州

政権側の山岡鉄州に言った言葉だとされている。
(皮肉にもその山岡の子孫の養子に入った人間が与党にいる)
改革を出来る人とは
制度や法律を作ったからではなくて、人物がいるかいないかである。
組織疲労した組織にいるよりは、闊達に細胞活性化できる個人としてその志しに従って活動した方がる方がよほど
力になる。
そのことが歴史上証明されている。

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