【陸山節考】大して歴史も知らないことが証明された小沢氏韓国講演

/ 12月 17, 2009/ オピニオン/ 0 comments


【石平】中国・人民解放軍は何をやってきたのか[桜H21/12/15]
小沢一郎幹事長はおかしい。日本人にはある恥を知らない。
自民党幹事長時代から破壊屋といわれ、一般の常識では考えられない独断的な言動に振り回され、細川・羽田と時の政権はいずれも彼の独断的な横暴によってまとまるどころか短期政権に終わっている。なぜそれほど独善的な政治家が権力を持ち続けられるのだろう。人相は悪人顔である。
こうした無節操な独裁思考はどこから生まれてくるのであろうか。なぜ常に彼に振り回されなければならないのだろう。なぜ日本人的な気配が感じられないのだろうか。
唯一彼の理解不能な豪腕に対抗できたのは小泉純一郎元首相であった。彼には小沢氏の権力のためなら手段を選ばない無茶苦茶な言動をもはね飛ばす変人といわれるブレない(聞く耳も持たぬ)言動だった。そして小沢自由党は解党の危機を迎え民主党と合流した。
毛沢東は農民や山賊たちを解放という名目で共産党を組織し、中華民国政府である蒋介石の国民党と国共合作で米国に巧みに諜報活動を繰り広げ日本と戦いながら、蒋介石を台湾に追い出して共産国家を建設した。
いまや民主党は中共*1共産党のようにひさしを貸して母屋を乗っ取られてしまった。内閣の上に小沢主席が君臨し、政府を操ろうとまでしている様相を見せ始めた。彼は民主主義を無視していると非難するが、それは自分ではないかと鳩山首相にも共通する矛盾で、自分のことを非難される前に他人にすり替えて発言しているのではないかと言いたくなることだ。それは自分自身が思っているから他人を同一に見ているからではないだろうか。
*1:あえて中国とは言わない。中華人民共和国、通称国名はChina(支那)であり、中国とは中華民国(Republic of China)であり台湾は国名ではないから。日本はNipponだが世界的な通称国名はJapanである。
あるブログから知って講演を入手しました。それでは小沢幹事長が中共訪問をわざわざ切り上げて、李明博大統領が申し込んだ会見を断ってまで韓国の大学で行った講演をどうぞ。今日ではあらゆる書物で書かれネットでも知ることのできるような知識よりも、過去の学者の一意見に過ぎない歴史を学生にわざわざ講演する意味があるのか分からないのだが。このような憲法や歴史に疎い人物が与党のドンなのだから恥ずかしくなる。

小沢一郎、韓国で売国公演 1/5

小沢一郎、韓国で売国公演 2/5

2009年 12月12日
私は歴史が好きなもので勉強した。
「天皇を訪韓させることもできる」
「天皇陛下の行動は、日本政府が自由に決めることが出来ると憲法に規定されている。 」
・韓国人が日本に移り住み、初代天皇になった。
・仁徳天皇陵を発掘したらはっきりするはずである。と
著名な先生が唱えている。
・これ以上言うと日本に帰れなくなるが歴史的事実であろう。
・天皇陛下も「桓武天皇の生母は百済の王女だった」
と認めている。
・日本人は自立心が足りない国民だ

よくここまで無知をさらけ出して恥ずかしくないのかな
だいたい、政府が忙しい時に国税で640人も団体で物見遊山に出かけ、韓国の地方大学で誤った歴史認識で日本を代表して謝罪する資格と歴史家でもないのにあやふやな知識で歴史を講演する神経がわからん。日韓にはもっとしっかりした歴史学者がたくさんいる。
ふつうの人間なら知らないことは調べてからしゃべるが、先の天皇陛下会見ではよく法学部で司法試験を受けようとした(受かっていない)のかと思える間違った憲法解釈を傲慢に話し馬鹿ぶりが露呈されたが、歴史認識も薄っぺらでかなり古いまま止まっている。
韓国人が日本に移り住み、初代天皇になった。
古事記・日本書紀に記述されている誰を初代の天皇とするかは議論が分かれているが、初代が朝鮮半島人だとは書いていない。その頃、百済も新羅も存在していない。
騎馬民族征服説なんて否定されている。
大仙古墳は伝仁徳天皇陵という。最近は仁徳天皇陵とは言い伝えであり仁徳天皇とは確定していない。
 日本の文化はすべて朝鮮半島から伝搬されたと主張する学者がいます。どうも朝鮮半島からの渡来、文化の起源説などが強調されすぎているようにも見えますが、日本列島はまだ統一されておらず、楽浪郡(紀元前108年 – 313年)との交流があったと考えられています。古代朝鮮半島は中国王朝の郡県、つまり直接支配の地域でした。後の朝鮮半島全域に出没した倭寇も含めて考えると、朝鮮半島や中国の東海岸は、実際には日中朝の人間が混在していた場所であり、また日本は文化に関しては中国に文化の起源を求めていた、と考えるのがよさそうにみえます。たしかに鉄器、焼き物をはじめ仏教や寺院建築、漢字(文字)などは朝鮮半島経由から伝来したようですが、朝鮮半島も三国時代に中国から伝搬したのであり、鉄器、稲作、焼き物、古墳などが百済や高句麗から発祥したのではなく、中国大陸江南(長江南部)から東シナ海に水紋のように稲作と同時に朝鮮半島南部・済州島・対馬・九州北部などに同時期に波及して伝わったとみた方が合理的です。彼らは船を巧みに乗りこなしたので陸路でわざわざ半島を歩くより日本海流(対馬海流)に乗れば沖縄諸島・済州島や朝鮮半島南部・九州北部・出雲地方など日本海沿岸に流れ着くからです。
DNA研究の進展
http://sakezo.web.fc2.com/kyusekki1.html#DNA
  日本人の起源は南方系の縄文人と北方系の弥生人であるとする埴原和郎氏らの二重構造説がりました。しかし、すくなくとも従来の時代的概念としての縄文人/弥生人という単純な図式では説明できないとする説が台頭し、今日では埴原氏の二重構造説には多くの批判があります。他方、日本人が重層構造であることは人類学者・考古学者の間では支持する意見が強く、また、分子人類学的なDNA解析(ハプログループによる地域的分布の解析)もあくまで生物学的データであり、文化的な交流や、実際の移動の実態および移動の理由などについては、今後も文化人類学、歴史学、考古学など周辺諸科学の総合的な調査が求められます。
 1980年代からのミトコンドリアDNA研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになりました(ミトコンドリア・イブ)。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、また民族集団の系統も推定できるようになりました。ただし、ミトコンドリアDNAは形態の生成に関与しない遺伝子であり、DNAタイプ(ハプロタイプ)と形質的特徴(骨格、体格、顔、皮膚など)とは必ずしも対応しないとされています。
 この母系をたどるミトコンドリアDNAに対して、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展しました。ヒトのY染色体のDNA型はAからRの18系統があり、これらはアフリカ限定のA系統とB系統、出アフリカのC系統、DE系統、FR系統に分けられます。崎谷満氏の分析によれば、これら5系統のうち、世界の多くの地域ではせいぜい2系統しか見られませんが、日本人にはC,DE,FRの出アフリカ3系統すべてが見られ、従来の予想に反して日本人の遺伝子は多様であることが分かりました。日本人は、D2系統とO2b系統を中心に、多様な系統が混じり合っていることが分かりました。
 日本列島への渡来人は、一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの渡来の波があったと考えられています。また、そのルーツに関しても、黄河流域~山東半島、揚子江流域からの南方ルート、満州~朝鮮半島から、樺太など北方ルートの3つがあり、渡来の規模とともに今なお議論の対象となっています(最近の遺伝子研究ではおおむねにおいて渡来人は北東アジア起源が有力です)。山口県土井が浜遺跡の弥生人の人骨調査では、朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極めてよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国だったという説が有力になりました。彼らは元々日本列島に住んでいた人々ではなく、戦乱を逃れて日本に亡命してきたボートピープルだったことが裏付けされたのです。
水稲の稲作は朝鮮半島から伝わっていない
 日本民族は、DNA研究で朝鮮半島の人骨ではなく中国江南地方と一致する。水稲栽培を伝えたのは中国江南から朝鮮半島南部と九州北部は同時期ではないか。半島南部以外でジャポニカ種と同じDNAは発見できないし、朝鮮半島全域に稲作が普及したのは日韓併合以降である事実。現在でも朝鮮北部は水稲栽培に適さない。
 DNA鑑定によれば日本のお米であるジャポニカ種は長江以南が原産であって、青森三内丸山遺跡からみつかった米も縄文時代からジャポニカ米が栽培されており、水稲栽培技術は中国江南で行われたものとする説が有力です。陸路で入って来るには朝鮮北部では米が育たないことからも、中国→朝鮮半島→日本ルートは考えにくく、中国から発祥した先端技術が、朝鮮半島を含めた中国東海岸から経由して日本列島に伝搬していったと考えれています。魏書には倭国の倭女王卑弥呼も帯方郡(たいほうぐん)[*1]を通じて中国王朝と通交しています。帯方郡は楽浪郡(らくろうぐん)の一部で、紀元前108年から西暦313年まで朝鮮半島北部に存在した中国王朝の郡県、つまり直接支配地域にありました。東方における中華文明の出先機関であり、朝鮮や倭国の中国文明受容に大きな役割を果たしました。次の時代になって百済・伽耶・新羅という新しい国々が南方に生まれ、倭国同様に魏との冊封関係にあったわけです。したがって、朝鮮半島文化が日本の文化のルーツそのものであるとするには無理があります。銅鏡も中国から贈られたとされていますが、中国や朝鮮半島からは見つかっていないことから、日本で独自に製作されたという意見が有力視されています。
倭国(ヤマト)は朝鮮半島と同じ言葉だった?
日本語の起源
http://sakezo.web.fc2.com/jomon5.html
 日本語の起源に関する議論は、江戸時代から、新井白石『東雅』や本居宣長らの研究がはじまりとされます。アルタイ起源説、高句麗語同系説、朝鮮語同系説、オーストロネシア(南島)語起源説、混合言語説、クレオールタミル語説がありますが、決着はいまだついていません。
 1990年代後半からY染色体の DNA 型の研究が急速に進展し、日本列島では多くの系統が入り交じっていることが分子生物学的に実証されました。崎谷満氏によれば、Y染色体の分布からすると、日本語の母体は D2 系統の縄文人が話していた言語です。D2 はユーラシア大陸では絶滅しており、同族の言語はないと考えられますが、D2 と近縁の D1, D3 系統はチベットに存在しています。弥生人は長江文明の担い手だった O2b 系統であり、オーストロアジア語族の言語を話していましたが、それを捨てて日本語を受容したと推定されています。Y染色体の分布からは、従来の想定とは異なり、オーストロネシア語族を使用する民族集団とはほとんど遺伝的つながりが見られません。
 ところが、母系にしか遺伝しないミトコンドリアのハプログループに注目すると、日本には世界で日本人にしか見られない M7a というグループがあるそうです。これは台湾付近で発生し沖縄・アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしており、M7a を原日本人と仮定するならば、オーストロネシア語との関係が示唆されます。ハワイやアメリカインデアン、インディオ、ニュージーランド先住民であるマオリ人も、よく似ています。
 したがって、漢字が伝わる以前にすでに日本独自のことばが誕生していたのではないでしょうか。
天皇陛下も「桓武天皇の生母は百済の王女だった」
三韓時代
http://sakezo.web.fc2.com/asuka5.html
 4・5世紀の渡来人で代表的な集団といえば秦(はた)氏と漢(あや)氏(ともに個人名ではなく、集団名・一族名を指している)です。彼ら渡来人たちは優れた技術と能力を持ち、日本の国づくりを根底で支えたと言えますが、朝廷よりこうした職人集団は下に見られていました。
 東漢氏は百済から渡来した錦織(にしごり)、鞍作(くらつくり)、金作(かなつくり)の諸氏を配下にし、製鉄、武器生産、機織りなどを行いましました。蘇我氏はこの技術集団と密接につながることで朝廷の中での権力を大きくしていきました。
 西文氏(かわちのふみうじ)は応神天皇の時代に渡来した王仁(わに)を祖とする集団で、古事記・日本書紀によると王仁は日本に「論語」「千字文」を伝え、日本に文字をもたらしたとされます。西文氏は河内を本拠地として、文筆や出納などで朝廷に仕えていました。
 百済王(クダラノコニキシ)氏は、百済最後の王である義慈王直系の善光を始祖とする日本の氏族。百済を氏・姓(本姓)とし、持統朝に王(こにきし)姓を賜ったとされています。
 773(宝亀四)年、光仁天皇と渡来系氏族出身の女性高野新笠との間に生まれた山部親王(桓武天皇)が皇太子となりました。781(天応元)年、病が重くなった光仁天皇は、皇位を皇太子山部親王に譲り、桓武天皇が即位しました。平安時代は、初期とくに桓武天皇の母(高野新笠)が百済系和氏であったため、「百済王等者朕之外戚也。」(同二月二七日条)と厚遇を受けました。女子を桓武天皇・嵯峨天皇の後宮に入れ、天皇と私的なつながりを結んで繁栄を得ました。本貫地、河内国交野(カタノ)への天皇遊猟の記事は桓武朝以降、国史に多数見られます。
 当初より主たる者に従五位下以上が与えられ、中下級官人にとどまる者が多い帰化人のうち別格の地位にありました。つまり、異例中の異例であったということだ。女性高野新笠は渡来系氏族であるが百済の王女ではないし、和氏といっているように祖は百済らしい日本人としている。何代も前の祖先を百済人だとか新羅、中国系とするのは無意味であり、そもそも日本列島に先史から縄文以前は大陸と日本列島はつながっており、北方・南方から人がやってきた集まりなのであるし、日本列島ができ縄文期になっても半島にも列島にもクニ(国)という境はない。朝鮮半島も日本列島も環日本海というゾーンととらえるべきで移住集団なのだから、第一平安の頃、百済という国は 676年新羅によって消滅している。
 平安時代になると、東漢(やまとのあや)氏は高祖などの漢の皇帝を祖とするとしていたが事実ではありません。秦氏は秦(中国)の始皇帝の子孫としたので、互いに対抗意識をもっていたのかもしれません。
日本民族が百済や新羅の大臣になったり逆に日本の大臣に頻繁になったって?
 誰が?いつ?日本から朝鮮半島に渡って誰が大臣になった事実があるの?東倭(やまとのあや)氏、秦氏は渡来系和氏だが、すでに日本人であるし、直接朝鮮半島からヤマト朝廷に仕えた人はいない。
日本人は自立心が足りない国民だ
朝鮮の近代化と日本
http://sakezo.web.fc2.com/kindai8.html
保護国化の韓国
http://sakezo.web.fc2.com/kindai9.html
それは朝鮮民族だろう。事大主義(強い国に媚びる思想)によってある時は中国、ロシアと結び、不安定な朝鮮半島や中国東部(満州)は日本の脅威であったから、明治にアジアで唯一の近代国家となった日本が、清国の柵封体制に守られ独裁王朝の李朝を降ろして清国から独立させ初めて中国の属国から大韓帝国を成立させたのである。それは両班の身分制度に抑圧されてきた朝鮮民族の民意だったのだ。それでもまとまらないから首相を退任していた伊藤博文が初代総督として保護国化したが、反日運動によって混乱は収まらず日韓併合処置(植民地ではない本土とほぼ同等扱い)をとってインフラ整備、稲作、植林事業、大学や小学校を建てて漢字が読めないため眠っていたハングル文字をみつけて文字を教えた。ハングルを文字として普及させたのも日本である。近代化によって識字率と人口が大幅に増えた。
参議院選挙に勝つことだけに政府があるのか?
小沢氏のいう人間の資質とは、勉強しなくても良い。どんな汚い手を使ってもいいから政治権力を握ることがリーダーだといいたいようである。真の政治家は滅私奉公で国を思うが。
このような人物に逆らえない民主党や師と仰ぎ中国詣でをした新人議員たちは、国内はおろか中国や韓国からも後々笑いものとして歴史に残ることになるだろう。それは構わないが、日本人として恥ずかしい。このような無理難癖をつけてねじ曲げる思考回路は大陸系であり日本人には恥の文化として忌み嫌うものである。毎年恒例の済州(チェジュ)島の先祖のお墓参りはしなかったのか。その方が人間として大事だろう。
「 小沢一郎 済州島 」 で検索yahoo 約175,000件 、googleで 約 27,300 件
民主党議員は在日が多い。「外国人地方参政権」夫婦別姓などという国家解体の恐れがある憲法違反を来年国会に提出するといわれている。世界のどの国でも外国人参政権を認めていない。EUは同じEU内のキリスト教系永住者には地方参政権を認めているが、その他の国からの永住者には認めていない。在日朝鮮・韓国人は帰化率が高く在日籍は減っているが問題は中共の不法滞在者や永住者が在日外国人で最大になり増加していることである。中共は共産主義で選挙権はない国だ。日本に住んだら選挙権を与えるのもおかしいではないか。日本に永住したいなら帰化すればいいだけのことだ。左翼や団体ならではの論理的でなく詭弁で事実をねじ曲げる論法でお分かりだろう。まともに会話ができる日本人なのかが。こういう無茶苦茶なタイプは嫌いである。

小沢一郎 ~ 闇の系譜 :秘書逮捕の真相/北朝鮮との黒い関係 高画質
民主党にもまともな議員がいるのなら洗脳から目を覚ましたらどうか!!
自分が最大権力をもつためだけに生きがいをもっている子供じみた男である。
日本の政治をかき回して行きついた末かぶれているのは、中国共産党の恐ろしい本質を見ずに中国共産党に憧れているようだ。単なる強いものになびく朝鮮事大主義的な幼稚なミーハーだ。
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