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【政治家論】 “民意”を読む
【政治家論】 リーダーシップ(1)
【政治家論】 リーダーシップ(2)
【政治家論】 リーダーシップ(3)
【政治家論】 歴史的な岐路で(1)
【政治家論】 歴史的な岐路で(2)

日本の政治家に欠けているもの
リーダーシップがない
国際感覚がない
コミュニケーションの訓練をうけていない
英語力がない
政治記者も、政治家同士の人間関係にしか関心を抱かない。
京都新聞「政治家論」に興味深い内容がありましたので拾い上げてみます。
言葉の力 言語学者 東照二さんは
【2009.05.22掲載】
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/seijikaron/090522.html
修業不足 心に響く弁舌を
 古今東西、政治は言葉で動いてきた。時代を切り開く演説、当意即妙の受け答え、危機を好機に変える記者会見。でも今の日本の政治家の大半は明らかに言葉の修業不足です。
 例えば、聞き手(国民)中心でなく、自分中心か同僚議員に向けて言葉を発している人がほとんど。だから「民主主義の危機」「政権交代の意義」という抽象的な言葉が多い。それでは学者やマスコミには通じても、国民の心には届きません。
討論より対話
 近ごろ日本ではディベート(討論)力が重視されるが、私は賛同しません。大切なのはダイアローグ(対話)です。実はオバマ氏のスタイルはとても日本的で、相手を打ち負かすのでなく、話に耳を傾け、仲間意識を高めながら、目標に前進する。力による限界を認め、調和を大切にする。主語は“We”をよく使う。反対に麻生首相は「私は逃げない」などと“私”の多用で独善的な印象を強めた。言葉が思想を表す典型例ですが、危機に際して日米指導者の話しぶりが逆転するのは皮肉な現象です。
反応を分析
 どうすべきか。まず言葉の力を理解し、専門的なアドバイザーをつける。街頭演説もやりっ放しでなく、聴衆の反応を含めて記録、分析する。テレビのイメージCMに多額の資金をつぎ込むより、よほど有権者とのコミュニケーション向上には役立つはずです。
司馬遼太郎は「竜馬がゆく」で、事をなすのは弁舌や才智ではなく人間の魅力だ、と言わせた。一方、弁舌巧みな政治家というと、大衆を扇動したヒトラーを連想して危険視する人もいる。でも、オバマ氏やケネディ元大統領の言葉に危険を感じたでしょうか。
 弁舌が悪ではなく、行動が悪なのです。小泉元首相の雄弁を空虚だと批判するのは容易だが、対抗するメッセージを出せなかった側の責任も大きい。否定形だけでは人は動かない。政治家なら、時代に応じた言葉の力を身に付けるべきです。
私が望む3つの資質
◆情報トークと情緒トーク
◆聞き手中心の言葉
◆「力」より「共感」
テレビの功罪 フリープロデューサー 木村政雄さんは【2009.05.29掲載】
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/seijikaron/090529.html
 現代の政治家の条件は(1)自分の志を世のため人のために生かす心意気(2)そのための政策構想力、立案力(3)民の支持を得るための表現力、コミュニケーション力-に尽きます。
“劇場型”の虚実 演劇評論家 太田耕人さん【2009.06.05掲載】
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/seijikaron/090605.html
◆感じたことを表現する能力
◆「空気」を読む力
◆「普通の人」の感覚
誘惑の効用 文化人類学者 田中雅一さん【2009.06.12掲載】
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/seijikaron/090612.html
◆応援したいと思わせる度量
◆ノリを大事にする気持ち
◆ユーモアによる自己表現力
輿論なき世論 メディア史家 佐藤卓己さん【2009.06.19掲載】
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/seijikaron/090619.html
「多数意見に従う」は無責任
 私たちは、世論(せろん)に基づく政治こそ民主主義だ、と学校で教わります。また、世論調査の結果こそ「民意」だと思いがちです。だから、内閣支持率は時に政権の命運を左右する。でも、そんな世論調査至上主義が民主的な政治の姿でしょうか。
 もともと「世論」というのは、世間にある雰囲気という意味でした。理性的に議論されて作られる意見は「輿論(よろん)」といった。公的な責任ある言論を指し、両者は戦前まである程度は使い分けられていた。それが戦後、当用漢字から「輿」の字が外され、世論と書いてヨロンとも読むようになった。だから今の『世論』の中身はあいまいです。
熟慮なく判断
 多くの世論調査は、電話での質問にイエスかノーか、支持か不支持かなどを短時間で答える方式です。熟慮して判断するというより、大抵の人は、世間の多数意見をかぎ取り、自分を合わせるか否か、で決める。質問方法で回答が誘導される場合もある。そんな無責任な空気が集まった「世論」に基づく政治は、本来の「輿論」に基づく民主政治という理念を揺るがせているだけです。
「科学的な」世論調査の開始は米ギャラップ社設立の1935年。大恐慌から抜け出すためのニューディール政策が議会で抵抗にあったルーズベルト大統領は、「民意」を後ろ盾にするため、世論調査をその道具として活用した。その発展の経緯を見ても、世論調査は決して議会制民主政治のために生み出されたものではないのです。
 ただ、人々の感情は政治を決める重要なファクターなので、政治家が把握しておくのは不可欠でしょう。輿論は理性的な意見、世論は情緒的な気分だが、両者は別々に存在するわけでもない。多くの人は感情をきっかけに考えをまとめていく。問題は、政治家自身の信念や議論してきた意見と、「世論」が食い違った時の判断です。
風向きでしか
 「世論」追従の政治の最大の欠点は、責任の所在があいまいになることです。誰の主張か知らないが多数意見だから従おう、というのは没主体的で、政治家のとるべき態度ではない。経験不足は明らかなのに、人気が断トツだった安倍晋三氏を首相に担ぎ出し、支持率が下がればさっと見放した一昨年の光景は象徴的でした。世論を反映した、という口実のもと、政治家もマスコミも国民も責任をとらない。
 世論調査の結果は一つの風向きでしかない。本来はそこからが政治の出番。人気がない政策でも、では支持を増やすためどうすればいいか、を考えるのに活用すべきものです。今の政治家はその数値に一喜一憂し、民意にどう乗っかるか、ばかり気にしている。
 そもそもすべての国民が責任ある意見が持てるのか、という悲観的な議論もあるが、定額給付金をめぐる世論は一考に値する。調査結果では、現金給付という即時的な私的利益より、将来の国家財政への懸念が上回った。長い時間軸で公的な政策を検討する土壌が失われた訳ではない。政治家も国民もまずとるべき態度は、「民意」と呼ばれるものを前に、それは輿論なのか世論なのかと悩み、見極めることです。そのために、「輿論」という言葉と意識を復活させることが必要です。そこで初めて無責任な空気に流されやすい「世論」を批判的に読むことができるでしょう。
 政治家も国民もまずとるべき態度は、「民意」と呼ばれるものを前に、それは輿論なのか世論なのかと悩み、見極めることです。そのために、「輿論」という言葉と意識を復活させることが必要です。そこで初めて無責任な空気に流されやすい「世論」を批判的に読むことができるでしょう。
私が望む3つの資質
◆粘り強い歴史的思考
◆人間に対する洞察力
◆組織を動かす力
「輿(コシ)」は人を乗せ人力で持ち上げて運ぶ乗り物。日本では、天皇や貴族、大名など身分の高い人が乗る交通手段であった。御神輿、玉の輿とかいいます。

清水ミチコ ものまねバトル
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