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【政治家論】 “民意”を読む
【政治家論】 リーダーシップ(1)
【政治家論】 リーダーシップ(2)
【政治家論】 リーダーシップ(3)
【政治家論】 歴史的な岐路で(1)
【政治家論】 歴史的な岐路で(2)

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【政治家論】 “民意”を読む
http://koujiyama.at.webry.info/200912/article_23.html
の続きです。
京都新聞連載「政治論」第3部 リーダーシップ【2009.07.17掲載】連載から
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/seijikaron/090717.html
(1)力を抑制する姿勢 霊長類学者 山極寿一さん
10年先の日本の姿 具体像示せ
 ゴリラの雄を見ていて、かっこいいと思うリーダーは普通以上にゆっくり行動し、セコセコしてないゴリラ。力を抑制しているのが、リーダーの条件です。動物行動学でハンディキャップ理論というのがある。例えば大きな角のシカがいる。その角は実際の生活にはむしろ負担。そのハンディを負いながらも健康に生きているってことは、つまり本当に力が強いってこと。ゴリラのリーダーは、相手に背中を向けて悠々としている。一貫したゆるぎない姿勢があれば、多少のはったりでも、みんな信頼する。
 リーダーには、自分たちの未来を託すわけです。人間は食料をいったん集めて、あるルールや長老の経験をもとに配り直して共存してきた。それが政治の構造で、そこが人間と類人猿との違い。税金を集め、再分配するのが公共サービスです。
目線、レベルを同調
 公平な再分配を実現するには、人々を納得させる力が背後に必要。だから、圧倒的な力はあるけれど、抑制してみんなに合わせて行動してますよと、目線やレベルを同調する能力が重要になる。ここ3代の首相は、抑制して相手に合わせる余裕、構えがなかった。国会の演説や答弁で、感情を抑制して国民に語り掛ける姿勢が大事。ゆったり振る舞う態度が信頼を生み、それが力になる。
 なぜかと言うと、人間は高度な文明を獲得し、動物と全く違うと思っていても、人を選ぶ作業や評価する作業では、極めて動物的感覚を指標にしているからです。人を評価する基準はいまだに、言葉より態度や顔の表情、視覚に支配される。だから、これだけ情報システムが発達しても面接という制度は残る。判断基準を視覚に頼るのは、人間は木の上でサルから進化し、3次元の感覚が発達したからです。地上に下りた今もそれは残っていて、例えば目上や目下、話す位置関係に敏感。人間の社会性は視覚によって培われたんです。
 それで言うと、現代の政治家はテレビというメディアに対する自覚と訓練が足りない。広い空間で聴衆に話す時と、近くのインタビュアーに答える態度は、声の大小や高低、顔の表情など全く違う。遠くの人には声は低く、なるべくゆっくり、力強く話すけど、近くの人とは相手の期待に沿うようにモニターしながら、喜ばせたいという気持ちで語るもの。それが人間の社会性です。
 麻生太郎首相は、目の前の記者を意識する傾向が強い。テレビの向こうにいる大衆には、すごく姑息(こそく)に映ってしまう。多くの政治家もそれに気づいていない。オバマ大統領はそれができていて、怒りの表現や人々を諭す表現は目の前ではなく、もっと先の大勢の民衆に向けられている。
好きか嫌いで判断
 ただ、僕が危惧(きぐ)するのは選ぶ側の方。現代の日本人が動物的な感覚が強まり過ぎていること。伝統の重みとか宗教の教理を信じない。伝統や慣習ができた経緯には、知恵や経験が詰まっているのに。好き嫌いをベースに判断する。人々が分断されていて自分の感性しか信じられない。だから、劇場型の感覚的な政治に向かってしまう。よいリーダーを選び出すには、その母体とその中の人間関係がしっかり固まってなければいけない。
 人間が動物と最も違うのは、未来への大きな幻想です。未来がなければ、生きていく希望を持てない。未来を切り開く力と理念があるのがリーダー。小泉純一郎元首相はそれがあった。彼についていけば違った未来が開けると思わせた。今から考えれば、とんでもないことも言っていたが、その態度に引きずられた。
 日本の悲劇は、近未来幻想を持てなくなったことです。60、70年代は、豊かな生活への飢えと期待がないまぜになって前へ進んでいったが、今はない。高速料金割引とか目先ばかりでなく、10年先の日本をどうするか。地方分権で、どうなるのか。地に足が着いたイメージを示し、人々に希望を抱かせる誠実なリーダーが求められていると思います。
(2)下からの反発力 作家 津本陽さん
「変えるしかない」気概示せ 【2009.07.24掲載】
http://www.kyoto-np.co.jp/info/culture/seijikaron/090724.html
 現在の世界は、欧米列強が植民地争奪戦を繰り広げた19世紀後半から20世紀初め、幕末から明治期に似ている。軍事力で領土を得る代わりに、食料と水、天然資源を経済力で奪い合う「静かな戦争」が始まっている。中国、ロシアといった新興国、海の向こうにひしめく「現代の列強」とどう渡り合うか、特に外交面で政治家の視野が問われている。
 幕末の日本では、西郷隆盛、大久保利通といった志士たちが明治維新を成し遂げ、小国の日本を列強に対抗できる国にしていった。重要なのは彼らが皆、身分の低い下級武士だった点だ。
「上士」では限界
 土佐藩の場合、坂本龍馬ら志士として活躍する人材は「郷士」と呼ばれる最下級の武士だった。藩に取り立てられ、能力を発揮する可能性がほとんど無い。既存の身分社会を根本的に変えない限り、一生浮かび上がれない立場だ。
 彼らはだからこそ、現状に強く反発し、「変えるしかない」という気概を持って変革に命をかけた。上士(上級武士)から殴られても土下座するしかない。そんな抑圧の中でバイタリティーが養われ、人を動かす駆け引きや人情も知っていく。
 一方、上士からは人材が出なかった。新しい知識を得たり、見聞を広めようともしない。三百石以上の禄をはみ、屋敷に住み、めかけを囲う。世襲議員が問題になっているが、党利党略や私欲を捨てられない現代の政治家は上士に近い。
 幕末は、薩摩、長州、土佐といった西国の雄藩に限らず、各藩から人材が出た。例えば(大正、昭和初期に大蔵大臣、首相として活躍した)高橋是清。彼は仙台藩の足軽の子にすぎなかったが、機知に優れ、藩で数人しか枠のなかった米国留学を勝ち取った。3年間、富豪の給仕として働くなど、苦労して英語と米国社会を学んでいる。
 高橋が歴史の表舞台に立つのは、日露戦争時の軍資金調達。当初、欧米の銀行や資産家は小国・日本の戦時外債など誰も買わなかった。当時日銀副総裁だった高橋は、英国でパーティーに片っ端から出て、実地で磨いた英語で日本の話をしまくった。そうした必死の行動で最初の出資者をつかみ、最終的には莫大(ばくだい)な戦費を調達する。
 こうした機知は学問では育たない。そういう意味で、リーダーが国難に対処できなかったのは太平洋戦争。軍の首脳たちは、食料も弾薬も戦場に届かない補給軽視の作戦を行い、失敗した。士官学校の机上演習で、自分たちの思い通りに駒を動かし、兵隊にむちゃを強いて勝つような学習ばかりしていたからだ。
広い視野持って
 バイタリティーと機知を兼ね備えた政治家は戦後にもいた。田中角栄だ。彼は新潟県の寒村で育ったが、虐げられた者の利害を代弁するだけではなかった。原油価格高騰で経済が混乱しないよう、当時のソ連や中東とも独自の資源外交を展開するなど、田中には日本全体をどうするかという、大衆を引きつける大局観があった。米国を敵に回したが、今の政治家にそうした視点があるだろうか。
 日本を根本的に変える政治家が今出てくるか?と問われたら、私は「難しい」と答える。現在の日本はまだ、経済的にゆとりがある。幕末の志士たちが「変えるしかない」と感じたような、能力や努力が全く通じない絶望的な社会ではない。
 ただ、日本社会は日々悪くなっている。私は東京と故郷の和歌山市を往復して暮らしているが、東京一極集中の中で地方の疲弊は明らか。商店街は平日か休日か分からないほどさびれている。自殺者も年間3万人を超えている。
 安倍政権以後、首相が次々代わったが、自分の人気を気にし過ぎる。常にスポットライトが当たっていないと気が済まないようだ。今、必要なのは、50年後、100年後の日本に何が必要かという大局観。小選挙区制の中で政治家はますます小さな利害の中で動いているが、有権者はどれだけ広い視野を持っているかで政治家を選ぶべきだ。
私が望む3つの資質
◆実体験で磨いた機知
◆はい上がるバイタリティー
◆大衆引きつける大局観

小泉自民党CMに使われたX JAPAN Forever Loveのものまね
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