トヨタF1完全撤退

/ 11月 4, 2009/ トピックス/ 0 comments

 トヨタとホンダ、日本を代表する企業として比較されてきた。その前はトヨタと日産だった。
 大衆に支持される車を広め貢献したのはトヨタだ。しかし、少年たちは日産のブルーバードやスカイライン、フェアレディゼットに憧れた。あるいはベンツとBMW、松下とソニー、巨人と阪神だろう。それは総合力と専門性かも知れない。こだわりは後者だ。
 ホンダのファンは本田宗一郎というスパーカブからF1までチャレンジした尊敬される経営者のロマンに追うところが大きい。いや自分がそうだからなのかも知れない。社会人になって最初に購入したのがホンダが始めて発売した4ドアセダン、アコードだった。ラジオもカセットもナショナルよりソニーが欲しくて買った。アイデアで勝負し成功すると大企業は総合力で追随する。巨人に立ち向かうスピリットに惹かれる。
 ホンダがF1で不動の地位を築いた時、日本の車が世界的に有名なスポーツカーに勝ったとして誇りに思った。F1はホンダのスピリットだからだ。しかも大いに企業イメージに貢献した。だから撤退した時、多くのファンは残念がった。
 子供ができトヨタのワンボックスワゴン車エスティマの改良型車を勝った。エスティマはこれまでの商用車をベースにしたワゴン車ではない乗用としてエンジンをセンターに置いて開発された画期的な未来志向の車だったが高価だったから待ちに待っていた。しかし、トヨタがF1に参戦したことが元々トヨタ愛好者にとって魅力があったのか疑問に思っていた。トヨタのユーザーはそれを求めていただろうか。だから撤退してもそんなに驚かないし、利益を考えると当然の結論だと納得できるのだ。企業の社会的存続理由には役割分担がある。
 子供が成長して小さなBMWの中古にって10年経った。車って道具としてだけでなくロマンもあると思う。走ってみたくなる、運転したくなる、その楽しさは国産には少ない感覚だろう。やはり欧州には馬車からの乗り物とは何かという伝統があると思う。道具として追求された無駄のない機能美とストーリーがないとつまらない。車は憧れや乗る楽しさより足として環境が重要な要素になってきた。車が足の道具として考えれば、機能性や燃費で国産車が優れているからプリウスやインサイトが売れるのは流れだ。
 トヨタ自動車が米国で販売したハイブリッド車「プリウス」など約380万台のフロアマットにアクセルペダルが引っかかって事故の恐れがある問題が起こった。トヨタは2日、米道路交通安全局が調査報告書で車両本体に欠陥がないと指摘したことを明らかにした。
 BMWのアクセルペダルはオルガンのペダルのように床からフラットでマットが挟まることもないし、長時間でも疲れない。運転と安全を考えた基本的なところはしっかりしていると思う。燃費は大事だが厚製ボディを採用しているのもドイツ車が好まれる要素だ。買い換えるより10年乗ればもとは安いと考える。
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