日本は新たな国家像を創造できる
日本は新たな国家像を創造できる
「市場と社会の両立」へ進む世界経済の潮流の先頭に立て
2009年10月02日(Fri) 中島厚志 みずほ総合研究所専務執行役員チーフエコノミスト
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/542?page=1
リーマンショックから1年が経過した。深刻な金融危機が生じたものの、主要国の腰の入った経済金融政策などによって金融システムの底割れが回避され、世界経済も底入れしつつあるのは大いに結構なことである。
もっとも、リーマンショックを契機に、いままでの金融経済システムに大きな疑問が投げかけられ、新たな方向が模索されている。そして、いままでの余りに市場主義に偏した経済の考え方にも見直す機運が高まっている。
日本で「友愛社会」「国民の生活が第一」を旨とする民主党が政権をとったのも、市場主義偏重から市場主義と社会の安定とのバランスを取る動きと見ることもできるし、その動きは市場主義の本家本元米国でも同じである。
民主党が圧勝して1か月たった。鳩山首相は「友愛」をかかげるが、それが何を意味するのかが抽象的でわかりにくい。記事ではこう記している。
先日来日したフランスの碩学ジャック・アタリ氏(学者。元欧州開銀総裁でミッテラン元仏大統領特別顧問)の話を聞く機会があった。そこで興味深かったのは、アタリ氏が「友愛社会」についての受け止め方を聞かれた際の回答である。
彼は、「友愛とはフランス革命の標語である自由、平等、博愛の博愛と理解している。自由ばかりでは失敗することは今回の米国が示した。平等ばかりでも、かつての計画経済のように破綻する。博愛の良さは、それが自由と平等をつなぐ意味を持ちうるところにある」と答えたのである。
経済政策の潮流が変化しつつあるとしても、一方の行き過ぎから反対側の行き過ぎへと極端に振れても困る。いままでアメリカ型の市場メカニズムにもっぱらウエイトを置く経済システムが良いとされてきたものの、当面は市場メカニズムとともに社会の安定にもウエイトを置く欧州型の福祉国家的な経済システムが注目される局面に入ったと見るのが穏当であろう。
「成長できる福祉国家」に日本人は好意的なはず
[以下原文通り]
さて、日本の新政権の経済政策をどう見るかである。世界の経済潮流が変化しつつあり、その流れに乗っているとしても、分配にウエイトが置かれるばかりでは成長が疎かになるのではないかとの疑問もある。特に、成長力に乏しく成長戦略が他の先進国以上に必要とされる日本経済においては、成長からウエイトが移る分配のパイ自体が増えないどころか減るような状況では先行きに明るい展望など描けない。
筆者の所属するみずほ総研では民主党政権がそのマニフェストを全て実施した場合、2010年度の経済成長率は個人消費中心に1.0%押し上げられ、2011年度以降は押し下げが続き、最終的にはゼロに近い若干のプラスとの試算をしている。
こういう結果になるのは、主として予算の組み替えで財源を捻出するとしているからだ。全額予算を使い切る公共事業などから、一部が貯蓄に回ってしまう個人への補助金、手当へ単純に予算を移行させるだけでは、GDPへの波及効果が小さくなる。
ここで注目されるのは、民主党が福祉国家的な経済システムを目指すならば、福祉国家流の成長戦略があることである。すなわち、国民が福祉向上に満足すれば将来不安が軽減して貯蓄の一部が消費に回る、といったプラスの経済効果が考えられる。このような福祉国家流成長戦略は、いままで市場メカニズムにウエイトを置いたアメリカ型経済モデルでやってきて、欧州諸国に比べて社会保障の充実に余地がある米国と日本でとりわけ大きな効果を発揮するように見える。
しかし、米国では、オバマ大統領の国民皆保険改革に対して、自助努力と市場メカニズムを重んじる国民の抵抗感が強い。それは、すでに民間保険などで医療費がカバーされている大多数の国民にとって、増税や負担増になるのではないかと強く思っているからでもある。しかも、そこには成長戦略が窺えない。
一方、日本の場合はどうだろうか。米国ほどには自助努力と市場メカニズムを重視しているようには見えないし、社会の安定や社会保障充実への期待も強い。しかも、世界の中で最も早く少子高齢化が進む国でもあり、その分将来にわたって安心できる年金・医療制度や少子化対策が必要とされている。リーマンショックを契機とした経済潮流の変化に最も敏感であり、政策次第で最もプラスの効果が挙がりやすいのは日本かもしれない。
もっとも、福祉国家ならでは内需中心の成長戦略が成り立つためには、ひとつ大きな前提がある。それは、国民が福祉政策に信頼を寄せ、その持続性を当然視することである。そして、政策が信頼を得るには、政策が充実していることに加えて、財源が確保されていること、改廃が簡単にはなされないとの安定感を備えることが必要である。
日本が新たな先進国の成長モデルを創造するために
リーマンショックからまだ1年しか経っていない現状で、新たな潮流とその経済システムの方向性を断言するのは早すぎるかもしれない。しかし、以前からあった、新自由主義が市場にウエイトを置きすぎていて社会に重きを置いていないとの指摘は、やはり再認識する必要はありそうだ。
日本の今般の総選挙で国民が示した選択は「改革(リフォーム)から変革(チェンジ)へ」と称されるが、その背景にもやはり世界経済の潮流変化があると見ることができるのではないだろうか。
ちなみに、麻生政権の政策の軸足が小泉政権以来の改革路線からぶれたとも見られているが、麻生政権が安心社会を重視する考え方を打ち出していたことからすれば、これも立派に潮流変化に対応するものであったと言える。
新政権の経済運営が福祉国家を目指すのであれば、福祉の充実を図る政策が中途半端であったり、ポピュリスト的であったりしては何にもならない。しかも、少子高齢化が進展して経済・社会ともに沈滞しかねない日本では、出生率の回復等成長につながる戦略も意識せずには済まされない。
「福祉国家と市場主義的国家」、「大きな政府と小さな政府」は決して対立概念などではなく、福祉・社会保障の充実と民間部門の自由度・市場活力は両立しうる。それは、福祉国家の代表格であるスウェーデンで市場主義が日本以上に貫徹し、経済成長率も日本以上である現実を見れば一目瞭然である。
スウェーデンでは、あくまでも支えるのはヒトであり企業ではないとし、企業は大いに市場メカニズムの中で競争してもらい、倒産等の場合にはヒトを支えるとの考え方が浸透している。そして、失業者に職業訓練を施し、再就職を容易にする積極的労働市場政策を採用する一方、企業には競争政策を適用することで、産業競争力の向上や経済活性化も図られている。
これからの民主党政権の経済運営が大いに注目されるが、福祉国家を目指すならば中途半端に国民に甘いことばかり言うのは望ましくない。そして、新政権は、見せ掛けではなく、真に国民が豊かになる政策をなにより吟味して遂行してほしいし、そのやり方次第では、新たな世界の経済潮流をリードすることにつながるかもしれない。リーマンショックから1年、日本が再生できるかのみならず、新しい世界潮流の先頭に立って新たな先進国の経済モデルを創造できるかどうか、これからが正念場である。
自分は付け加えるとすると、政治・経済が長期的視野で取り組んでいかなければ、自民党でも民主党でも構造改革は効果をあらわすまでの半ばで交代するようでは成果を上げられない。経済優先社会が国家意識の希薄と個人主義、無責任社会を招いた。若い人でも日本の伝統・文化と日本人のアイデンティティが大切であることを見直しはじめた人がいる。政治により主導される国粋主義ではなく、そうした日本人の心とアイデンティティは、ヒトが支えるものだ。大臣が会見で国旗に例もしないで国民が信頼できるでしょうか。そのような無礼は理屈以前であり、玄関で土足で上がるような行為であり作法も知らない人として信用されません。他国や他の人に親切な日本人の素晴らしい国柄とともに、国旗や国歌を戦争を思い出すレジームから脱却し、象徴として違和感なく受け止められることが基本であると思うのだ。それには「自主憲法」も心の大本として大事だ。マスメディアもこれまで通りの目先の批判やポピュリスト的関心であっては何にもならない。国の一員であることを基本に、足をひっぱっているのではなく、支えてリードしていく責任意識を持つことだ。少なくとも欧米をはじめ、韓国・中国のメディアの記事もそれぞれカラーを出して、批判ばかりではなくしっかりした意見を述べていることを学ばねばならない。良い国にリードしていく本来の使命がなにより大切だ。
優先順位がおかしい民主党
http://koujiyama.at.webry.info/200909/article_128.html
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