公共放送ではなくなったNHKの存在は害悪だ

NHK(日本放送協会)は、国営ではないが実態は非営利社団法人の公共放送である。公共放送なのだから、民間放送とは異なり、基本的に主とすべきは国家と国民である日本に有益な放送を行うためにあるはずだ。

ところが、NHKを鑑賞していると、ふつうの感覚であれば、ニュースや討論番組、中国のドキュメンタリー等、どこの国を主に放送しているのかと不思議に思える。かつて放送開始と終了時には日の丸と君が代が流れるスタイルがずっと決まりだった。それがなくなった頃から、ここ数年顕著になっているのだ。

報道の自由というものは、本来、視聴者に事実を報道する権利という意味なのであるが、マスメディアは、それを自らが何を報道することも自由なのだと履き違えている気がします。倫理や国益を害する他国依りの報道は、放送免許を国から与えられている以上、野放しが自由であるはずがない。

放送法では、公正中立に両者の意見を取り上げることを前提にしているのに、明らかに意図を持って露骨に左翼的・中韓依りの中国人・韓国籍(帰化含む)のコメンテーターを起用して、日本側の出演者のコメントを遮るケースが目立っている。

これは、最早、多少の番組の個性といった多様性ではなく、明らかに国家解体の意図を持って行なっているのであれば異常事態である。

長谷川博己 来年の大河で綾瀬はるかの最初の夫、川崎尚之助役に

今年の大河「平清盛」は不作だった。すっかり観る気もしないいので、来年の大河ドラマ「八重の桜」に、昨年決まった頃から注目していた。

というのは、同志社の祖、新島襄より、八重の最初の夫、川崎尚之助が登場するのか興味があったからです。

但馬の人でも知られていませんが、川崎尚之助は実は出石藩士で、会津藩で西洋学の教授を務めた人物です。東大初代総長加藤弘之(出石藩)、第3代 濱尾新(豊岡藩)、天気予報と校捕「但馬考」作者、桜井勉(出石藩)…。出演回数はわずかかも知れませんが、但馬がどう取り上げられるのか注目しましょう(^^)

長谷川博己 来年の大河で綾瀬はるかの夫役に

来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」に出演することが決まった長谷川博己
Photo By スポニチ

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/05/17/kiji/K20120517003266780.html

NHK「セカンドバージン」や日本テレビ「家政婦のミタ」でブレークした俳優の長谷川博己(35)が、来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」に出演する。

綾瀬はるか(27)演じる主人公、八重の最初の夫、川崎尚之助役。会津藩校の日新館で西洋学の教授を務めた有能な武士で、戊辰(ぼしん)戦争の鶴ケ城籠城戦では妻とともに新政府軍と戦った。落城後、妻と離別することになるが、その理由は不明とされている。八重はその後、同志社大を創立した新島襄と出会い、再婚する。

長谷川は大河ドラマ初出演。「セカンドバージン」で妻がいながら年上のヒロインとの不倫におぼれる男性役、視聴率40%台を叩き出した「家政婦のミタ」では4人の子供がいながら同じ会社の女性と不倫した父親役を熱演。繊細な演技とクールな表情を武器にした「女性に振り回される亭主」が“当たり役”になっている。今回も、戊辰戦争で銃砲を手に戦い、「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれた男勝りのヒロインの夫役をどう演じるか注目だ。

新島役は現在調整中。八重の兄、山本覚馬役は西島秀俊(41)が演じる。また、東日本大震災の被災地となった福島県を舞台にした同作には、被災地の復興と活力ある日本への思いが込められており、俳優の西田敏行(64)ら東北出身者が出演することも決まっている。

◆長谷川 博己(はせがわ・ひろき)1977年(昭52)3月7日、東京都生まれの35歳。文学座在籍中の02年に「BENT」で初舞台。蜷川幸雄氏演出の舞台に多く出演。脚本家の大石静さんに抜てきされた「セカンドバージン」で注目を集めた。
[ 2012年5月17日 06:00 ]

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NHKがやらない国会生放送をニコニコ動画が開始

【Web】ニコニコ動画が国会生放送開始
産経新聞 2010.5.21 15:12

動画サイト「ニコニコ動画」が21日から、国会の審議の模様を生放送することが分かった。ニコニコ動画を運営する「ニワンゴ」(東京都中央区)が同日、公表した。今国会の衆議院の審議が対象。

今国会では、次期参院選を前に、普天間飛行場移転問題や「政治とカネ」、郵政改革法案などの重要法案をめぐり、与野党で激しい論戦が繰り広げられることが予想されている。ニコニコ動画は、その論戦の様子をリアルタイムで放送する。

ニコニコ動画では、放送されている動画に対し、画面上でコメントを書き込める。国会の論戦に即座に書き込まれるコメントの“妙”を楽しめ、ネットユーザーには魅力的なコンテンツとなりそうだ。

現在衆議院TV、参議院TVを利用しているが、まさしく官僚的でサーバ自体がアクセスをカバーできていないのようだ。そんななか、いつかはそうなってほしいと願っていたニコニコ動画が国会生放送開始するという。

本来は地上波で国会専用チャンネルがあってよい。どの局も再放送を流しているなら、ただでさえ、何を考えているのか判らない政権だから、ある程度視聴率も稼げるだろうし、デジタル放送では、小窓で同時に観られるような取り組みは出来るはずだ。光で本局と結べば、かつてのような大がかりな中継車もいらないだろうし。
事実は小説よりも奇なりである。

ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/
地域主権戦略会議「公開討議」​1日目
http://live.nicovideo.jp/watch/lv17285028
経済産業委員会放送中
http://live.nicovideo.jp/watch/lv17478537

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NHK一万人集団訴訟とNHKスペシャル シリーズ「日本と朝鮮半島」


【NHKの大罪】華阿財氏来日、第二回公判と5.15抗議行動[桜H22/5/17] SakuraSoTV

【直言極言】NHKよ、パイワン族の怒りを知れ![桜H22/5/14] SakuraSoTV

今回は、「NHK一万人集団訴訟」第二回口頭弁論に出席するため来日された台湾の華阿財氏の意見陳述書から、パイワン族の大いなる怒りについてお伝えします。

プロジェクトJAPAN シリーズ NHKスペシャル シリーズ「日本と朝鮮半島」

第2回 三・一独立運動と“親日派”
2010年5月16日(日)午後9時~9時49分

アメリカのウィルソン大統領が唱えた「民族自決」により、第一次世界大戦後、植民地は独立を求める声を高める。1919年3月1日、日本の統治下にあった朝鮮で、半島全土に広がる「三・一独立運動」が起きた。日本は、それまでの「武断統治」を見直し、「文化政治」へと舵を切る。安定した統治を図る中で重視されたのが対日協力者、いわゆる「親日派」の育成だった。
3.1独立運動は、なぜ起きたのか。日本はどう対応したのか。
(以上、NHKのHPより)

私は、あくまでもNHKに対して批判を行っていくのは、日本唯一の公共放送としての日本人としての常識ある史観に立ち戻ってほしいという願うからである。もし反日排日偏向報道を続けたいならば朝日新聞よろしく受信料制度を改めて民放になっていただきたい。総務相に働きかけて新しい国益に沿ったノーカット国会中継やCNNのような作為的な編集を行わないで中国の実態を報道するニュース専用チャンネル、国営放送を新設するように働きかけるだけだ。日本人として不愉快な番組を見せられて受信料を支払わせられる理不尽な制度は基本的におかしい。

三・一独立運動と親日派というテーマであるが、前回1回目の「伊藤博文と安重根」と比べれば偏向度合いはおとなしめだったと思う。しかし、「伊藤博文と安重根」から朝鮮併合へ向かった過程が抜けている。その流れがなければ武力行使のために反乱が起きたことになる。当初は自主独立を進めた結果、伊藤博文を暗殺した事件が起こり、情勢が不安定であるなか、やむを得ず併合となったのだ。なぜ日本国との併合に向かわざるを得なかったかをおさらいとして触れなければ、知らないで観た方は一方的に武力行使したように感じてしまう。

なお、NHKは前回も植民地化と使用しているが、今回も植民地と使用していた。いわゆる欧米列強がアジアやアフリカで進めた植民地化と、当時世界的にも最も遅れた封建社会の朝鮮半島は、中国の属国から大韓帝国として歴史上初めて独立させようとしたが、ヤンバンなど特権階級の利己主義と差別扱いされた苗字も与えられていない一般民衆は読み書きから始めなければどうしようもないレベルであったことを省いている。少数の両班に創始改名をすすめたのは強制ではないし、日本が江戸時代から明治になって苗字を付けることを勧めたように、すすんで日本的な苗字を付けたのであって、元々苗字がなかった人々を強制的に改名させたとする根拠がない。まず日本国内以上に相当額の国費を投入し、教育や食住環境、農地改良、道路・鉄道・医療・工場などの殖産、学校・東大、京大、東北、九州、北海道の次、大正13年、6番目に京城帝国大学(現国立ソウル大学)を建てたり、阪大や名古屋大よりも先に建てている。このようにインフラを整備した併合と植民地は全く異なる。


【田中秀雄】朝鮮で聖者と呼ばれた日本人・重松髜修[桜H22/3/29] SakuraSoTV

最新の著作『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』をご紹介いただきながら、疲弊した農村振興のために奮闘した朝鮮金融組合理事・重松髜修の生涯と、日本による朝鮮統治の実相についてお話しいただきます。

↓出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

【背景】

第一次世界大戦末期の1918年(大正7年)1月、米国大統領ウッドロウ・ウィルソンにより”十四か条の平和原則”が発表されている。これを受け、民族自決の意識が高まった李光洙(イ・ガンス)ら留日朝鮮人学生たちが東京・神田のYMCA会館に集まり、「独立宣言書」を採択した(二・八宣言)ことが伏線となったとされる。これに呼応した朝鮮半島のキリスト教、仏教、天道教の指導者たち33名が、3月3日に予定された大韓帝国初代皇帝高宗の葬儀に合わせ行動計画を定めたとされる。

三・一運動の直接的な契機は高宗の死であった。彼が高齢だったとはいえ、その死は驚きをもって人々に迎えられ、様々な風説が巷間でささやかれるようになる。その風聞とは、息子が日本の皇族と結婚することに憤慨して自ら服毒したとも、あるいは併合を自ら願ったという文書をパリ講和会議に提出するよう強いられ、それを峻拒したため毒殺されたなどといったものである。

実際のところは不明であるが、そうした風説が流れるほど高宗が悲劇の王として民衆から悼まれ、またそれが民族の悲運と重ねられることでナショナリズム的な機運が民衆の中に高まったことが、運動の引き金となった。

【運動の広がり】

発端となった民族代表33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を読み上げるはずであったパゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に市民が参加し、数万人規模となったという。以降、運動は始め朝鮮北部に波及し、その後南部に及んだ。結果、朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。これに対し朝鮮総督府は、警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。

【運動の担い手と形態】

運動の初期には、その発生は大都市に集中し、担い手は学生や教師といった人々が主導した。しかし運動が広がりを見せ、地方都市や農村に舞台が移るようになると参加する人も多様となり、農民や労働者、商工業者、官僚、両班などが参加するようになった。

運動の形態には、デモ行進、烽火示威、同盟休校、同盟罷業、独立請願、閉店などがあった。独立宣言にあったように当初は平和的な手段によって運動を行っていたが、次第に警察署・村役場・小学校等が襲われ、放火・投石・破壊・暴行・惨殺も多数行われ、暴徒化していった[3][4][5]。これに関して「暴徒化した理由は日本側の弾圧が激しくなったための抵抗である」という意見や、逆に「暴徒を鎮圧するために多少の武力を使うことは、どの国でも行われる当然のことである」とする意見[4]などがある。

[3 韓国の3.1運動記念館「暴動化しながら進んだ」
[4] a b 『日韓共鳴二千年史』名越二荒之助 明成社
[5] 『歴史を偽造する韓国』中川八洋 徳間書店

【被害】

襲撃による日本側の被害を挙げると、人的なものは官憲の死者8名、負傷者158名であり、物的なものは駐在所159(警官のもの87、憲兵のもの72)、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27であったといわれる。

【日本の対応】

日本側は憲兵や巡査、軍隊を増強し、一層の鎮圧(弾圧)強化を行った。それはこの運動を短期間で終わらせることで、パリ講和会議における不安定要因を除いておこうという考えからであった。犠牲数には立場によって一定ではないが、当時上海に亡命しており伝聞の情報であると本文中に書かれている朴殷植の『韓国独立運動之血史』によれば、死者7509名、負傷者1万5849名、逮捕された者4万6303名、焼かれた家屋715戸、焼かれた教会47、焼かれた学校2に上るという[6]。日本の警察は運動に関しては平和的に対処し、破壊や殺人が発生した場合に武力で鎮圧したもので、韓国側の歴史記述は日本側の鎮圧ぶりを膨張している面があるとの意見もある[7]。

こうした中、いくつかの悲劇が発生した。最も有名なのは堤岩里事件である。この事件は4月15日に堤岩里の住民30余名を教会堂に集めて一斉射撃の後放火焼殺され、他にも日本側が放火し15村落317戸が延焼し、39人が亡くなったというのが全貌である。日本側では「検挙官憲ノ放火ノ為類焼セルモノモ尠カラザルコトヲ確メタリ。・・・之が処分ニ就テハ殺生ハ止ムヲ得ザルモノニシテ放火ハ公然之ヲ認ムルハ情勢上適当ナラザルヲ以テ火災ヲ表面上全部失火ト認定スルコトトセリ」(憲兵司令官より大臣宛電報4/21付け)と上に報告している[8]。

[6] ^ 犠牲者数:この運動に伴う検挙者数・死傷者数に関しては今なお論争がある。朴殷植は事件発生当時上海に亡命しており、死傷者数は伝聞によるものであると本書中で断っているが、韓国の教科書や研究者にはこの犠牲者数を参照しているものが多い。一方、当時の朝鮮総督府の記録「朝鮮騒擾事件道別統計表」(3月1日 – 4月11日)によると357名が死亡し、負傷者は約802名とされている。ただこの集計は日本から増派された軍が配置され本格的な鎮圧(弾圧)が始まる前のものであること、「内外に対し極めて軽微なる問題となす」べきと総督府側自身がいうように、その発表された数は意図的に少なく抑えられているとする研究者もいる。 その他の記録でも検挙者数・死傷者数について食い違いがある。たとえば、和田春樹・石坂浩一編『岩波小辞典 現代韓国・朝鮮』(岩波書店、2002年)では「朝鮮総督府の武力弾圧で約7500人が死亡、4万6000人が検挙された」とされている(106頁)。いずれにせよ、独立を唱える大規模な示威行動が朝鮮半島において展開され、その過程で暴徒と化した群集を朝鮮総督府が武力によって鎮圧(弾圧)する際、死傷者が出たことは確かである。
[7] 金ワンソプ『親日派のための弁明』
[8]  これについて杉本幹夫 『「植民地朝鮮」の研究』(展転社、2002年)や金完燮『親日派のための弁明2』(扶桑社、2004年)では、提岩里近くで起きた小学校焼き討ちと警察官2名の殺害事件に関する取調べの際、容疑者の逃走を阻止する過程でやむなく起こったとしている。
【提岩里虐殺事件(ていがんりぎゃくさつじけん)】
1919年4月15日、日本統治下の朝鮮京畿道水原郡(現在の華城市)で、三・一独立運動中に起きた事件。30人程の住民が軍隊によって虐殺された。
事件当時の日本の公式文書では、 「憲兵隊が提岩里(チェアムリ)の堤岩教会に、小学校焼き討ちと警察官2名の殺害の容疑者として提岩里のキリスト教徒の成人男達20数名を集めて取調べをしていた。そのとき、その中の一人が急に逃げ出そうとし、もう一名がこれを助けようとして襲いかかってきたのを犯人だと即断して殺害してしまった。これをきっかけに教会に集められていた人々が騒ぎ出し暴徒化。兵卒に射撃を命じ、ほとんど全部を射殺するに至った。教会もその後近所からの失火により焼失した」とされていた。そのため日本の右派・保守派には、これに従い韓国側の主張を根拠なしと切り捨てる人もあった[1]。

NHKはこの日本側の部分を作為的に全く紹介していない。

しかし、翌4月16日に現地視察に訪れた駐ソウルアメリカ総領事館領事、在ソウル米国人宣教師、AP通信のソウル特派員がこの事件に関する報告書の作成・本国への提出を行い、さらにその数日後には駐ソウル英国総領事館からも現地調査団が現地に送られ、事件は世界中に報道されるにいたり、事件の真相は軍による虐殺・放火であると認識された[2]。

さらに、近年発見された、当時の朝鮮軍司令官、宇都宮太郎の日記によれば、事件は日本兵が30人ほどの住民を教会に閉じこめたあと一方的に殺害、放火したもので、その「事実を事実として処分すれば尤も単簡なれども」それでは「虐殺、放火を自認することと為り、帝国の立場は甚しく不利益」となるという判断から、幹部と協議した結果「抵抗したるを以て殺戮したるものとして虐殺放火等は認めざることに決し、夜十二時散会す。」とあり、住民の抵抗は存在せず、火災は軍による放火であったことが判明した。関与した有田俊夫中尉の処分は30日間重謹慎処分とされた[3]が、その後の軍法会議による判決(1919年8月21日付)で殺人・放火に関して無罪が確定した。

[1]  たとえば杉本幹夫著『「植民地朝鮮」の研究』(展転社、2002年)など。
[2] 長田彰文『日本の朝鮮統治と国際関係―朝鮮独立運動とアメリカ 1910-1922』平凡社、2005年2月。
[3]  3.1独立運動の鎮圧を詳述 朝鮮軍司令官の史料発見

 

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【拡散希望】 NHK一万人集団訴訟」第二回口頭弁論


【直言極言】NHKよ、パイワン族の怒りを知れ![桜H22/5/14]
SakuraSoTV

今回は、「NHK一万人集団訴訟」第二回口頭弁論に出席するため来日された台湾の華阿財氏の意見陳述書から、パイワン族の大いなる怒りについてお伝えします。

NHKは終わっている。


【青山繁晴】メタンハイドレート実用化が迫る自主憲法制定[桜H22/5/14] SakuraSoTV

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NHKの眠りを覚ます中国 たったJAPANシリーズで夜も眠れず


1/4【討論!】「伏魔殿NHKを暴く!」Part4[桜H22/5/8] SakuraSoTV


2/4【討論!】「伏魔殿NHKを暴く!」Part4[桜H22/5/8] SakuraSoTV


3/4【討論!】「伏魔殿NHKを暴く!」Part4[桜H22/5/8] SakuraSoTV


4/4【討論!】「伏魔殿NHKを暴く!」Part4[桜H22/5/8] SakuraSoTV

パネリスト:
大谷英彦(「NHKを正す会」代表 /マスコミ・インサイト社代表 / 元NHK政治部記者)
杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)
立花孝志(元NHK職員・内部告発者)
田中秀雄(日本近現代史研究家)
富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)
永山英樹(台湾研究フォーラム会長・日本李登輝友の会理事 放送法改正推進本部長)
柚原正敬(日本李登輝友の会 常務理事・事務局長 /台湾研究フォーラム顧問)
司会:水島総

◆みんなで選ぶNHK会長

下記の「NHK110番」に推薦メールを送ってください。
nhk110@hotmail.co.jp
1.推薦する会長候補者の氏名
2.推薦する理由(簡単で結構です)
3.ご氏名(本名でなくともハンドルネームでも可)
4.メールアドレス
5.年齢
6.ご氏名またはハンドルネームを掲載してもよろしい方は、別途お書きください。
3・4・5については公表をしません。

◆みんなで選ぶNHK会長のサイト
http://nhk-tadasukai.iza.ne.jp/blog/e…

◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/

史料をさぐる時間が面倒くさいので、『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用する。

日本では、250年余り続いた江戸の太平の世の中では、外国のどこかへ行って物を取ってこよう、外国のどこかが日本に来て何かを持って行ってしまうかもしれない、という発想・実感はなかった。ところが大航海時代以降世界に進出、支配領域を拡大した欧州、続く帝国主義の波に乗った米国によるアフリカ・アジア進出・侵略・植民地化は、東アジア各国にとっても脅威となった。アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが黒船で来航した時には「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった四杯で夜も眠れず」という狂歌が読まれた。

幕末と現在の違いは何か、それは今の日本人(といっても政治家とメディアと戦後教育の洗礼を受けた左翼思想)がいかに愚かなのかの違いではないか。それは歴史を知らない、いや学んでいないからだ。

日本は戦後最大のピンチにたたされている。幕末の欧米列強の黒船による接近と、今起きているアメリカの衰退と軍事大国となった中国の接近に対する危機意識に対する平和ボケした違いは大きい。

幕末、幕府を初め、長州、薩摩など諸藩は日本のあちらこちらに出没するロシアやアメリカ、フランス、イギリスの黒船に危機感を高めた。幕府は各藩に命じて沿岸部に台場(砲台)を造らせ警備に当たらせた。

しかし、巨大な黒船には小さな飛距離の大砲では為す術もなく、震えおののいていた。

攘夷論(夷人(外国人)をしりぞける)

帝国主義の発想を持つ欧米のアジアへの接近(侵略・進出・植民地化)により、それまでの江戸の天下泰平の世の中(鎖国体制下の社会)を維持したいという発想として盛り上がった。

吉田松陰

吉田松陰はアヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことを知って山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感すると、西洋兵学を学ぶために嘉永3年(1850年)に九州に遊学する。ついで、江戸に出て佐久間象山に師事する。象山からは「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林(小林虎三郎)のみである」と、二人の名前に共通していた「トラ」を引用し「象門の二虎」と褒められている。

嘉永5年(1852年)、友人である宮部鼎蔵らと東北旅行を計画するが、出発日の約束を守るため、長州藩からの過書手形(通行手形)の発行を待たず脱藩。この東北遊学では、水戸で会沢正志斎と面会、会津で日新館の見学を始め、東北の鉱山の様子等を見学。秋田では相馬大作事件の真相を地区住民に尋ね、津軽では津軽海峡を通行するという外国船を見学しようとした。江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受けた。

嘉永6年(1853年)、マシュー・ペリーが浦賀に来航すると、師の佐久間象山と黒船を視察し、西洋の先進文明に心を打たれ、外国留学を決意。同郷の金子重輔と長崎に寄港していたプチャーチンのロシア軍艦に乗り込もうとするが、ヨーロッパで勃発したクリミア戦争にイギリスが参戦した事から同艦が予定を繰り上げて出航した為に失敗。

安政元年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には金子と二人で停泊中のポーハタン号へ赴き、乗船して密航を訴えるが拒否された(一説ではペリーの暗殺を計画していたともいわれる)。松陰は乗り捨てた小舟から発見されるであろう証拠が幕府に渡る前に奉行所に自首し、伝馬町の牢屋敷に送られた。この密航事件に連座して佐久間象山も投獄されている。幕府の一部ではこのときに佐久間、吉田両名を死罪にしようという動きもあったが、老中首座の 阿部正弘が反対したため、助命されて長州へ檻送され野山獄に幽囚される。獄中で密航の動機とその思想的背景を『幽囚録』に著す。

安政2年(1855年)に出獄を許されたが、杉家に幽閉の処分となる。安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。この松下村塾において松陰は久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義などの面々を教育していった。なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる。

安政5年(1858年)、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。だが、弟子の久坂玄瑞、高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)らは反対して同調しなかったため、計画は頓挫し、松陰は長州藩に自首して老中暗殺計画を自供し、野山獄に送られた。

やがて大老・井伊直弼による安政の大獄が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。幕閣の大半は暗殺計画は実行以前に頓挫したことや松陰が素直に罪を自供していたことから、「遠島」にするのが妥当だと考えていたようである。しかし井伊直弼の命令により「死罪」となってしまい、安政6年(1859年)10月27日に斬刑に処された。享年30。生涯独身であった。

一君万民論

「天下は一人の天下」と主張して、藩校明倫館の元学頭・山県太華と論争を行っている。「一人の天下」という事は、国家は天皇が支配するものという意味であり、天皇の下に万民は平等になる。一種の擬似平等主義であり、幕府(ひいては藩)の権威を否定する過激な思想であった。なお、「一君万民」の語を松陰が用いたことはない。

飛耳長目

塾生に何時も、情報を収集し将来の判断材料にせよと説いた、これが松陰の「飛耳長目(ひじちょうもく)」である。自身東北から九州まで脚を伸ばし各地の動静を探った。萩の野山獄に監禁後は弟子たちに触覚の役割をさせていた。長州藩に対しても主要藩へ情報探索者を送り込むことを進言し、また江戸や長崎に遊学中の者に「報知賞」を特別に支給せよと主張した。松陰の時代に対する優れた予見は、「飛耳長目」に負う所が大きい。

草莽崛起

「草莽(そうもう)」は『孟子』においては草木の間に潜む隠者を指し、転じて一般大衆を指す。「崛起(くっき)」は一斉に立ち上がることを指す。“在野の人よ、立ち上がれ”の意。

安政の大獄で収監される直前(安政8年(1859年)4月7日)、友人北山安世に宛てて書いた書状の中で「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」と記して、初めて用いた。

対外思想

『幽囚録』で「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)諸島を収め、進取の勢を漸示すべし」と記し、北海道の開拓、琉球(現在の沖縄。当時は独立した国家であった)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満州・台湾・フィリピンの領有を主張した。松下村塾出身者の多くが明治維新後に政府の中心で活躍した為、松陰の思想は日本の対外政策に大きな影響を与えることとなった。

勝海舟と長崎海軍伝習所

嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航(いわゆる黒船来航)し開国を要求されると、老中首座の阿部正弘は幕府の決断のみで鎖国を破ることに慎重になり、海防に関する意見書を幕臣はもとより諸大名から町人に至るまで広く募集した。これに勝も海防意見書を提出した。勝の意見書は阿部正弘の目にとまることとなる。そして幕府海防掛だった大久保忠寛(一翁)の知遇を得たことから念願の役入りを果たし、勝は自ら人生の運を掴むことができた。
その後、長崎の海軍伝習所に入門した。伝習所ではオランダ語がよくできたため教監も兼ね、伝習生と教官の連絡役も果たした。このときの伝習生には矢田堀景蔵、永持亨次郎らがいる。長崎に赴任してから数週間で聴き取りもできるようになったと本人が語っている。そのためか、引継ぎの役割から第一期から三期まで足掛け5年間を長崎で過ごす。この時期に当時の薩摩藩主島津斉彬の知遇をも得ており、後の海舟の行動に大きな影響を与えることとなる。

渡米

万延元年(1860年)、幕府は日米修好通商条約の批准書交換のため、遣米使節を米国へ派遣する。この米国渡航の計画を起こしたのは岩瀬忠震ら一橋派の幕臣である。しかし彼らは安政の大獄で引退を余儀なくされたため、正使・新見正興、副使・村垣範正、目付・小栗忠順らが選ばれ、米国海軍のポーハタン号で太平洋を横断し渡米した。このとき、護衛と言う名目で咸臨丸もアメリカ・サンフランシスコへ渡航した。旅程は37日であった。咸臨丸では軍艦奉行・木村摂津守が最上位であり、勝は遣米使節の補充員として乗船した。

咸臨丸には米海軍から測量船フェニモア・クーパー号艦長のジョン・ブルック大尉が同乗した。通訳ジョン万次郎、木村の従者福澤諭吉も乗り込んだ。
福澤の『福翁自伝』には木村が「艦長」、勝は「指揮官」と書かれているが、実際にそのような役職はなく、木村は「軍艦奉行」、勝は「教授方取り扱い」という立場であった。アメリカ側は木村をアドミラル(提督)、勝をキャプテン(艦長)と呼んでいた。アメリカから日本へ帰国する際は、勝ら日本人の手だけで帰国することができた。

帰国後、蕃書調所頭取・講武所砲術師範等を回っていたが、文久2年(1862年)の幕政改革で海軍に復帰し、軍艦操練所頭取を経て軍艦奉行に就任。神戸は碇が砂に噛みやすく水深も比較的深く大きな船も入れる天然の良港であるので神戸港を日本の中枢港湾(欧米との貿易拠点)にすべしとの提案を、大阪湾巡回を案内しつつ14代将軍徳川家茂にしている。

坂本龍馬をはじめ、感受性の鋭い脱藩した地方の草莽の志士たちは、幕府方の勝海舟の世界観によって、日本は海軍を起こし国防に当たるべきと知る。

坂本龍馬と神戸海軍操練所

海舟は山内容堂に取り成して、文久3年(1863年)2月25日に龍馬の脱藩の罪は赦免され、さらに土佐藩士が海舟の私塾に入門することを追認もした。龍馬は海舟が進めていた海軍操練所設立のために奔走し、土佐藩出身者の千屋寅之助、新宮馬之助、望月亀弥太、近藤長次郎、沢村惣之丞、高松太郎、安岡金馬らが海舟の門人に加わっている。また、龍馬が人斬り以蔵の異名を持つ土佐勤王党の岡田以蔵を海舟の京都での警護役にし、海舟が路上で3人の浪士に襲われた際に以蔵がこれを一刀のもとに斬り捨てた事件はこの頃のことである。

幕府要人と各藩藩主に海軍設立の必要性を説得するために海舟は彼らを軍艦に便乗させて実地で経験させた。同年4月23日、14代将軍・徳川家茂が軍艦「順動丸」に乗艦の後、「神戸海軍操練所」設立の許可を受け同時に海舟の私塾(神戸海軍塾)開設も認められた。

幕府から年三千両の経費の支給も承諾されたが、この程度の資金では海軍操練所の運営は賄えず、そのため5月に龍馬は福井藩に出向して松平春獄から千両を借入れした。 5月17日付の姉乙女への手紙で「この頃は軍学者勝麟太郎大先生の門人になり、ことの外かわいがられ候・・・すこしエヘンに顔をし、ひそかにおり申し候。エヘン、エヘン」と近況を知らせている。

龍馬が神戸海軍操練所成立のために方々を奔走していた最中の同年4月、土佐藩の情勢が変わり、下士階層の武市半平太が藩論を主導していることに不満を持っていた容堂は再度実権を取り戻すべく、吉田東洋暗殺の下手人の探索を命じ、土佐勤王党の粛清に乗り出した。

6月29日付の手紙では攘夷を決行し米仏軍艦と交戦して苦杯を喫した長州藩の情勢(下関戦争)について強い危機感を抱き「姦吏を打ち殺して、日本を今一度洗濯いたし申し候」[53]と後世殊に有名になった言葉を述べている。
「開国」と「攘夷」という相反する対外思想が「討幕」という一つの行動目的へと収斂される可能性を生んだ。土佐藩の坂本龍馬らの斡旋・仲介・手助けもあって、幕末日本の薩摩と長州の二大地方勢力は討幕へと向かっていくことになる。

【高山正之】上海万博 国民性が180度違う国が隣同士

上海万博が始まった。NHKはうれしそうに中継番組を流している。日韓併合100年に向けてNHKはお祭りムードである。どこの国の公共放送なんだろう。
15年ほど前に上海に行ったことがあるので懐かしい思いで観ているが、あのころはまだ自転車に人民服の人達が花園ホテルの下を大挙して出勤する人達の姿を覚えている。
2010,05,01, Saturday
『みんなで歌おう、上海万博』 高山正之

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今週の高山語録

○ 中国には温情を掛けてはいけない
○ アメリカの実態は結構中国と似ている
○ パクリ屋には「パクッちゃいけない」と身をもって知らせなきゃいけない!
2009,11,12, Thursday

実録 支那事変
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2010,03,15, Monday
「付き合ってはいけない!?中国のウソと裏切り」「外国人参政権」他

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【告知】 今晩9時から問題のNHKJAPANシリーズ 日本と朝鮮半島 第1回 韓国併合への道

昨年、NHK教育テレビで放送されてきた「日本と朝鮮半島」が、いよいよ今晩から総合テレビに移し、NHK反日分子のプロパガンダがスタートする。
いきなり、
第1回 韓国併合への道 伊藤博文とアン・ジュングン(安 重根)だ。
最も大きな事件から取り上げて戦後の歴史からしか観ずに、日本がすべて悪かったというGHQによって解体させられたNHKの罪を自虐史観で戦争に擦り付ける手法のはじまりである。
台湾事変をありもしない日台戦争(国同士ではないものは戦争とはいわない)と定義して、台湾人が反日だったかのように報道して現在日本最大規模の1万人の原告(私も含む)で裁判中であるが、同じように伊藤博文が成した大学、医療衛生、交通インフラや殖産、土地解放、ハングルによる識字率を飛躍的に改善した教育などの大きな功績には触れず、併合(日本と同化する)と植民地化の違いよりも、日本の公共放送としてありえない単なるテロリストを英雄と祭り上げる異常な国の史観で進めるだろうと予測できる。
竹島がそうであるように、戦後のどさくさに李承晩元大統領が実行支配し続けて60年近く、反論しなければ事実よりも実績が優先されて歴史が変わりかねない恐ろしさを、NHKは反論すべきはずが、相手の政治的言い分通りに展開することが、どういう国民世論や外交に弊害を生んできたのか、NHKや朝日新聞の反日制作者は自覚していない。
韓国の歴史教科書は、事実よりも韓国の都合によって何度も反日歴史教育に偏向している。アン・ジュングン(安 重根)は英雄で、終戦は戦勝記念日なのだ。大人げないから日本は黙ってきたが、謝るばかりではどんどん付け入るのは韓国と中国のやり方なのだ。
韓国併合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100418.html

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ETV特集「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」
http://koujiyama.at.webry.info/201002/article_1.html
歴史・国家観を教えて何が悪いのか?
http://koujiyama.at.webry.info/201003/article_9.html
19世紀ドイツの地図も竹島は日本領
http://koujiyama.at.webry.info/201001/article_50.html

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ETV特集「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」

NHK ETV特集「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」
第10回 “脱亜”への道 ~江華島事件から日清戦争へ~
1月31日(日)午後10:00~11:30

江華島事件(1875年)をきっかけに、鎖国施策をとってきた朝鮮王朝を開国させた日本。その後、両国が文明化することで連携し、共に欧米列強に立ち向かおうと模索した人々がいた。福澤諭吉とキム・オッキュン(金玉均)である。

慶應義塾創始者の福澤は、万国公法を基にした近代的関係を朝鮮王朝に求めた。一方、開化派の官僚・キム・オッキュンは、日本型の近代化を進めることで、宗主国・清(中国)に頼る朝鮮王朝を改革し、欧米に対抗しようとした。しかし、その構想はクーデターの失敗で頓挫する。福澤は、朝鮮近代化の“敗北宣言”として「脱亜論」を発表。「主義とする所はただ脱亜の二字にあるのみ。・・・隣国の開明を待ちて共にアジアを起こす猶予なし」とした。

近代、江華島事件から日清戦争までの日本と朝鮮半島の関係を福沢諭吉とキム・オッキュンを軸に見ていく。(NHK)

次回は教育チャンネルから総合チャンネルに移してNHKスペシャル「日韓併合100年」4月~(放送予定)となる。これが「プロジェクトJAPAN」製作の目的の一つなのである。

まとめられているので、出典: 『韓国朝鮮の歴史と社会』東大教授 吉田光男著、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考にすれば、

プロジェクトJAPANとは、NHKが2009年(平成21年)度から3年間の中期経営計画において取り組む大型プロジェクトである。2009年(平成21年)の日本は横浜港開港から150年、2010年は朝鮮併合から100年、日本が連合国に敗れ第二次世界大戦が終わった終戦から65年、2011年は太平洋戦争開始から70年、サンフランシスコ講和条約締結から60年が経つ節目の年にそれぞれあたる。

NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」
「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」
スペシャルドラマ「坂の上の雲」の3シリーズが中心となるシリーズである。
今年は2010年(平成22年) 朝鮮併合100年、敗戦65年 (1910年〈明治43年〉、1945年〈昭和20年〉)
が中心となるようだ。

そしていよいよ総合テレビにNHKスペシャルとしての日韓併合(朝鮮併合)100年のメインイベントが始まる図式だ。

ETV特集「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」をずっと観てきたが、これまで韓国寄りの内容が散見され疑念の眼で観ていたが、10回の最終回は、日本側の教授は「ややもすると韓国では戦後の歴史家が一部分を観て長い歴史を遡って捉えない傾向がある」と客観的でまともな学識を述べていたことに安堵した。

番組で甲申政変は、朝鮮が清国の宗属国から初めて自主独立を進めたが、王朝は親日派、民衆は親中派とくくっていたが事実無根である。王朝内は開化派と守旧派に分かれており、金玉均らが計画したクーデター案は、同年12月に開催が予定されていた「郵政局(郵政関連の中央官庁。一部で言われるような「中央郵便局」等ではない)」の開庁祝賀パーティーの際、会場から少し離れたところに放火を行い、その後、混乱の中で高官を倒し守旧派を一掃。朝鮮国王はクーデター発生を名目に日本に保護を依頼。日本は公使館警備用の軍を派遣して朝鮮国王を保護し、その後開化派が新政権を発足させ、朝鮮国王をトップとする立憲君主制国家をうちたてて、日本の助力のもとに近代国家への道を突き進む、というものだった。

開国後に甲申事変が起きるなど、李氏朝鮮の内部からも改革の要求は出ていたが、当実権を掌握していた興宣大院君と閔妃(びんぴ)は親日から一転し守旧的態度を採り続けた。朝鮮半島を挟んで日清両国の関係が緊張するなか、李氏朝鮮内部においても特権階級である両班(リャンバン)の一般国民への劣悪なる身分差別による圧政、世道政治の弊害によって三政紊乱(さんせいびんらん)などの混乱をきたした。と自然災害や疫病の流行、天主教(キリスト教)の流入などによって、国民の食糧が不足し社会的な不安が高まった。そのため各地で民乱が続発した。こうした社会不安を背景に、崔済愚が1860年に慶尚道でで東学という宗教を創建した。東学とは西学である天主教に対抗するという意味を持っており、人間平等を説いた民族主義的な性格を持っていた。東学は政府から邪学とみなされ弾圧されたが、その後も半島南部を中心に勢力を広めた。

外圧の排除を唱えた東学党による農民反乱・甲午農民戦争が起きた。つまり民衆は王朝に対して反乱を起こしたのである。日清両国はそれぞれ、「乱の鎮圧」を名目に朝鮮半島に出兵したが、既に農民勢力と政府の間には和約が結ばれ日清両軍は出兵の口実を失った。日本は駐兵の口実として、申告に対して共同の朝鮮内政改革案を提示したが、宗主国の清国はこれを拒否した。朝鮮政府も相次いで日本軍の撤退を求めたが、日本は単独改革を主張し、さらに朝鮮政府に清国との宗属関係による取り決めの破棄を迫った。朝鮮側がこれを拒否すると、日本軍は7月23日に景福宮を占領し、閔氏政権を倒した。さらに大院君を執政に据えて、その下に開化派政権を樹立させた。

清国も同様に軍の駐留を続行し、1894年日清戦争が勃発することとなった。1895年四月、日清講和条約が締結された。日清戦争で勝利した大日本帝国は清国との間に下関条約(日清講和条約)を締結、李氏朝鮮が「自主独立国」であることを認めさせ、朝鮮半島における清国の影響力を排除することに成功した。しかし、それは伝統的な宗属関係を改編して朝鮮を支配しようとした清国に代わって、日本が朝鮮を支配することを意味するものだった。

日清戦争直後の朝鮮半島では、大日本帝国を後ろ盾とする改革派の勢いが強まったものの、その後大日本帝国が西欧列強による三国干渉に屈服したことで、朝鮮王室は列強同士の牽制による独立維持を目指し帝政ロシアに接近したため、政争が過激化した。閔妃暗殺もこの時期である。1896年に親露保守派が高宗をロシア公使館に移して政権を奪取、高宗はロシア公使館において1年あまり政務を執う異常事態となった(露館播遷)。この事態は李氏朝鮮が帝政ロシアの保護国と見なされる危険性もあったことから、皇帝が主権を取る清国や大日本帝国、帝政ロシアに対抗するため国号を朝鮮国(李氏朝鮮は通称)から大韓帝国と改めたが、政体を変えることは無く、進歩会(のちの一進会)などの改革派を依然として弾圧し続け、近代化に向けた国論の統一をしなかったことや国外からの干渉などから大韓帝国が独自に近代化を進めることは困難だった。

このようになぜ日本が朝鮮併合に踏みきったかまではETV特集「シリーズ日本と朝鮮半島2000年」では描かれていない。しかも、番組終盤に「いよいよ植民地化へと動いていくのです。このあと総合テレビのNHKスペシャル「シリーズ 朝鮮半島と日本」では朝鮮併合に移ります。」。併合は日本との共同化であり列強国の植民地化ではないことは常識ある人たちは知っていること。識字率の極端に低かった朝鮮に小学校をつくり、ソウルや台北に日本よりも優先的に大学を建てて高等教育を図ったし、苗字を持たなかった一般人に戸籍や民主化をすすめ日本国内と同等に殖産・インフラ整備し近代化に巨額の国費を使ったことが植民地化か?分かっていてやっているのか、どうしても侵略にしたいのか。

ここに焦点をもっていくのは台湾の日本統治から始まる「JAPANデビュー第一回」と同じ愚考をまたくり返そうというのだろうか。「冬のソナタ」で韓流ブームに火をつけたからといって、総合テレビのプライムタイムに平気で韓国ドラマを流す無神経さ。映画製作でもかつてない破天荒な240億円もかけて「坂の上の雲」を原作とは関係ない中国人への蛮行などをストーリーに仕込み3年間かけて放送する不可解さ。原案としているが、それならドラマのタイトルも変えるべきではないか。生前ドラマ化に反対していた司馬遼太郎に失礼だし視聴者は「坂の上の雲」はそういう内容だと誤解してしまう。NHKは日本の公共放送だ。日本国民が観ることを前提に製作しなければおかしい。その自覚と誇りを忘れて、GHQ的自虐史観で描くことをまだ続けるとしたら、日韓双方に害あって一利なしであり、本当にそっぽを向かれるだろう。

私はNHKがこのようなNHKでなければできないアジア(中韓)と日本について真正面から扱うシリーズを企画したことは評価している。歴史認識は双方の見方があるのはやむを得ないが、何度も書いていることは、歴史研究は学識的な客観的史実に基づいて行わなければならない。中国や韓国は国策で一方的な歴史観や歴史教育を行っている。日本と同等な文化的レベルにならなければ長いスパンで歴史を研究する気概は起こらないのだ。韓国はGDP水準(2008年のGDPで世界15位)が上がってまだそんなに長くはない。日本の完全な文化解禁もされず、韓国映画・ドラマは日本で解禁されているが、日本の映画・ドラマはケーブルテレビはあるものの全面的に解禁されていない。大手テレビ局では日本のドラマのパクリが野放しだ。自動車・電気製品などの輸入品に高い関税をかけて自由貿易協定(FTA)もまだ行っていないのである。ニセ物ブランドもいまだ横行している。

韓国統監であった伊藤博文らは対外的に「まだ国際社会の同意を得られない」と考えていたことなどから「併合は時期尚早である」として反対していたが、1909年4月に桂太郎首相と小村寿太郎外相が伊藤に「韓国の現状に照らして将来を考量するに、韓国を併合するより外に他策なかるべき事由を陳述」を行ったところ、「(伊藤)公は両相の説を聞くや、意外にもこれに異存なき旨を言明」し、なおかつ桂・小村の提示した「併合の方針」についても、「その大網を是認」した。伊藤は2週間後に東京で行った演説でも、「今や方に協同的に進まんとする境遇となり、進んで一家たらんとせんとす」と併合を容認する発言をして聴衆を驚かせている。伊藤暗殺時にはもはや日本政府内において日韓併合に反対する政治勢力は存在しなかった。

大韓帝国は冊封体制から離脱したものの、満州を手に入れた帝政ロシアがそれまでの朝鮮半島に持つ利権を足がかりに南下政策を取りつつあった。当初、日本側は外交努力で衝突を避けようとしたが、帝政ロシアとの関係は朝鮮半島の利権や東アジアの勢力扶植をどちらが手に入れられるかで対立し続け緊張は頂点に達した。1904年には日露戦争の開戦にいたる。

韓国政府は日韓併合(朝鮮併合)100年の節目に当たることから大々的なイベントを計画しており、小沢一郎は訪中のあと韓国を訪れて大学で「天皇は神武東征といって朝鮮半島から日本に渡って大和に朝廷を造られたのが日本の始まりだ」「桓武天皇の皇后は朝鮮の王女だ」「日本人は自立心のない国民だ」などととんでもないことを堂々と無知を恥じずに講演しているのだ。また朝鮮併合100年を記念して天皇訪韓を意図する発言を述べている。小沢が「外国人地方参政権」を支持しているのも在日韓国人の票欲しさである。

『海峡を往還する神々: 解き明かされた天皇家のルーツ』 著者: 関裕二氏は、

◆はたして日本は半島の人びとによって征服されたか

(中略)

日韓共催のワールドカップが開かれる前年の2001年12月18日、宮中の記者会見の席上で、今上天皇は、皇室と朝鮮半島との「ゆかりと関係の深さ」に言及された。

 第十五代桓武天皇の生母(高野新笠)が百済の武寧王の末裔であったこと、武寧王の子聖明王が日本に仏教を伝えたことなどである。

 日本では少しは話題になったが大きく取り上げられたわけではなかった。ところがお隣韓国では、朝鮮日報などのマスコミが、この発言を見逃さなかった。

 報道の要旨は、「日王(韓国では天皇という表記を拒否している)」王家報道は日本ではタブー」といい、韓国の歴史学者の「日王は百済王家の末裔だ」という主張を紹介することで、なぜ「日王」には未だにタブーが残されているのか、その理由を「日王」の系譜に求めている。
 つまり、「日王」は朝鮮半島から日本に渡り、征服王になったといっているわけで、だからこそ、日本では天皇を語る事自体、タブー視されていると報道したわけだ。

 日本人自身の中にも、「天皇家の祖が海の外からやってきたから」という、漠然とした認識が存在するのではあるまいか。

 それにしても、なぜ「天皇家は日本人ではない」という推理が、ここまで広まっているのだろう。そして、日本列島は、本当に朝鮮半島の勢力によって蹂躙されていたのだろうか。

 まず無視できないのは、戦後すぐに発表された江上波夫氏の騎馬民族日本征服説の存在であろう。(中略)戦後史学会の「戦前の皇国史観を打ち破り、新しい歴史観を構築したい」という空気に、うまくとけ込んでいったわけである。

 その後も、「天皇家は朝鮮半島からやってきた征服王」という推理は、学者のみならず、作家らによって、雨後の竹の子のように提出された。それはタブーであるからこそ、「タブーに触れてみたい」という心理が働いたといえなくもない。

 たとえば、海音寺潮五郎氏と司馬遼太郎氏は『日本歴史を点検する』(講談社)のなかで、江上波夫氏の騎馬民族について、
海音寺「古代の一時期、朝鮮南端は日本の天皇家及び天皇を取り巻いている貴族らの根拠地であったという風に、江上博士は言っていますね。最近の朝鮮の学者たちにもその説の人が多く、こっちが本家で、日本が分家だという説なんですね。戦後まもなく私もそれを考えた事があります。」…
司馬「私も大雑把にいうと、そういう考えが常識的だと思うんですけども」

 だが、少なくとも、考古学的には、騎馬民族が日本列島を征服した物証は全く見つかっていない。また、三世紀半ばから鋼板のヤマト建国は、「強い王の征服檄ではなく」

◆騎馬民族は日本を簡単に征服できたのか

 古代の日本列島が朝鮮半島の人びとによって蹂躙されたという発想は、なぜ生まれたのだろう。それはまず、当時の文化の流れが中国→朝鮮半島→日本列島であり、つねに朝鮮半島の文化が進んでいた、という単純な図式が頭にあるからだろう。

 ちなみに、文明、文化の発達の基準がどこにあるのかは筆者もよくわからぬが、少なくとも、朝鮮半島は「文化的に日本の上」にあったのではなく、「文化・文明の通り道としての順番が先だった」ということでしかないと考えている。しかも、日本には縄文一万年の技術の蓄積があって、あたらな文化文明を自分なりに咀嚼する力を発揮した点、卑下する必要はどこにもない。(中略)

 かたや中華思想に染まっていた朝鮮半島にすれば、日本から逆流してくる文化を蔑視し拒否し続けてきたから、いつまでたっても中国のミニチュアから抜け出せなかった。

付け加えれば、豊臣秀吉が朝鮮征伐をしたのは、明国への遠征ルートであって、朝鮮半島はその通り道であり、目的ではない。半島は明の属国であったから、明と朝鮮の連合軍と戦ったのである。日露戦争で朝鮮半島がロシアや清国の影響下に組み入れられると、日本列島に脅威がのしかかるために、朝鮮の清からの独立を果たしたのであり、それでも国が治まらないために併合し、日本人と同じ教育と政策を行った。欧米の植民地化ではない。
 

日下公人 朝鮮半島から手を引いて日本はゆたかになった

天皇の訪韓を併合記念と合わせて行えば、謝罪を要求しかねないから、なんとしても阻止するよう危機感が高まっているのだ。これは平成天安門事件で中国の度重なる要請で当時の中国外相、銭其シン氏は回顧録で3年後1992年の天皇の訪中が「西側の対中制裁を打破する」中国側の政治利用・対日工作だったことを認めている。窓口になったのは渡辺美智雄外相(副総理)。当時は宮澤内閣。内閣官房長官は加藤紘一。

強制連行、従軍慰安婦(実際は売春婦)、南京大虐殺、靖国神社A級戦犯合祀(区別であり犯罪の等級ではない)は朝日新聞の捏造で、中韓はそれを政治利用したのです。朝日は一切謝罪しません。他にも朝日は捏造が耐えません。NHKや朝日は自らの反省をせず、すべては軍部が悪いと決めつけて責任転嫁しています。


昨年から始まった「JAPANデビュー」では、横浜港開港から150年としながら、日本が西洋列強に対抗する際に命運を握った「アジア」 「天皇と憲法」 「貿易」 「軍事」に世界史上から焦点をあてた特別番組として4回が放送された。
第一回「アジアの“一等国”」はなぜか「日本統治時代の台湾について」を「日台戦争」「人間動物園」などという事実無根の史観を持ってきて、
「日本統治時代が悪と一方的に描かれており、内容が偏向している」
「日本の台湾統治を批判するため、(台湾人の)証言をねじ曲げている」
「番組にはやらせや、事実の歪曲・捏造があり、放送法に違反している」
「台湾の人の心と日台関係を傷つけた」
「台湾をよく知らない人に排日的だと誤解を与える」
「NHKに「人間動物園」とおとしめられ、名誉を傷つけられた」
などとして、視聴者、地方議員、自民党国会議員、産経新聞・週刊新潮・日本文化チャンネル桜などのメディア、有識者(産経新聞紙上に掲載された意見広告)、更に、番組に出演した台湾人(パイワン人を含む)や台湾や日本の民間団体など日台双方から抗議や批判が続出した。
さらに台湾人を含む8389名が東京地裁にNHKを提訴。その後二次提訴がなされ、原告には番組に出演したパイワン族も加わり一次提訴と合わせた原告は1万300名以上放送後より物議を醸し、日台双方の視聴者や番組出演者を含めた一万人を超える日本裁判史上最大の集団訴訟が起されている。
2月15日 初公判が行われます!
東京地方裁判所における第一回公判が、来たる 2月15日(月) に行われる予定となっております。
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NHK、朝日が報道を正せば日本は明るくなる
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