豊岡の近代化遺産・城下町界隈

とよおか市民学芸員養成講座第九回 「豊岡の近代化遺産」
講師:松井敬代さん(豊岡市教育委員会主幹)
日時:平成26年11月16日10:00-12:00

とよおか市民学芸員養成講座第9回に参加してきました。
ポカポカした陽気に恵まれ、近代化遺産と京町の城下町界隈に残る遺産を歩いてまわりました。

高石医院開業 画廊オープン記念特別企画展『胡蝶のゆめ~KEiKO*萬桂の世界』

高石医院開業です。豊岡市元町12-6

この建物は、大正14年(1925年)の北但大震災によって昭和のはじめにたてられた耐震建築のひとつで近代化遺産

高石先生とは十数年来のご友人。大勢のお客さまで賑わいっていました。先生と奥様にごあいさつして中を見学させていただきました。

1fは高石医院、2Fでは豊岡画廊となっています。オープンを記念して、記念特別企画展『胡蝶のゆめ~KEiKO*萬桂の世界』が開催されてFB友達にさせていただいているKEiKO萬桂さんにも初めてお会い出来ました。

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【たじまる】 木造瓦葺きの現役駅舎 JR西日本播但線 竹田駅

  
兵庫県朝来市和田山町竹田字中町西側241

竹田城に行く途中に是非寄ってみたかった竹田駅。播但線でも北近畿の駅舎では、最も現役のままで補修され使用されている数少ない駅舎です。
重厚な造りの木造瓦葺きの駅舎が、現役で使われ続けている。その駅舎は元々単式であった寺前方面行きホーム側にあり、反対側の和田山行きホームへは跨線橋で連絡している。なお簡易委託駅のため、早朝と夕方以降は無人となる。

歴史

1906年(明治39年)
4月1日 – 山陽鉄道の新井駅 – 和田山駅間の延伸と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
12月1日 – 国有化により官設鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 – 線路名称制定。播但線の所属となる。
1963年(昭和38年)3月1日 – 貨物の取扱を廃止。
1973年(昭和48年)4月1日 – 無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 – 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
竹田駅の開業は明治39年4月1日。昭和48年から無人駅になりました。2008年度の1日あたりの乗車人員は139人である。(兵庫県統計書より)
竹田駅は風情のある白壁木造で、黒瓦の大きな切妻屋根を持つ駅舎です。
周辺はまだ江戸時代の城下町の名残があるたたずまいで、駅前にある寺院の脇には「天空の城」と呼ばれる竹田城跡への登り口があります。

播但線

兵庫県の中央部を流れる市川・円山川に沿って山陽本線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡路線である。寺前駅以南が電化されて以降、この路線の直通列車は特急「はまかぜ」のみとなり、それ以外では地域輸送が主体となっている。
かつて山陰と山陽の連絡機能をもっていた播但線は、平成6年から智頭(ちず)急行の開業によって、その役目が少なくなり、現在、山陽方面から播但線を経由して鳥取駅に至る列車は特急「はまかぜ」のみが上り・下り各1本ずつになっています。
普通列車については電化区間の姫路駅 – 寺前駅間と、非電化区間の寺前駅 – 和田山駅間で運転系統が分かれており、全線を通して運転される列車はない。また、朝晩を中心に姫路駅 – 福崎駅間の区間運転もある。
播但線沿いに国道312号および播但連絡道路が並行する。播但線の前身である播但鉄道が開業するまで、生野銀山と姫路市の飾磨港とを連絡していた生野鉱山寮馬車道という道路も存在していた。
関西では代表的な非電化路線であったため、1972年(昭和47年)の蒸気機関車廃止時と1992年(平成4年)の客車列車全廃時には、それぞれ多くの鉄道ファンが沿線に詰めかけた。

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期間限定 余部鉄橋と新型はまかぜの競演

新型はまかぜ 余部鉄橋と期間限定の“競演”
神戸新聞

来年春に導入されるJR西日本の特急「はまかぜ」の新型車両が、山陰線などで試験走行を重ね、8月12日に新しい橋への切り替えが近づく余部鉄橋と、期間限定の“共演”を続けている。

試験走行は、通常の列車運行の合間を縫って実施。車両が所属する京都総合運転所から不定期で、山陰線や播但線を経由して豊岡市や鳥取県米子市を往復している。
5月初めの試験走行では、沿線の景観に調和するようステンレス製の車体にあかね色のラインを施した3両編成の新型車両が、新緑を縫ってゆっくりと赤色の鉄橋を通過。カメラを構える鉄道ファンの姿も見られた。

JR西日本は計7編成を製造。秋ごろまで試験走行を重ねるが、余部鉄橋は今後、橋脚撤去のため設置が進められる足場で覆われていくという。
(長嶺麻子)
(2010/05/17 10:24)

8月12日に新しい橋への切り替えが近づく余部鉄橋の勇姿が見られるのもあと3か月となった。日本一の高さを誇る余部鉄橋を通過する列車は、豊岡~鳥取間の普通列車を除くと、特急はまかぜのみだ。

特急はまかぜは、鉄道ファンなら欠かすことができないユニークなディーゼル特急である。兵庫県の南北を播但線、山陽線経由カバーする但馬、播磨、摂津の三国の景色が楽しめる昭和の旅行気分が残る飽きない特急だ。

ベースは急行「但馬」で、県庁や神戸に行くには鳥取や但馬の人々には思いでのある列車である。夢千代日記のモデルにもなった。現在急行は廃止され、はまかぜが播但線唯一の鳥取、大阪間の直通運行列車となっている。

見どころ、楽しみどころは、

余部鉄橋と山陰海岸(日本海)
日本一の山城 竹田城址と創業以来の木造駅舎 竹田駅通過、播但、山陰本線でここぐらいしかない。
播但線の難所生野峠越え、ディーゼルエンジンがうなる
世界遺産・国宝 日本一の名城 姫路城が見える
姫路駅で進行方向が逆になるので座席回しが楽しめる?
車内販売の駅弁は「かにずし」など(3,5,6号は全区間で車内販売なし)
山陽本線では複々線で新快速や山陽電車と競い、特急の意地を見せるが、ディーゼルエンジンがやたらにうるさいところが人間?くさい。新型は静かになるだろう。
明石海峡大橋と瀬戸内海
港町神戸と六甲山
大阪駅では福知山線経由の北近畿より後発ながら先にゴールする。山陽本線区間で稼いでいる。

福崎駅 – 寺前駅間:110km/h、大阪駅 – 姫路駅間:120km/h
1粒で2度美味しいのがグリコなら、1回の乗車で日本海と瀬戸内海、山陰本線、播但線、山陽本線と3度美味しい兵庫県の見どころや広さが実感できるのである。
いとおしい。(^_^;)

京都総合運転所所属のキハ181系気動車が使用されている。2009年3月14日現在、同系列を用いるJRの定期列車運用は本列車が唯一である。

停車駅
大阪駅 – 三ノ宮駅 – 神戸駅 – 明石駅 – 姫路駅 – 福崎駅 – 寺前駅 – 生野駅 – 和田山駅 – 八鹿駅 – 江原駅 – 豊岡駅 – 城崎温泉駅 – 竹野駅 – 香住駅 – 浜坂駅 – 岩美駅 – 鳥取駅
大阪駅 – 香住駅間(3・6号)、大阪駅 – 浜坂駅間(1・4号)、大阪駅 – 鳥取駅間(2・5号)でそれぞれ1往復、合計3往復運転されている。このうち、3・6号は多客時 浜坂駅まで延長運転されている。

外部リンク
http://www.jr-odekake.net/train/hamakaze/index.html

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【たじまる】 井東勇先生宅跡

兵庫県豊岡市日高町八代

かわいいアーチ型の窓が目を引きます。
新しい道ができるまでは旧道からは高い場所で気がつかなかったのですが、ドライブ中に変わったデザインの建物がふと目に留まり、寺院かな?と訪ねてみました。
今まで町内に住んでいてまったく知りませんでした。

玄関にはダイコンやネズミが描かれています。


表側に 「領徳碑」 兵庫県知事 阪井時忠
裏に書かれた内容(一部文字が読めませんでした)
井東勇先生は明治二十四年四月十五日医師逸太郎氏の嫡子として生まれ
県立豊岡中学校を卒し 大正五年三月金沢医学専門学校卒業 二年間附属病院 研究後この地にて医院開業 今日まで 十有余年 八代地区は元より奈佐地区民の医療に精魂を尽くされ□て  村医 校医 町医 城崎郡医師副会長を歴任されました
先生は温厚至誠刻苦勉励人 権勢おもねず営利に走らず 常に病人を看い 鋭意地区の診療にあたられ 「医は仁術なり」を身をもって示されました
人心軽薄功利に走る現世情に 人の道を教えられた先生の仁徳を仰ぎ その功績を永久に讃えるため 関係地区の善意によって この碑を建立する
昭和四十四年四月十五日
県立豊岡高等学校教諭 細川泰翆書

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【たじまる】 明治時代近代化遺産 達徳会館

  
2016.12

旧豊岡中学校本館(現・達徳会館 -達徳会:豊岡高校の同窓会)
兵庫県豊岡市京町

1896年(明治29年)に、当時の本館として建設された建物。木造2階建てで、当時の流行であった擬洋風で建設されており、明治時代の近代化遺産として豊岡市指定文化財に指定されている。老朽化が烈しく現在は利用されていません。数年前に28期生同窓会が百年記念館であったとき以来、拝見しましたが外壁のペンキが剥がれかけており寂しい感じです。補修が必要です。


旧豊岡中学校本館でしたが、公売されかけたとき、校友会「達徳会」により救われたことがきっかけで保存され現在地に。現在はこの名称で呼ばれている。玄関には旧制豊岡中学、旧制豊岡女学校の校章が掲げられている。


和魂碑
達徳会館と校舎の間。豊高が火災に遭った年に1年で、プレハブ校舎が1年半、新校舎は2年後半からで、和魂ホールも建て替えられ、火災から免れた建物は今は達徳会館と木造建築とこの和魂碑が当時の面影を残しています。
グループ毎の卒業写真では、和魂碑をバックに人気が高いスポットです(でした)。


達徳会館奥にある木造平屋建て現存する唯一の和建築。
茶道部が使用していたが、今は不明です。

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【たじまる】 豊岡県庁門


久美浜縣庁門を豊岡縣庁に移しました。(豊岡市図書館)

1868年(慶応4年)に久美浜縣(くみはまけん)が誕生。丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄する広大な縣でした。
久美浜は天領(幕府直轄領)だったので、縣名云々よりもとにかく旧藩(旧勢力)の解体を急いだのです。その処置は全国的に行われました。
しかし、久美浜縣は、その範囲があまりにも広く、生野代官所支配地を中心に分離運動が高まり、1869年(明治2年)、但馬北部を豊岡縣、但馬南部と播磨、美作3ヶ国を生野縣として分離しました。また、南東部の一部を篠山藩へ移管しました。
1868年(慶応4年)に久美浜縣(くみはまけん)が誕生。丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄する広大な縣でした。

1869年(明治2年)8月10日、但馬、播磨、美作を生野縣として分離、但馬南部の一部を篠山藩へ移管。
1871年(明治4年)11月2日、久美浜縣は舞鶴縣や篠山縣など11縣16郡を豊岡縣に統合され消滅。
それは、久美浜は北端に位置するため、播磨、美作などから遠すぎたためです。
但馬
生野縣/出石縣(3万石)/豊岡縣(1.5万石)/村岡縣(1.1万石)
丹後
宮津縣(7万石)/舞鶴縣(3.5万石)/峰山縣(1.1万石)/久美浜縣
丹波
篠山縣(6万石)/福知山縣(3.2万石)/柏原縣(2万石)
1869年(明治2年)8月10日、但馬、播磨、美作を生野縣として分離
1871年(明治4年)7月14日:生野縣のうち、但馬が豊岡縣、播磨、美作が姫路縣が設置。
1871年(明治4年)11月15日、美作が北条縣として発足。生野縣廃止。
1871年(明治4年)11月22日:舞鶴縣や篠山縣など11縣16郡を豊岡縣に統合。
1876年(明治9年)8月21日:豊岡縣廃止。但馬・氷上郡・多紀郡は兵庫縣へ編入。また丹後と天田郡は京都府へ編入。

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【たじまる】 近代化遺産 旧郡役所

  
旧出石郡役所【出石明治館】/豊岡市出石町魚屋

明治25年に建築された旧出石郡役所を資料館として公開しています。
歴史を彩った出石の偉人たち、出石磁器トリエンナーレ入賞作品などを展示しています。
土日休館は何とかして欲しいものです。一度も中に入ったことがありません。

  


旧七美郡役所【民俗資料館まほろば】/美方郡村岡区村岡2324-1
明治27年に洋風スタイルを取り入れた美方郡の旧役場で、現在は民俗資料館として公開されています。1階のロビーでは各種企画展を開催しており、2階の常設展では古墳の出土品や昔の生活道具等を展示しています。上記旧出石郡役所とよく似た建築です。但馬に現存する旧役所はこの2カ所のみで兵庫県内で6カ所のみ。

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【京都散策】 明治近代化遺産 北垣国道と京都府庁


京都府旧庁舎
全国で数カ所しか現存していない明治の近代化遺産です。

  
中に入ると立派な階段です。二階奥には知事室が無料公開されています。案内の方にていねいに説明を

受けました。

三代目府知事の北垣国道は、養父市出身。生野の変で戦い、西園寺公望の従軍に参加し、京都府知事、北海道開発長官などを歴任しました。東京遷都後の京都活性化に努力し、琵琶湖疎水、日本初の発電、市内電車など京都の近代化に大きな功績を果たしました。


中庭と正面


京都府庁入口に京都守護職跡の石碑があります。
会津藩主 松平容保が約1000名の会津藩兵を率いて上洛しました。
黒谷の金戒光明寺を本陣とし京都の治安維持に奔走しました。見廻り組、芹沢、近藤ら24名は容保預かりとなり、新選組は配下に置かれました。

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