第2回 「新しい日高地区をつくろう会」
第2回 「新しい日高地区をつくろう会」~日高地区を一緒に盛りあげよう~
平成27年10月30日(水)19.30~
於:日高地区公民館多目的ホール
最近ではとくに肌寒い日となりましたが、みだしの会が豊岡市日高地区各区関係者が集まって行われました。当区(東構区)は区長・副区長・事務長(私)と前区長会長のN氏4名が出席しました。豊岡市日高地区は日高地区は、旧日高町のJRの江原駅、役場、病院、学校など公共施設が集まる中心部で、日高小学校区ともいえる18区で構成されています。合併後の豊岡市は広域であることから、円山川沿いその支流出石川沿いの地区とそれ以外の地区では人口、少子高齢化率に大きな格差が見られ、日高地区は人口減少傾向は数少ない地区ではあるものの減少傾向にあります。
5年毎に行われる国勢調査によると、日高地区内でも人口格差は起きており、国分寺、山本、東構3区は人口増であります。
- 0~19歳人口推移は、H12年1,845人→H17年1,635人、H22年1,664人。
- 65歳以上の世帯数でみると、江原区、日高区がとくに増加が激しく、他の区でも微増は同じです。
日高地区公民館の名称が日高地区コミュニティとなることで、基本変わりませんが、これからのコミュニティは、行政主体から住民主体の地域づくりであること、
放送大学でかつて「コミュニティ論」「人口減少社会の生活像」「人口減少社会のライフスタイル」を受講(といっても教本とテスト程度)しており、自分を含めてこれからのライフスタイルにとっても欠かせないテーマ。
なので、興味深く参加してきました。
偶然、10月25日は市立歴史博物館「とよおか市民学芸員応用講座 第3回「くずし字に慣れる③」
講師 近大姫路大 松下正和先生
豊岡市市立歴史博物館
第1回から気多郡知見村の古文書をもとにくずし字を読み解く講座を受講していましたが、精巧な住民、石高、山林田畑の記録が五人組といわれる村のまとめ役衆においておこなわれていたことに感心しました。その内容は今と変わらないばかりか、より詳しい記録です。
実は日本こそ、西洋に負けないすぐれた民主的コミュニティ運営が江戸時代でもおこなわれていたのであり、戦後あまりにも行政に頼りすぎてきたといえるかも知れません。戦前に回帰しようというのではなく、日本のコミュニティを知ることからはじめることも大切です。
「五人組合帳」
なんでもカタカナにすれば新しい素晴らしいことかのように思わせる風潮は、大学教授などがそれがアカデミックでありなんと勘違いしていると思えてなりません。明治に福沢諭吉が西洋政治・文化などを取り入れようと懸命に学び、外来語をそのまま使用せず、日本人に分かりやすいように経済、政治、社会など、新しい日本語を創生しました。分かりやすいようにする人こそ賢者であります。はるかに明治の先人は偉大だと思うのですが、戦後は外来語を翻訳しようともせずそのまま使うことはむしろ愚かな行為であり、戦後の学者はむずかしいことをカタカナで余計難しくしたり、美しい漢字や日本語を簡単にすることが進歩だと思っておられるのか、若いころアメリカ文化や洋楽に浸った私の世代ではあるけれど、50を過ぎてもっといろいろなことを知れば、薄っぺらく格好だけ真似たシロモノこそみっともないものはありません。
何でもカタカナにすれば新しいと考える薄っぺらな発想こそ、平成も27年経った今では最早古臭くさえ感じます。グローバルとはアメリカ中心の経済では都合は良いかもしれませんが、国ごとにその特性や歴史伝統文化のバックボーンがないだけではインターナショナルに通用しない日本に衰退するだけの気がします。それは凡人にしか過ぎないことを自ら知らしめている愚行としか思えませんが、あらゆる場面で行われてきたことでありますが、公民館なら3文字で済むのにコミュニティセンターは9文字で長くなるし、高齢化社会というのにコミュニティってなんだえ?と高齢者にわかりにくい名称に変更することが本当に高齢者を考えておられるのかどうか?そんなツッコミを入れたく気も随所にあるのですが(笑)。いま福沢諭吉が生きていたらコミュニュティセンターという言葉を公民館と名付けたかも知れません。その方が意味が伝わりますj。アルファベットより字で意味を表す感じこそ、世界的に優れた文字であります。基本ヨーロッパでは教会を中心に都市国家、集落が形成され、日本では神社を中心に農村が形成されており、GHQの町会、町内会、自治会の解体があって、戦後また復活し神社境内や隣接地に公民館が建てられ、コミュニティそのものは何も変わらないどころか、むしろ自治会活動は主体性が重要になってくるということですが、ところが少子高齢化と人口減少は全国的に進んでいくことは避けられず、自主的コミュニティ運営と地域リーダー不足という、この正反する2つの課題をどのように取り組むべきかが本質だと思います。