「但馬と丹後の考古学」を聴く

Kojiyama/ 10月 18, 2014/ ライフ・文化/ 0 comments


豊岡市日高町祢布にある但馬国府・国分寺館では、『但馬vs.丹後 -古代文物の徹底比較!-』と題して第8回特別展が9月11日から11月11日まで開催されている。

この企画の関連事業がいろいろ予定されており、本日は特別記念講演会「但馬と丹後の考古学」が日高農村環境改善センター多目的ホールで開催された。なお、「丹後vs.但馬 -古代文物の徹底比較!-」が京丹後市丹後町宮の京丹後市立 丹後古代の里資料館でも11月9日まで同時開催されているそうだ。

日時:平成26年10月18日(土)午後1時半~3時
講師:菱田哲郎氏(京都府立大学教授)

講演内容
Ⅰ 日本海ルートがもたらしたもの
Ⅱ 大規模古墳が示す豪族たち
Ⅲ 横穴式石室と地域社会の形成
Ⅳ 律令制の国々へ

お話自体は、すでに知り得ている古墳とその遺物が中心であったが、質問で丹後・但馬で各地域に残る海部氏の分布についてで、先生は、丹後宮津市籠神社で知られる海部氏ですが、久美浜町などの同名氏族がすべて同じ海部氏が分かれたのではなく、籠神社の海部氏が勢力を持つようになったのは、6世紀から。それ以降に同じ海部氏ということでネットワークを形成していったのではないかと思う。同様に太秦の秦氏ももともと渡来して来た別々の地域にいる秦氏が、6世紀に広隆寺として勢力を持ち出してからまとまっていったと考える。
ということが初めて聴く考え方であった。
要するに今となっては分からないのであるが、遺物などを調査しながら解明していくことこそ、テーマにある通り考古学である。

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