神鍋の村社をたずねて

Kojiyama/ 9月 24, 2014/ 神社めぐり/ 0 comments

我が日高町は、平成の豊岡市と5町の合併で、現在は豊岡市となったが、旧城崎郡日高町で、明治39年までは気多(けた)郡で、昭和30年にほぼ一つの郡が合併し日高町となっただけに、日高町だけでも面積が大きな町だ。かつて但馬国府が置かれていたことから、但馬国内でもとくに式内社も多いが、郷と村にはそれぞれ郷社・村社がある。神社でも式内社を中心に調べているが、わが町は村社もまわっている。まったく手付かずで残っていたのが最も離れた距離にある神鍋地区の神社であった。旧日高町(旧気多郡)の北西部で、大正時代まで気多郡西気村であった。気多郡の郷でも最大の大きさで、国道482号線が通る久田谷から清滝地区、最奥の稲葉までを占める。

神鍋は正しくは西気(にしき)地区というが、スキー場が多数あり関西屈指のスキーのメッカとして神鍋という名のほうが通っている。かつて火山だった神鍋山があり、神鍋遺跡・岩倉遺跡など但馬でも早くから人が住み着いていたことがわかっている。太田は太多と書いたが「ただ」と読む。他にも栗栖野(くりすの)・名色(なしき)・万場(まんば)・山田(やまた)・万却(まんごう)・東河内(ひがしごうち)・水口(みのくち)・稲葉(いなんば)と、すぐ読めないような難解な地名が多いのも、古い日本語の発音が残っていると考えることもできるだろう。
かつての気多郡の各郷には式内社があり、太多郷の清滝地区には山神社・戸神社(共に名神大社)と二社あるが、西気地区には式内社はない。太田は國主神社・名色は八幡神社・万場は天神社・東河内は松尾神社・水口は八坂神社で、それらを除き、残る区の村社は三柱(みはしら)神社となっている。三柱とは御祭神が三神祀られているという意味である。主祭神は奥津彦命(オキツヒコノミコト)・配祀神に奥津姫命(オキツヒメノミコト) 火結命(ホムスビノミコト)を祀る。三柱神社と云われるようになったのは、意外にも明治になってからで、かつては「三宝荒神」と称していた。

ウィキペディアによれば、仏法ならびに伽藍の守護神のことである。日本では荒神のことだが、仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)するという。これを祀るものは本来なかったが、仏教の伝来とともにインドに行われた夜叉・羅刹などの悪神を祀り、これを以って守護神とする風習が伝わった。したがって古来からいう荒魂を祀って荒神とした。

  
三柱神社 村社 兵庫県豊岡市日高町栗栖野184  三柱神社 村社 兵庫県豊岡市日高町山田559

  
三柱神社 村社 兵庫県豊岡市日高町万劫67 八幡神社 村社 兵庫県豊岡市日高町名色97

主祭神 奥津彦命(オキツヒコノミコト)
配祀神 奥津姫命(オキツヒメノミコト) 火結命(ホムスビノミコト) 息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト) 品陀和気命(ホンダワケノミコト)
三柱神社と称していたが、明治42年(1909)八幡神社を合祀して八幡神社と公称。
松尾神社 兵庫県豊岡市日高町東河内97
主祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト)だが、明治27年三柱神社を合祀。
配祀神 奥津彦命(オキツヒコノミコト) 奥津姫命(オキツヒメノミコト) 火結命(ホムスビノミコト)

神社拾遺

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