日本車の品質は本当に「世界一」なのだろうか?-1

/ 2月 6, 2010/ トピックス/ 0 comments

昨日は平沼氏、安倍氏など真・保守政策研究会が「創生『日本』」と改名する会合が開かれた。トヨタリコールで思うことがある。

日本車の品質は本当に「世界一」なのだろうか?両角 岳彦
JBPRESS 2010.02.05(Fri) で

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2694
今回の「アクセルペダルの不具合」には2種類の異なる問題がある。
「吊り下げ式」のアクセルペダルにフロアマットが引っかかる

 2009年9月末に問題が表面化したのは、フロアマットが前方にずれた時に、上部を支点に吊り下げられた形になっているペダルの下端が、そのマットに引っかかって戻らなくなる、という事象。

 最近の乗用車のほとんどは、こういう事象を避けるために床面にマットを固定するピンなどを設けてある。しかし米国で起きたのは、ユーザーがそうした固定具に対応しないマット、それも相当に分厚いもの、さらに縁が厚く盛り上がったものなどを、用品量販店などで購入し、それがペダル下まで潜り込み、戻る動きになったところで引っかかる、というケースだった。

 「想定外」に近い事態ではあるのだが、設計者としてはそうした可能性までイメージして、ペダルの動きに対する床面との隙間や、ペダル先端の形状などを考えることが求められる。
 日本車のほとんどはこうした「吊り下げ式」を使っているが、床側に支点を置いて上側が動く「オルガン式」のペダルならば、こういう事象は起こりにくい。足の動きに対しても、アクセルペダルは下ヒンジ(支点)の方が本来は自然だ。しかし、欧州車には採用例が見られるこの形を採用している日本製乗用車はない(一部の例外を除いて。中大型商用車では定番だが)。

踏み込んだアクセルペダルが戻らない

 これに対して、この1月21日(現地時間)にトヨタがリコール(自主回収・修理)を発表したのは、アクセルペダルそのものの動きが渋くなって、戻る動きが遅くなったり、最悪の場合、奥まで踏み込んだ所で固着する、という事象。

 最近のクルマでは、ガソリンエンジンかディーゼルエンジンかにかかわらず、アクセルペダルとエンジンとの間に機械的連結はないものが増えている。

 かつてはガソリンエンジンであれば、アクセルペダルのアーム部分からスロットルバルブまでがワイヤーケーブルで直接つながっていた。スロットルバルブは、エンジンが空気を吸い込む管路を開閉してシリンダーに入る空気の量を調整し、どのくらいの力を生み出すかを加減する部品である。つまり、ドライバーの右足の動きがそのままスロットルバルブの動きになっていた。

 最新のエンジンでは、このスロットルバルブの開閉運動を電動モーターで行うようになり、アクセルペダルの支点部分にある回転角度センサーが踏み込み量を電気的に検出する。その動きの量と速さに応じて、スロットルバルブを動かすモーターに指令電流を送る、というメカニズムに置き換わっている。

 とはいえ、機械的連結による直接動作であろうと、電子・電気系による間接動作であろうと、このシステムの中で起こるトラブルとして最も避けるべきなのは、アクセルペダルを踏み込んだ位置、つまりスロットルバルブが開いた状態で動きが止まってしまう現象である。これはずっと変わらない。

 システムフェイル(故障)時には安全側に機能するように、という分析評価の基本からすれば、この時には「クルマの速度を落とす」方に機能すべきだ。つまり、アクセルペダルから「踏み込まれている」という信号が入っていても、ブレーキが踏まれたらスロットルバルブを戻し、ブレーキの方を優先する。

 実は、ドイツ系のクルマの多くには、この制御ロジックがかなり前から入っている。私などは「減速しつつ、でもエンジンの回転は落とさないようにしたい」とか「速度は落とさないけれども、ブレーキを軽く効かせて前輪に荷重を移動させたい」といった状況で「左足ブレーキング」を使う。つまり、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる形になるわけだ。

 その瞬間、上記の制御ロジックが組み込まれたクルマでは、エンジンの力が絞られてフッと減速してしまう。しかし制御システムとしてはそれが「正しい」のであって、ドライバーのそういう古典的な、あるいは異例の動作には反応しなくてよい。

 少なくとも、今回のリコール対象となったトヨタ車とそのエンジンは、電動スロットルを含む電子制御システムで動かされているものばかりだ。この種のシステムの導入と開発の中で「故障可能性分析(System Failure Analysis)」を、機械としての機能だけでなく、走っている中で起こり得ることまで視野を広げて行い、ドイツ勢と同じような制御ロジックを織り込んでいれば、ここまでの大騒ぎにはならなかったはずである。

 私としては、むしろ日本のメーカーで、極めて原則的なこのロジックを採用しているところがないことの方が理解し難いのだが。ブレーキはもともとシャシー部門が担当するものでありエンジンとは別部門、という旧来からの縦割り組織の問題が、こういう所にも現れているのだろうか。
 しかし、パニックに陥っているのは分かるけれども、クルマを止める方法は複数あった。
 例えばATセレクターを「D(ドライブ)」から「N(ニュートラル)」へ1段戻すだけでもいい。エンジン回転が一気に上がるが、今日のエンジンはそういう時にリミッター(回転上昇抑制)が働くので、エンジンが壊れる可能性は低い。もし壊れたとしても、止まることの方が優先なのだし。マニュアルトランスミッションなら、クラッチを踏み込めば済むことだが。そしてエンジンキーを切ること。ただし、キーをそのもう1段先まで回すとステアリングロックがかかってしまい、舵が動かなくなるので、かえって危険。

 そんなところまで頭が回らなくなっていても、実はブレーキを力いっぱい踏めば速度は落ちる。今のクルマにはABS(アンチロックブレーキ)が標準装備なので、人間の足よりもはるかに精密にブレーキをフルに効かせつつ、タイヤの回転を保って、舵の動きにも反応するように制御してくれる。

 だから、「危ない!」という時には、雪や氷に覆われた路面であろうとも、とにかく力の限りブレーキを踏む。現代のクルマでは、これが基本。自分のクルマで、何もない広い場所を見つけて、時速20~30キロメートルからでいいから力いっぱいブレーキを踏みつける体験を、一度はしておくことをお勧めする。

情報公開が後手に回っているトヨタの対応

 いずれにしても、これらの問題に対するトヨタ(米国法人)の反応が鈍く、情報公開が十分ではないことが騒動を大きくしているのではないか。遠く日本から見ているだけでも私などでもそう感じる。「製品(クルマ)そのものの欠陥ではない」というスタンスを取り続けたのは分かるけれども。

言うまでもなく民主党になって韓国籍の幸夫人の鳩山総理、在日韓国人の母を持つ小沢、帰化人の山岡、菅、在日韓国朝鮮人、同和出身の社会党の流れである土井たか子、千葉景子、辻元、福島などの連中だ。今の政府はネットでもすぐわかるように正しい歴史人認識も全くなく反日で自民党を破壊し、NHK、TBS、テレ朝、朝日、毎日、東京など在日を利用して政権を取った。「有りもしないでっちあげの強制連行、従軍慰安婦で南京虐殺で風切って、差別意識で税金のがれをしてきて飯を食ってきた在日非国民の国会議員ばかりが民主党である。」

 「顧客の皆様のことを第一に考えて、生産を一時休止しました」と新聞広告を出したり、現地法人の社長がテレビのニュースショーに出演して説明する以前に、少なくとも改修策の検討内容や、「停車状態でエンジンはかけないまま、アクセルペダルをフルに踏み込んで、パッと離した時に戻りが悪くなければ、そのまま乗っていても問題はありません」「もし走行中にアクセルが戻らない/戻りにくい現象が起こった場合は・・・」といった情報を提示するなどの対応もあっていいはずだ。もちろん「訴訟社会」米国で、揚げ足を取られないようにするには・・・、といった検討は欠かせないけれども。

 工業製品は、もともと人間が考え、作ったものであって、完全なものは存在しない。だからこそリコールという制度もあるのだし、どこに問題があるか、どうすれば対策ができるのかを明らかにすることが顧客と社会の信頼を得る方法である。この欧米社会の「常識」に沿った対応になっていないのだから。

 私はメカに詳しい方ではないけれど、教習所で習った程度の基本的な自動車のシンプルな構造はわかる。いずれにしても運転時のもっと基本的な運転操作知識が欠けている議論だ。

 また教習所では下りの坂道ではブレーキに頼らずエンジンブレーキを利用することを習うだろう。エンジンの回転が下がりことで速度を下げることだ。またシフトダウンをすればエンジン回転は落ちなくても速度は下がる。もっと究極は、速度によってはショックが大きいが、ガードレールや山道なら斜面に車体の側面をあててスピードを殺す。だいたい足回りに分厚いマットを敷いて置く危機感のないドライバーや、クルマのシフトダウンや止め方という基本的静止方法すら徹底して教ていないとすれば、アメリカの運転免許自体が基本的な間違いだろう。

メディアのニュースでは、「部品が米国製だったから」、さらには「米国との貿易摩擦を回避するために現地生産を拡大したことが遠因」などと的外れな話を始めるテレビのワイドショーまで出てくる始末。

さらにテレビのニュースでは、ABS作動に1秒以内のロスがあるなどと分かったような分からない実験をやっていたが、0.何秒がどうだというのだ。人間がとっさにブレーキペダルを踏む条件反射時間の平均である0.7秒より早いと思うが。しかもABSは断続的に作動ロックを抑える機能だから、ABSがない場合、濡れたり氷結した路面でブレーキをべったり踏み込むことによりタイヤが路面をすべる方が危険である。究極はキーを切ればエンジンは止まるのだ。

トヨタバッシングという憶測も生まれている。米国内で国内自動車産業ビッグスリーが会社再生で不況に陥って失業が深刻だから、かつて起きた日本車バッシングやTOSHIBAノートパソコン叩きが起きたことでも否定はしない。

しかし、それ以前にトヨタのリコールの情報公開が後手後手で、製品自体が欠陥があったとばかりの発表で、想定外の運転方法や、純正品ではなく用品量販店などで購入した危険なマットの使用についての安全へのお知らせなどの広報が遅すぎるのである。

「製造品質」で世界一、しかし「設計品質」は・・・

 一方で、「トヨタの、そして日本車の『高品質神話』に疵がついた」といった論調も日米で目につく。しかし、これもまた、通り一遍の「通説」をお題目のように唱えているにすぎない。

 そもそも「品質」とは何だろうか?
 かつてトヨタの心あるエンジニアが私にこう語った。「トヨタは『製造品質』では世界一になったと思います。しかし『設計品質』においてはとても世界一になったとは言えません。むしろ他にもっと優れたメーカーがいくつもあります」

 この言葉を、私は何度となく思い出し、噛みしめている。
 自動車の品質で最も分かりやすいのは、製品として顧客の手に渡った時点で不具合が少ないこと。これが「製造品質」。

 しかし、それだけが自動車の品質ではない。まず工業製品として、機械として、あるいは空間設計など自動車の基本機能において、より優れたものを生み出すべく、様々な角度から見て、考えて、知恵を絞って、創造する。そこに現れるのが「設計品質」。

 さらに、それを現実に走らせ、使った時に、人間が体験・体感する移動空間としての資質こそ、自動車にとって根源的な「品質」なのであって、私はそれを「動質(Quality of Dynamics)」と呼んでいる。これら全てが一体となって、自動車の「品質」を形づくる。

日本のクルマづくりに広がり始めた亀裂

 トヨタを核とした日本車、そして日本の自動車産業は、この「製造品質」を得意技にしてきたわけだが、自動車産業、とりわけ部品産業のグローバル化によってノウハウや設計基準が拡散し、日本のリードはみるみる縮小してきた。

 その一方で、「効率的な経営」などの表層だけを追いかける動きによって日本のクルマづくりそのものの中に欠陥や弱点が生み出され、しかも、それらを看過したままバブルに浮かれて製品の本質を軽視し、コスト切り詰めばかりを追いかけてきた十余年の間に、亀裂は危険な大きさにまで広がりつつあるのだ。

「ハイブリッド」「電気自動車」一色の表層的な未来像

 実は、今この時に進めておかなくてはならないのは、その「次の時代」に向かう自動車とその社会のあり方のビジョンを描き、基礎にまで戻って技術的な足場を構築することなのだ。

 表層だけを見て語られる浅い観測、例えば「(欲望が沸騰する)途上国市場に対応した安価な製品の開発と生産」「さらなるコスト低減」などを志向すればすむわけではない。むしろそれは自分たちの首を自ら締める方向でしかない。それが見えている人々が、日本の自動車産業の中にどれほどいるだろうか。

 まず、自分たちは何を実現していくべきなのかという企業としての基本に立ち戻る。そこから製品戦略を描き、そしてそれを実現するための技術戦略(実装技術だけでなく生産技術まで)を描く。それに沿って布石を打つ。欧州では、まさにこのアプローチで動き出していることが読み取れるところが、完成車メーカーだけでなく部品メーカーでも、いくつかはある。しかし残念ながら日本には、ない。

 「技術戦略」というものを簡単に考えて、例えば電気自動車(EV)や、ハイブリッド動力車、この両者の交雑種的技術にすぎない「プラグインハイブリッド」などだけに注力していれば「エコカー技術で世界をリードできる」、などという甘い夢物語に身を預けていてはいけない。

 これからしばらく、おそらくは20~30年先までの(その先はまだ「見えない」)自動車とその技術は、動力源に限っても内燃機関を主軸に進み続ける。何よりまずその効率を、それも「お受験」の点数稼ぎではなく、現実の社会の中でのエネルギー利用効率をいかに高めるか。さらに燃料をどうするか。

 にもかかわらず、日本の自動車産業は、そしてそれを取り巻くウオッチャー群の意識は、「単一」「短視眼」でしかない。「エコカー」「電気自動車」・・・。そんな表層の一事象だけがクローズアップされると、そこだけしか見ない、見えなくなってしまう。しかし、それでは世界の自動車産業、自動車社会の中で、自ら立ち位置を狭めてしまう方向なのだが。
 一方で「エコカー補助金・減税」という施策は、特定のモデル、言い換えればメガメディアによる「アナウンス効果」の大きい車名だけに顧客が集中するという、歪んだ消費を生み出している。

 本来、「個の移動空間」であり、同時に非常に高価な消費財である自動車は、それぞれの人や家庭の状況や使い方に応じて、最適な居住空間と走る能力、そして使う中で間断なく体験する「クオリティー・オブ・ダイナミックス」(私はこれを「動質」と表す)をイメージし、考え、現物を検討して選ぶべきものである。

「お受験テクニック」ばかりに長けていく日本メーカー
2010年、自動車産業が甘い夢から覚める時  2010.01.14(Thu) 両角 岳彦
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2526

  その「次のクルマ」を選択する条件の中に「エネルギー消費はできるだけ少なく」という要素が加わるのは、当然のことであり、また、今に始まったことでもない。そして、それだけで数年~10年におよぶ「個の移動」の道具を安易に決めてよいわけではない。

 「環境対応車」と称する判定は、補助金と減税の対象を判定する「環境対応」の中身は、燃費、それも規定された非現実的なパターン(モード)を「お受験テクニック」を駆使して台上試験を行った結果の数値だけである。この実態については拙著『ハイブリッドカーは本当にエコなのか?』で、より詳しく紹介している(エコな面もあるし、逆に環境負荷を増やす面もある、という検証を記した)。

 その燃費公称値が、車両重量区分に応じて設定されている「平成22年度燃費基準」の値をクリアしていれば購入補助金の対象となり、15~25%上回れば自動車取得税の一定額控除と重量税の減税が得られる。同じモード試験の中で同時に計測される排出ガス中の有害成分(もともとはその評価のためのモード)も、現行規制値よりさらに低いことが求められている が、燃費(エコカー減税対象レベル)に比べればクリアするのは難しくない。

 端的に言えば、このルールでは、必ずしも「実際の使用環境の中で」環境性能に優れたクルマがフィルタリングされるわけではない。
 例えば様々な走行環境を、様々なドライバーや走り方で走った時の「実用燃費」は良いのに、「お受験」に偏しないクルマ、たとえば欧州メーカーのほとんどの車種は条件を満たさず、減税・補助金の対象になっていない。新たな非関税障壁だとして非難の声が高まっているのも当然だ。

 例えばフルモデルチェンジしたフォルクスワーゲン「ポロ」の場合、現状の1.4リッターモデルでも郊外路を中心に市街地も走るパターンで1リットルあたり15~18キロメートル、高速道路では同20キロメートルかそれ以上と、燃費チャンピオンを狙った日本車と同等か、走りのリズムの良さによるばらつき(燃費の悪化)の少なさを考えれば「それら以上」と判断できる実力が確認できている。しかし「エコカー減税・補助金」の対象にはなっていないのである。

 また、数年~10年を過ぎた時、電池やモーター、銅線など様々な部品、素材の回収とリサイクルはどうなるか。そこでの環境負荷は未知数の、つまり現在はまだリサイクルシステムが存在しないハイブリッド車の「環境対応レベル」はどう評価すべきか。

 全てのクルマ(と工業製品)に対して、「素材までのリサイクル」を早期に確立することを同時に求めるべき時期に来ている。

 欧州では「(重量の)85%までを素材に戻す」ことを求める新しいリサイクル基準が提示され、自動車メーカーはそれを先取りする形で現実の製品に織り込みつつあるのだ。この辺りも前出の拙著にはもう少し詳しく書いておいたので、ご参照いただければと思う。

日本だけがズルズルと続ける「エコカー減税・補助金」

 しかし、この施策が顧客を引き寄せ、財布のヒモを緩ませる有効な手段であり、しかも他に「これは」という方策がないとなれば、当然ながら日本の自動車メーカーは、できるだけ多くの車種をその対象にすべく、モード燃費の数値を改善した製品を次々に送り出してくる。

 細かな仕様や制御を修正し、試験を行って確認し、「お受験」を行って届け出を行う。それにはけっこうな工数を費やすので、「一部改良」「エコカー減税・補助金の対象」をうたうモデルが急に増殖したのは、2009年後半になってからだったけれども。

 そうなると、「環境対応」の資質が飛び抜けて高いといえないクルマであっても、かなり金額の大きい補助金や減税が受けられる状況が拡大していく。しかも、全ての自動車保有者の中で、この時にクルマを買い替える限られたユーザーだけが相当に多額の優遇措置を受けられるという不公平さが初めからある。もちろんその原資は、税金だ。

 とりあえず景気刺激を優先して、「エコカー減税・補助金」は半年間の延長が決まり、2010年9月までは継続されることになった。対象車種はこれからも刻々と増えてゆくから、補助金として払い出される税金、減免される税金も加速度的に増える。

 しかし財源の問題は今後さらに切迫してゆくわけで、その中ではもっと「広く、薄く」展開する景気刺激策が優先されるべきだ。米国は準備した予算枠に達した途端に同種の措置をあっさり打ち切ったし、欧州各国もそう長く続けはしない。日本だけがズルズルと続けている状況になりつつある。

 つまり論理的に考えれば、この特例措置は9月いっぱいで打ち切りとなる。そこまでに駆け込み需要があり、逆にその先には大幅な需要減退が起こることは覚悟しておいた方がいい。

「クルマ離れ」を生み出しているのは誰か

 もっと根深いところに「日本のクルマ」と、それを造る組織と人間の病根が生まれ、しかもそれが加速度的に進行している。

 「クルマ離れ」は、根源をたどればそのクルマを造り出している側が生み出したものであり、それを、都会だけしか知らない(見ない)メガメディアが作る「気分」が加速している。

 そして、さらにその先に、これから10年の単位で世界の自動車産業と自動車社会が動いていくであろう潮流に対して、日本は準備ができているのか。潮流の先頭に立つどころか、むしろ大きなうねりに呑み込まれ、埋没してゆく可能性の方が大きくなっている。

 私のマイカーはダックスホンダの原付から始まり、三菱、ホンダ、トヨタから現在は10年以上も新古ドイツ(BMW)車を乗っている。それは、単なる外国車への憧れだけではなかった。トヨタにしたのは画期的なミッドシップエンジンのエスティマを発売したからその廉価版のエミーナが出て買った。300万は高かった。

 自動車とは単なる走る道具か。トヨタよりも日産、いすず、三菱、スバル、ホンダが好きだったのは、物づくりに対してその会社のファンになれる魅力があるからではないか。ナショナルがトヨタが嫌いだった。カローラや家電で昭和の大衆社会を築いた貢献は偉大だ。しかし、私は昭和32年生まれからか少しは消費財にゆとりがあり目が肥えていた。歌謡曲よりニューミュージック、ナショナルよりはソニーやビクター、トリオ、パイオニアファンだったし、トヨタよりはF1で風靡したホンダファンだった。バンド時代はギターもギブソンやフェンダーアンプや外来品を崇拝した世代でもある。それは当時総合的に日本製品は劣っていたからだ。腐れ切った世襲の自民党なんか見向きもせず他党に投票したこともある。

 トヨタに限らず日本のメーカーや政治が錯覚している。日本は世界の標準でないことだ。大量生産のクルマは世界一だが世界に誇れる「設計品質」のクルマを生み出したか?日本のメーカーとして誇れる新しいクルマを造ってきたのか?とっくの昔からの国内の自動車ファンからそっぽを向かれていたことだ。

 もうすでに買い換え時期だが買い換えるつもりもない。不況でカネがないのも確かだが、ここ10年来国産車に魅力的なクルマがない方が多きいし。ペットのように死ぬまでトヨタは乗らないしBMWを可愛がってやりたい。かつて少年時代にわくわくしたスカイラインやフェアレディ、アコードなど。少年は大衆的なトヨタに魅力的なカローラに興味は沸かなかった。燃費だけで、後のリサイクル活用も考えないプリウスがインサイトがなんなのよだ。

 売れればいいのか読売新聞、サントリーやパナソニック(松下電器)、そしてトヨタの日本車はクルマづくりの物づくりのポリシーがない。NHK、朝日新聞、民主党、社民党、共産党、日教組、鳩山、小沢も。守旧党であるあなたらが日本をダメにしてきたのではないのか!
長いのでこれより分けました。

http://koujiyama.at.webry.info/201002/article_20.html
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