企業は対応が早い 自民党もエンジンかけねば
ビール王座占うM&A 巨大連合誕生 アサヒに試練
産経IZA 2009/12/24 09:35
アサヒビールは再編に動くのか-。キリンホールディングスとサントリーホールディングスの経営統合の基本合意が迫る中、2010年はアサヒの動向がビール業界の最大の焦点となる。キリン・サントリー連合のビール類シェアは5割超と断トツで、売上高はアサヒの2.5倍と、圧倒的な規模格差が生まれる。コスト競争力も強まるだけに、アサヒは強者連合への対抗策として合従連衡による規模拡大に乗り出す構えだ。「スーパードライ」を武器に01年以降、ビール類でトップを走り続けてきた“ビール王者”のアサヒが試練の時を迎えている。
すでに経営統合発表の際に書いたが、小生酒屋なので触れないわけにはいかない話題だ。自動車メーカーの提携が進む中、欧米の酒類業界はすでにM&A(企業の合併・買収)が進んできた。国内での消費の伸び悩みとコスト競争は避けられないだろう。宣伝のサントリーとかつては手形商売の親方キリン。水と油のような社風の正反対な両者の経営統合は、さすがにスーパードライ以降はキリンは変わったとはいえ驚いた。
■ざっくりと日本のビールの歴史
嘉永六年(十三代将軍家定)、アメリカのペリー提督が黒船で浦賀に来航し、この時、幕府の通訳官として米鑑上の会談に参加した摂州(兵庫県)三田の人で九鬼侯にに仕えていた川本幸民という蘭医がいた。彼はその会談で出されたビールの味に魅せられ、その理化学の知識と蘭書から得た知識によって、自宅に炉を築きビールを我が国で初めて醸造したと伝えられるが、本格的な醸造は明治3年頃、ドイツの醸造技術を学んだアメリカの麦酒醸造技師、W.コプランドによって横浜に設立された「スプリング・バレー・ブルワリー」が最初とするのが定説となっている。明治十八年、経営難で、龍馬の海援隊にいた三菱商会(三菱商事)の岩崎弥之助、後藤象二郎、渋沢栄一や外資在留商社が共同出資でによってその事業を買収し引き継いだのがキリンビールの前身「ジャパン・ブルワリー」。工場長として長崎から横浜に移ったのがトーマス・グラバーだった。のち明治40年、日本人だけによって経営されたのが麒麟麦酒(キリンビール)だ。
明治39年、東京市場の日本麦酒(エビス・馬越恭平)、東京進出でシェアを急激に伸ばした札幌麦酒(渋沢栄一)、大阪麦酒(旭麦酒・鳥井駒吉)が合同によるシェア72%の「大日本麦酒」が成立。その頃横浜の麒麟のシェアは
20%、丸三その他8%だった。
戦後、GHQによる独禁法によって多くの銘柄を持つ大日本麦酒が分割され、主にアサヒビールが西日本、サッポロビールが東日本に分かれた。知名度がない地域では売上げが苦しくなり、それまでの知名度でトップに成長したのがキリンビールだ。独占状態が続き、独禁法の60%以上を超えそうな時代もあった。
引用:「キリンビール独走の秘密」片山又一郎
いきおいキリン・サントリー統合は、かつての日本ビール史・現在の政治を連想させる。
NHK福地茂雄会長
元アサヒビール社長・会長・相談役。20年ぶりとなる外部招聘の会長
サントリーレッド 大原麗子 CM
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