■県立若狭歴史民俗資料館
小浜市遠敷2丁目104
重要文化財の福井県若狭町の「鳥浜貝塚出土品」をはじめ、多数の資料で若狭の歴史を紹介しています。鳥浜貝塚丸木舟が完全な形で展示してある。
日本での先史時代の丸木舟の発見例はおおよそ200例ほどで、その分布は関東地方に最も多く150例近くあり、そのうち千葉県での発見例は100例を数え日本全体の半分を占める。各地域での発見例では、千葉県北東部の縄文時代のラグーン(潟湖)が湖沼群として残る栗山川中流域での出土がことに多く、流域には山武姥山貝塚などの貝塚も分布している。次に多いのが滋賀県の琵琶湖周辺で25例ほどあり、福井県から島根県にかけての日本海側がこれにつづく。また、大阪湾では古墳時代のものと推定される大型のものの出土例が何例かある。
日本の先史時代の丸木舟の出土例の多くは縄文後・晩期のものであるが、縄文前・中期の出土例も報告されている。縄文前期の丸木舟として、福井県若狭町の鳥浜貝塚、京都府舞鶴市の浦入遺跡、島根県の島根大学構内遺跡、長崎県多良見(たらみ)町の伊木力(いきりき)遺跡、埼玉県草加市の綾瀬川や千葉県多古町の栗山川流域遺跡群などの出土例があり、このうち、千葉県多古町の栗山川流域遺跡群で1995年に出土したムクノキの丸木舟は全長が7.45mあり、京都府舞鶴市の浦入遺跡で1998年に出土したスギの丸木舟の現在長は4.4mであるが全長8m、幅0.85mと推定されている。このような大型の丸木舟は海洋での使用が十分可能であり、縄文前期には人々は、丸木舟に乗って島々に出かけていたと推測される。
なお、縄文時代の舟材に鳥浜貝塚、浦入遺跡や島根大学構内遺跡の出土例のようにスギ材が使われるのは稀であり、東日本での出土例ではイヌガヤ、ムクノキ、クリ、カヤなどが使用されている。古墳時代の大型の丸木舟にはクスノキの使用例が目立つ。
鳥浜遺跡から1981年7月と1982年に丸木船が1隻ずつ出土した。前者は縄文時代前期のもので、当時この期の丸木舟としては日本最古であったので第一号丸木舟と名付けられた。(1998年に京都府舞鶴市浦入遺跡でも同時期の丸木舟が出土している。)保存状態は良好であるが先端部分が失われている。船尾はとも綱を巻き付けたものか浅いくぼみが残っていて、長期間使用されたことが窺える。舟体は直径1メートルを超えるスギの大木を竹を縦に二つに割る要領で造ったと想像でき、内と外を削り、火に焦がしたりして造っている。舟底は平たい。長さ6.08メートル、最大幅63センチメートル、厚み3.5~4センチメートル、内側の深さ26~30センチメートル。後者は縄文時代後期(約3000年前)のもの船底のみが残っていた。現在の長さ3.4メートル、最大幅48セントメートル、厚みは4センチメートルで、内側には肋骨のように舟を補強するためのものか、または、漕ぐ時に足をかけるものかは不明だが、凸型の彫り出しがあった。材は第一号と同じくスギで造られており、第二号丸木舟と名付けられた。スギ材で造られている丸木舟は縄文時代では非常に珍しく、東日本で見つかっている舟は、イヌガヤ、ムクノキ、クリ、からなどで造られていた。丸木舟は、鳥浜の人の活躍の範囲を拡げたことであろうし、食料獲得に果たした効果も大きかったと推定される。
漁撈関係では、他にスズキ・マダイ・クロダイ・サメ・フグ・イルカ・シャチ・クジラの骨なども出土しており、淡水魚・海水魚・貝類・堅果・野菜など多様な食糧利用が明らかとなった。