ソ連は樺太南部と北方領土に侵攻し、敗戦直後の占領下、韓国は火事場泥棒的に竹島を不法占領して事後講釈で歴史的領有権を主張したままだ。国内に拡がる左翼勢力である社会党・共産党に対抗すべく保守合同した自由民主党による保守政党政治によって、日本は経まず経済復興を最優先にして、サンフランシスコ講和条約により主権国家として独立を回復した。
日本は経済成長を成し遂げ、アメリカから小笠原と沖縄の復帰をなし、世界第二位の経済大国になった。
私個人でも麻生元首相や故中川昇一財務相のローマ会見ばかり流されて、そんな自民党はどうなってるのかという気分に乗せられた。しかしそれは、メディアの現実から反れたインテリぶった反体制気質による結果の自民党潰しになった。だからといって、日本のテレビ、新聞などの大メディアが、とても日本の国益を考えて行っているかがいま問われている。
そればかりか、あまりにも旧態依然の自民党ではどうしようもないとの昨年の衆院選でオウンゴールのような自民党の敗退によって、民主党に政権交代した束の間、鳩山前首相の国政の最も基本である外交と安全保障の欠如が、普天間において危うくしてしまい、またはからずも朝鮮半島の緊張、中国の軍事力増強、尖閣など深刻な事態に直面している。そして参院選では民主党がオウンゴールである。
ただ、東西冷戦崩壊し、国内の社会党や共産党の左翼思想自体が存在意義のないものとなって弱体化した。自民党と社会党はイデオロギーによる二大政党だったが、自民党と政権交代可能な二大政党をめざし誕生した民主党は政党とは言えない選挙集団に過ぎないことを一般有権者の多くは知っているのだろうか。元民主党の土屋たかゆき都議は「民主党は単なる芸能プロダクションのようなもの」と述べている。
消費税に対しても表面上は自民党とあまり変わらない政策だと思われている。しかし、本質は旧社会党の社会主義政策であるから、党内の整合性がとれないことは、景気対策や外交と安全保障を疎かにしていることでわかる。
ところが日本は今も昔も対外情勢に影響を受けている。それどころか、世界的な景気後退、中国の躍進等により、日本のさまざまな弊害も生まれ、満足のいく状況にはなっていない。
東郷勇策氏はブログで、
つい最近、仙谷官房長官が「韓国への戦後処理は不十分、個人補償はまだ終わっていない」などと語り、とんでもないことだと噛みついたばかりですが、また韓国相手に国益を大きく損ねる動きが民主党政権に出てきました。
我が国政府が、「光復節に合わせ菅首相談話を」との韓国政府の働きかけに応ずる方向で検討に入っているということを、共同通信の『「日韓併合百年で「おわび」検討 政府、韓国国民に」と題するニュースで知りました。深い溜息が出てきます。
仙谷官房長官は16日午前の閣議後の記者会見で、日韓併合から8月で100年となることに関し、「何らかの見解を示すものが必要かどうか、やるとすればどのようなものか、私の頭の中に入っているし、内閣官房で多少イメージはしている」と述べ、首相談話などの政府見解の発表を検討していることを明らかにした由。
又、岡田外相も、「総決算する姿勢で準備」、「謝罪談話を検討」、「痛切な反省(村山談話)を超える可能性も」・・・と語っているようです。
日本と韓国との関係は、侵略でも植民地支配でもないことは、歴史が証明しています。両国の合意に基づき、条約締結により発効したもので、当時、国際的認知を受けていました。侵略との認識は全くありませんでした。
ましてや、併合後の為政は、いわゆる植民地支配とは全く異質で、我が国は国家としての一体化を目指し、莫大な資金を投入してインフラ整備にそして教育を含む民生の向上に真正面から取り組むものでした。
菅政権が「お詫び談話」を発表するのなら、如何なる証拠資料を基に、史実を否定し、ひっくり変えし、改変しようとするのか、明らかにしなければなりません。
それができないのであれば、国民の理解などは到底得られません。
過去に、河野洋平元官房長官の談話、村山富一元首相の首相談話が発表されていますが、いずれも明確な根拠を欠きながら特アの国々に配慮を示すことを目的にした謝罪談話で、不合理で不要なもので、その是正こそが求められます。
我が国の政治家は本当に不勉強で思慮を欠いた馬鹿者揃いだと呆れます。我が国の過去と先人とを貶めることが、如何に不当で不合理であるかを理解できる資料は、山ほど存在するのですが、洗脳され疑問すら感じない存在と化した政治家にとっては、猫に小判どころか無用の長物のようです。
日本人であるならば、なぜ自虐史観に疑問を抱かないのでしょうか。ご先祖様が極悪非道であったと謗られても、疑うことすらしないのはなぜでしょうか。
国家指導層に戦争犯罪人の汚名を着せた戦勝国の戦略に易々と嵌り、当時の国家や国民の苦悩に思いを馳せることもなく、自虐史観に沈んでしまった国民、不思議でなりません。
戦前の不遇の日々が一転して陽光燦々たる時代となり我が世の春を謳歌することになった左翼が、これ幸いとばかりに、己のイデオロギーに基づき我が国体の解体をも目指して蠢動することになるのは理解できるのですが、反対方向への思想や動きがなぜ大きく湧きあがらなかったのかが判りません。
敗戦の惨禍や精神的ショックから一日も早く立ち直り生きていこうと生活に精一杯であったことは想像に難くありませんが、それにしても、国旗・国歌すら忌避するほどの反日思想に対して日本人としての矜持を示し得なかった事実は拭い切れない汚点です。
独立を回復し、懸命に働いた結果、経済成長による平和で豊かな社会が実現するとともに、人々の関心は物質中心主義から物質万能主義へ変り、深く物事を考えない、享楽主義の愚民が溢れる世の中になってしまいました。
このような状態では、家族を、地域社会をそして国家を護らんとして散華された英霊に対して又、己のご先祖様に対しても、申し開き一つできません。
政治家諸氏は、与野党の別や世代を問わず、歴史観を少なくとも中立の位置に戻し、もう一度、自国の歴史・伝統を学んでもらいたいと要求します。正常な史観や国家観なくして、真っ当で全うな国益追求など出来る訳でがありません。
「相手に悪いと思う、日本人。相手が悪いと考える支那人」というキャッチ・コピーを見ましたが、これは朝鮮人との間にも当て嵌まるように思えます。
小中華思想の朝鮮人にとっては、見下ろしていた日本人に経済的に大きく先行され、あまつさえ、自分達の国家を併合されたという屈辱感は途方もなく強く、加えて嫉妬の感情も作用して、自省や対日感謝の念が湧く余地はなく、ひたすら日本悪しと糾弾する以外の考えは持てないようです。
腐敗しきった李朝の体制に毒され将来の希望を見失った憂国の士が、日本との合体に夢をかけ日本による併合を推進した事実を無視し、日本が武力で威嚇して併合したと主張するのですが、では、抵抗の武力蜂起が見られなかったという民族の誇りの痛みをどのように説明するのでしょうか。
日本が朝鮮相手に侵略戦争を仕掛けた事実はなく、従って交戦もありませんでした。
日本の敗戦後の独立直前に、火事場泥棒的に竹島を不法占領して事後講釈で歴史的領有権を主張していますが、捏造主張であることを承知しているだけに、我が国の「国際司法裁判所での審判を」との提案にも応じません。
従軍慰安婦などという捏造の主張も撤回することなく、嘘も繰り返せば事実に変ると言わんばかりの実に怪しからぬ国家的対応です。
然るに、経済危機に陥った際は、我が国への援助要請となりますから、当に恥の観念も自尊心もない、強請り・タカリの恥ずべき民族です。これは在日の民にも共通する民族性です。
軍部が力を持ち支那・朝鮮にも進駐した頃の我が国には、責めを負う事案がなかったとは言い切れませんが、戦後65年の間に支那や朝鮮との間に発生した問題は、全て先方が責めを負うべきもので、我が国には一点の曇りもありません。
これは我が民族性を象徴する大変に重い意味を持つ事実で、戦前についても当て嵌め得る普遍性に違いありません。
戦前、駐日大使を務めたフランス人、ポール・クローデル(詩人、劇作家であり思想人でもあった)は、日本の敗色が濃くなりつつあった1943年に、日本民族に対する評価を以下のように友人に伝えています。
私が断じて滅びない事を願う一つの国民がある。それは日本人だ。あれ程興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。日本人は驚くべき発展をしたが、それは当然で、他のいかなる国民にもこれ程の資格はない。
彼等は貧乏だ。しかし高貴だ。あんなに人口が多いのに…。
武士道精神が殆ど消え失せ、倫理観が希薄な社会になったとはいえ、この根源的な民族性が残るゆえの平和社会であると信じます。我々は、この民族性に自信を持ち、先人に対する誤った評価を是正し、誇りと自信を持って生き抜ける社会を子々孫々に継承していく責務があります。
それにも拘わらず、誤れる歴史観の上に屋上屋を重ねる形での謝罪談話とは、何をか況やであり、政権を担う人々の、自虐史観に凝り固まった悪意ある執念が疑われてなりません。
韓国の意向に一定の配慮を示すことで歴史問題に区切りを図るとの考えのようですが、歴史観が隣接する当該国間で異なるのは当然のことであり、区切りなど不要です。
朝鮮人が反日思想で問題を蒸し返しているに過ぎないことがなぜ理解できないのでしょうか。朝鮮人の民族性では、こちらが譲歩すればするほど益々増長し、付け込んでくるだけです。しかも、歴史的証拠に乏しい朝鮮は、謝罪があればそれを証拠として、新たな非難を仕掛けてくるのです。
韓国政府は、菅首相の訪韓が日韓関係を前進させるのは間違いないとして働きかけてきている由、善意で応えれば応えるほど要求には限りがなく、いずれは天皇陛下のご訪韓、謝罪のご表明に焦点が移ることになることは間違いありません。
とんでもないことであり、こうした事態は想像するだけで拒否反応が強まります。
我が国を敵性国家とする朝鮮とは、一線を画した関係を構築すべきです。
民主党自体が反日・棄日で国家解体を目指す極左勢力の温床であることから、そうした集団が己のイデオロギー実現を狙う企みでしょうが、政府自らによる国家の威信・民族の誇りを喪失せしめる動きであり、断じて容認できません。
これは反日極左勢力が推進する暴挙であり、日本国民は決して許してはなりません。
閣議決定が必要な首相談話を避けて、別の形での声明を発表する形になるかもしれませんが、その否定的意義に変りはなく、強行する動きが出たら、全国的な国民運動を起こして、阻止に立ち上がりたいものです。
インパクトの強い抗議活動を主導する存在が登場することを願ってやみません。
(以上引用)
変えられないなら、いったいだれが変えるのだろう。本来はそれが国会議員である。しかし、政党の政局で、小沢一郎は二大政党を進めて、そして何年たってもよくならない。自民党、民主党、みんなの党などの議員数による政党は、無所属では立候補できずにどこかの党に所属しなければならないという、国のための政治家を生む弊害となっている。要するに支持母体のある反国家政党以外の立候補者が、小選挙区制では政党に所属しないと立候補が難しくなった。
政党選挙ではなく金のかからない国政を担うに相応しい人材が当選できるようにするにはどうすべきなのかが問われている。
立候補者に一人、二千万もかかる選挙制度がおかしい。選挙ポスターや宣伝カーなどがその主だそうだが、選挙が始まったという効果はあるが、それ自体選挙カーはうるさいだけで不快だし、有権者はポスター掲示板の前に立って決めているものではない。私は全く見ないし、写真映りの良し悪しや見た目だけで一票を投じたりしない。演説や主張を聴いてこの人なら国の将来を託せると思える人に一票を投じたいだけである。なんでこんな古くさい事のために馬鹿みたいな選挙資金が意味があるのかを問うべきだ。
大相撲でもそうだが当事者が運営すると世間と乖離していく。政治の仕組みを変えられるのは国会議員でも、メディアでもない。日本という偉大なる美しき国を描くために政治があり、国民のために政治がある。あたりまえのことをじっくりと再構築すべく坂本龍馬が現れないものか。
まさに国益のために党議拘束をなくして挙党一致で国難を救うべきだ。政党を廃止してもよい。民主も自民もみんなもどこも対して逸材はいない。左翼とたたうことだけだ。