鳩山首相へ贈る言葉
「政治を科学するという考え方が今こそ必要だと思うにつけ、それから二十数年間、政治の中に身を置きながら、本当に私がやってきたことは何なのか。…」
科学とは
科学という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。
(広義)体系化された知識や経験の総称。
(広義)自然科学、人文科学、社会科学の総称。
自然についての体系的知識。
自然科学。
(狭義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。
「科学」なるものが何であるかについて論ずるのは、歴史的なコンテクストに依存していて、容易なことではない。一言で言えば、歴史とともに「科学」の意味は変遷してきている。 また、どのような知識内容が「科学的」であるか(あったか)を定めるそれなりの基準を設定しようと努力することはそれなり意味はあるが、厳密な境界設定は実際上はほとんど不可能である、ともされる。 ただし、だからといって「科学」とは何であるか議論したり追究することが無意味というわけではない。人々が、ある種の知識を「scientia」「science」あるいは「科学」と呼び、それに一定の権威を認めて、その知識の拡大と深化に努力してきた事実は残っている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
政治家になって20数年。まったく何を学ばれたのでしょう。あなたの意味する「政治を科学する」とは何なのかは分かりませんし、どう考えようと構いませんが、科学とは体系化された知識や経験の総称であるとするならば、科学の解釈を間違っているに過ぎない。
鳩山は科学とは、自然についての体系的知識ぐらいに思っているのではないだろうか。博士号を取得できるレベルなのか。それを許すのが最高学府である東大理学博士号とは何なのか。
としても、自然や物体を観察するならば、例えば天文学であれば、人類がなぜ空には無数の星があるのだろうかと疑問に思うところから、天体を観測して地球が動いていることを発見したように、なぜ人間は国家間で争い合うのかという疑問からいきなり、人間、歴史、国家観等を学んでいないで、政治は科学できませんよ。
ジョン・レノンのイマジンやLOVEの世界だ。ある程度、地位も名誉も手に入れて日頃の食生活に困らない人が、「国境なんていらない」、「愛こそすべて」などと訴えるならいいだろう。しかし国のトップが世界平和を唱えたジョンレノンであってはたまったものではない。
一言で言うとやっぱりあなたは、政治家には向いていない。政治家に専門分野を研究する理系は向かいないのでは。次も理系の菅だ。
理系の教授が似合っていたし、単なる天気予報に夢中な風変わりなおぼっちゃま教授としては、人気者になれたかも知れないが。
短期で辞任されたことが、せめてもの国家存亡の危機を免れた唯一の功績だ。
南無阿弥陀仏m(_ _)m
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