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【今日は何の日】 4月28日を国民の祝日に!主権回復記念日国民集会


【快刀乱麻】戦後史で最も大事な日、4月28日の意義[桜H22/4 /26] SakuraSoTV

4月28日。この日は講和条約が発効し、日本が国家主権を回復した記念すべき日であるが、戦後日本ではこの日の意義が不当に軽んじられてきた。日本の歪んだ戦後体制を整序し、真の独立国家たらんとするためには、この日こそを「国民の祝日」とすべきなのである。4月28日に行われる式典のご案内とともに、井尻千男の考えを改めてお話しさせて頂きます。
【東京都千代田区】 4月28日を国民の祝日に!主権回復記念日国民集会 (4/28)
日時:平成22年4月28日(水) 18時00分~21時00分 (17時30分開場)
場所:九段会館 大ホール
内容:登壇予定(50音順) :
遠藤浩一(拓殖大学大学院教授)、亀井静香(衆議院議員)、城内実(衆議院議員)、中山成彬(前衆議院議員)、萩生田光一(前衆議院議員)、長谷川三千子(埼玉大学教授)、平沼赳夫(衆議院議員) ほか
入場料:無料
世話人:井尻千男(拓殖大学日本文化研究所顧問)、入江隆則(明治大学名誉教授)、小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
協賛団体:英霊にこたえる会、産経新聞社正論調査室、昭和史研究所、日本会議、日本政策研究センター、日本青年協議会、日本保守主義研究会
協賛放映:日本文化チャンネル桜
ご連絡先:主権回復記念日国民集会実行委員会事務局 TEL/FAX 03-3991-6173
http://www.ch-sakura.jp/events.html

8月15日の終戦記念日は、昭和天皇が、ポツダム宣言の受諾を玉音放送(終戦の詔書を朗読した)により日本国民に布告した日。敗戦記念日である。
合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。アメリカ合衆国を初めとする連合国側では、9月2日を対日勝戦記念日として「V-Jデー」と呼んでいる。国際的には、9月2日を終戦の日とする国が多い。
現在の日本では、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般には終戦記念日や終戦の日と称し、政府主催の全国戦歿者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が開かれる。
4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。ただし、沖縄では、この日以降も1972年5月14日まで、米軍による占領が更に20年も続いたことから、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ人々もいる[1]。
(Wikipedia)

サンフランシスコ講和記念日(日本)

1952年4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効し、日本の主権が回復、国際社会に復帰したことに因む。
条約が調印された9月8日は「サンフランシスコ平和条約調印記念日」となっている。日米安全保障条約発効。
この条約によって正式に、連合国は日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した(第1条(b))。
なお、第1条(a)にあるように国際法上ではこの条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結したものとされ、ポツダム宣言の受諾を表明した1945年8月14日や国民向けラジオ放送を実施した8月15日、降伏文書に署名した1945年9月2日以降にも戦争状態は継続していたものとして扱われている。
日本の全権団は首席全権の吉田茂(首相)、全権委員の池田勇人(蔵相)・苫米地義三(国民民主党最高委員長)・星島二郎(自由党常任総務)・徳川宗敬(参議院緑風会議員総会議長)・一万田尚登(日銀総裁)の6人。吉田はできるだけ「超党派」の全権団にしたいと考えていたため、野党国民民主党の主張する臨時国会の召集要求を呑むなど、妥協の末、委員参加を取りつけた。また、日本社会党に対しても全権委員参加を要請したが、後述の通り、左翼陣営は基本的に「全面講和」を主張していたため不参加となった。
9月8日、条約に49カ国が署名し講和会議は閉幕した。ソ連・ポーランド・チェコスロバキアの共産圏3国は講和会議に参加したものの、同じ共産主義国の中華人民共和国の不参加を理由に会議の無効を訴え署名しなかった。

要旨

日本と連合国との戦争状態の終了(第1条(a))
日本国民の主権の回復(第1条(b))
日本は朝鮮の独立を承認。朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権の放棄(第2条(a))
英文では“Japan, recognizing the independence of Korea”なので、“独立を承認”ではなく“独立を認識”が妥当と考えられるという少数意見も存在する。しかしその独立はポツダム宣言の受諾日1945年8月9日ではない。詳細はラスク書簡を参照。
日本の台湾・澎湖諸島の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(b))
主権を持っていた千島列島・南樺太の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(c))
南洋諸島の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(d)(f))
南西諸島や小笠原諸島を合衆国の信託統治に置くことの承認(第3条)
賠償は役務賠償のみとし、賠償額は個別交渉する(第14条(a)1 など)

日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内(東京裁判)及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷(例として南京軍事法廷、ニュルンベルク裁判)の判決を受諾(第11条)※
※あくまでも戦勝国のみが中立国からも敗戦国からも入っていない「勝者の裁判」自体、国際法に違反であり、戦勝国が勝手に断罪しても良いという悪例を残した(イギリス元政府軍事顧問ハンキー『戦争裁判の錯誤』)。「国際法上合法である戦争で敵の兵隊を殺しても罪になるはずがない」(アメリカ人弁護人たち)。「被告人全員の無罪を主張する意見書」東京裁判の11人の一人パール判事。そもそも東京裁判は首席判事キーナンも言っているように、日本国や日本人を告発したものではない。裁判で告発されたのは個人である。そして日本国が受諾したのは戦犯個人個人に与えられた諸判決の受諾である。しかし当時の外務省は、「諸判決」を「裁判」と誤訳してしまった。ただし、誤訳はしたものの、内容は正しく理解していたようだ。しかし、第十一条の後半にあるように、関係国が許せば戦犯は免罪される。それに従って、国内でも「戦争犯罪による受刑者の解放等に関する決議」が与野党一致で可決され、A級戦犯(この裁判のために等級ではなく勝手に作った分類)も免責された。日本には戦犯はいないが、すでに死刑になった人を生き返らせることはできなかった。人道に対する罪というなら、誰が考えても東京大空襲のような民間人への無差別爆撃や広島、長崎の原爆投下をおこなった、アメリカのトルーマン元大統領やマッカーサーなどの軍部、兵士たちである。

国会参考人として小和田恒元外務省条約局長が、「裁判」を受諾したと解釈されたと推測されている。その後、日本が悪かったという自虐史観が東京裁判の当事国でもない共産党中国や北朝鮮にも伝わり、それ以来、日本は中国に弱い国のなってしまった。

朝日新聞や社会党(現民主党の一部と社民党)、加藤紘一元治民党幹事長や麻生太郎元首相たちの間違った主張は、この十一条を読んでいないとしか思えない。全くの無知である(渡部昇一)。
1951年6月14日版以降 日本は済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄すること。(日本の保有領土の項は無くなる)
1951年7月19日、韓国政府、日本が済州島、巨文島、鬱陵島、独島(竹島)、及び、波浪島を放棄することを求める。[7]
1951年8月10日、米政府よりの回答、竹島は韓国の領土として扱われたことは無く、1905年以降日本領である。(ラスク書簡)
1951年9月8日版(最終版) 日本は済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄すること。
ウィキソースにen:Treaty of San Franciscoの原文があります。

領土

日本には領土の範囲を定めた一般的な国内法が存在せず、本条約の第2条が領土に関する法規範の一部になると解されている。国際法的には、「日本の全ての権利、権原及び請求権の放棄」とは、処分権を連合国に与えることへの日本の同意であるとブラウンリーは解釈している。 [4] 例えば台湾は、連合国が与えられた処分権を行使しなかったため条約後の主権は不確定とし、他国の黙認により中国の請求権が凝固する可能性を指摘している。[5]

出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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kojiyama

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