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日本のテレビ業界が復活するには;「キー局の合従連衡」が待ったなし

さて、少なくとも今日の日本低落の元凶は、戦後の日本が克服しなければならなかった問題の先送りと、自らの問題を棚上げにして「第四の権力」である日本のマスメディアの質のひどさではないか。それに引きずられてきた政治、NHK、JALなど、戦後、安定したエリートコースとされてきたモデルがいよいよ終焉のときを迎えつつある。

日本のテレビ業界が復活するには;「キー局の合従連衡」が待ったなし

特別寄稿 A.T.カーニー メディア・プラクティス
週刊ダイヤモンド 【第77回】 2010年03月09日
http://diamond.jp/series/dw_special/10077/

 かつて、マスメディアの王者だったテレビ業界が迷走を続けている。過去45年、キー局で実質的な新規参入が一度もなかった“守られてきた業界”は、制度疲労を起こしている。放送業界内からは、将来に対する不安の声が聞こえるも、自ら腰を上げる気配は見られない。そこで、官民の誰もが考えそうで考えなかった「在京キー局の合従連衡」とその必然性について、A.T.カーニーのメディア研究チームであるメディア・プラクティスが大胆に問題提起する。

 「最後の55年体制」といわれる、日本のテレビ産業(民間放送)。しかし、その不動の体制も、終焉のときを迎えつつある──。
 たとえば、2008年度の決算では、在京キー局5社のうち2社が赤字。2009年4~12月の数字でも、全社の放送事業が減収である。その原因は、主軸の広告収入の大幅な縮小にある。特に、08年以降のテレビ広告市場の縮小は顕著だ。

 この“テレビ不況”は、単なる景気要因によるものではない。08年秋以降の世界金融危機により、広告主企業がテレビ広告の出稿量を一時的に削減した部分はあるものの、それとは別に経済・産業構造の“大きな変化”が底流に流れていると考えるべきだ。

 まず、少子高齢化を受けて従来の内需型企業が海外展開に活路を求めるなかで、マーケティング投資が海外にシフトしている。加えて、国内でも流通の寡占化が進展し、広告費から販促費へのシフトが起きた。さらに、プライベートブランド(PB)の成長も、広告業界にとって逆風になる。一時的に、テレビ広告への回帰が起きても、景気が回復して金融危機前の市場規模に戻ることはあるまい。
 放送業界の衰退は、一産業の事象にとどまらず、日本の経済・社会全体にさまざまな悪影響を及ぼす問題である。

第1に、国民が多くの時間を費やす、最も親しみやすい娯楽メディアの質が低下する。第2に、広告主企業への影響も大きい。最強の広告媒体であったテレビの弱体化は、さまざまな企業のブランド構築やマーケティングに大きな制約を課す。第3に、新たな輸出財としての期待を担う、コンテンツ産業に与える影響がある。

(中略)

「合従連衡」の必然性はテレビも例外ではない

 戦後60年、強固な事業規制と参入障壁に守られ、業界再編からも無縁の存在に見えた放送業界だが、同じく“特別な存在”だった都市銀行も、過去20年で13行から4グループに集約された。ほかにも、生命保険、鉄鋼、消費財など、将来的な国内市場の縮小を見据えて再編に踏み切った例は多い。

 市場特性も業界構造も異なるこれらの産業で、最終的に勝ち残った企業が共通して採用した打ち手が“合従連衡(がっしょうれんこう)”であった。これらの事例は、「早く動いた者ほど、後で有利な展開ができる」という示唆をも与えてくれる。合従連衡が少数のプレーヤー間でのカップリングであることを考えれば、当然のこと。「残り物に福はない」のが合従連衡のゲームなのだ。

 日本のテレビ産業は、このまま縮小均衡の“悪循環”から脱却できなければ、いずれは最後の一手すら打てない状況に追い込まれかねない。手遅れになる前に、前向きな再編と業界の進化が求められている。テレビ産業の決断と行動を期待したい。

 私はそうした合従連衡という解決策も必要になってくるだろうが、それ以前に視聴率という視聴者の実態に即していない魔物にとりつかれて目先の動向に目を奪われている限り解決策にはならないと思う。というのは制作費等の抑制もあるだろうが、だったら某公共放送のように潤沢な予算をもっていれば感動する充実した番組が生まれているかというとそうとも限らないからだ。むしろ何が伝わえたいのか、めざしているのかわからなくなっているように見える。アメリカ映画のCGとアクションに走るドンパチの映画はつまらない。だからなんなんだであろう。技術を観たいのではなく内容を観たいのである。

 失敗しても新しいことにチャレンジして驚かせるのがテレビだったはず。どの局も同じお笑いタレントやコメンテーターを多用する金太郎アメのような安直な番組に視聴者はもう飽き飽きしているからだ。だからその結果のひとつが合従連衡だろう。銀行が整理淘汰されたのはどこも同じ金利、サービスで特色を失ったからではないだろうか。チャンネルの必要性を自ら失いつつあるのだ。制度疲労した日本を、基礎から造り直さねばならない。経営者自らが給料を削り同じ目線に立って襟を正すことだ。行きすぎた労働組合がエゴに走る企業や政治はかならずや巡りめぐって自分の首を絞める。

 たとえば、地上波よりもチャンネル桜など決して豪華とは言えないセットでも、話の内容がよければそうした番組を観ていてる時間の方が長いのはなぜだろうか。視聴者をリードするはずのメディアが、受動的な立場だった受け手が能動的に動き始めて久しいのに後追いしていて提案や先をリードしていないのだ。メディアの役割は、不況にあえぐ人びとに夢や希望・喜びを与えることであり、テレビの果たす使命であり作り手のよろこびなのではないか。

 
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kojiyama

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