社会主義、共産主義と戦ってきた日本の戦後政党
日本社会党は、戦前の非共産党系の合法社会主義勢力が一同団結して結成されたため、決して一貫した思想そのものではなかった。前身の政党は主に、左派の労働農民党、中間派の日本労農党、右派の社会大衆党で、右派・中間派は民主社会主義的な社会民主主義観を、左派は修正マルクス主義的な社会民主主義観をもっていた。日本労農党には戦中、社会主義の実現を国家主義に求めて軍部に積極的に協力した議員が多かった。また社会大衆党も、戦時中反軍を貫いた議員が多かった一方で、その内実は極めてタカ派的なものだった。
ポツダム宣言受諾により、大日本帝國憲法の改正が必要になると、各党から改憲案が出され、社会党も1946年2月23日「社会黨 憲法改正要綱」を発表した。社会主義経済の断行を宣言する一方、天皇制を存置する代わりに実権を内閣と議会に移す、国民の生存権を保証し、労働を義務とするなど、社会主義を別にすれば、実際にできた新憲法にかなり近い内容であった。
その後、左右両派の対立が深刻化し、1950年1月16日には一旦分裂する。この時には75日後の4月3日の党大会にて統一し、対立は収まったに見えたが、サンフランシスコ講和条約への賛否を巡って再び左右両派が対立して1951年10月24日再分裂する。
再統一と60年安保闘争
左右両派は1955年10月13日に党大会を開いて社会党再統一を果たした(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長)。1950年代の躍進によって、再統一時の社会党の衆議院での議席は156にまで拡大していた。同じ年には左翼政党の躍進に危機感を強めた自由党と日本民主党自主憲法制定を党是に掲げて保守大同して誕生したのが「自由民主党」である。日本共産党も、六全協で党の統一を回復した(55年体制成立)。
1956年、総評に批判的な右派労組が全日本労働組合会議(全労会議)を結成し、三井三池争議では会社側に加担する動きを見せるなどした(第二組合、いわゆる御用組合)。全労会議と密接な関係を持っていた西尾末広派と河上丈太郎派の一部は、1959年に相次いで脱党し翌年民主社会党(後の民社党)を結成する。なお、民社党の離反の背後には、米国の支援もあった(左派弱体化へ秘密資金 米CIA、保革両勢力に)。
米ソ冷戦構造が崩壊に向かい、左翼と保守イデオロギーによる対立は意味が薄れ、それに連れて社会党も社民党や民主党へ合流するなどにより、弱体化の一途をたどった。
(以上: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
アメリカの二大政党制を見て、観念にとらわれた政治家たち~民主主義でも社会主義でもない日本主義による政党こそふさわしい
日本にも政権交代が可能な二大政党が必要だと自民党を飛び出した人たちがいた。いわずもがな、渦中の与党もその人たちだ。しかし、もともと天皇万世一系の長い伝統を誇る立憲君主国日本にとって、大統領制による民主主義と二大政党が根付くのかどうかは疑問である。私は、日本に西洋近代イデオロギーおよび二大政党制はなじまないのではないかと考えている。
そもそも戦後、GHQによって半ば強制された日本人解体のための骨抜き憲法と西欧型民主主義が合っているのか、太古縄文時代、すべての自然や現象には神が宿るというものであった。時代とともに人物(祖先、首長、王など)や仏教や外国の神をも受け入れて対象神が増えていき、八百万の神々として多神教の観念を受け入れてみた。それを「神道」という秦・漢民族の言葉が用いれたのは『日本書紀』であり、社を建てるようになった。だからいわゆる教えがあるような宗教なのかといえば異なる観念である。また、キリスト教やユダヤ教、イスラム教など唯一絶対の神という一神教という日本人が伝統的もってきた神の意識、日本人の宗教観の根底にはない異なる宗教さえも受け入れてきた。日本はさまざまなものを取り入れ吸収して日本人に適した文化にかえていった。
アメリカ型より西欧型の政党像を
(加藤秀治郎『小選挙区導入以後の政治課題』)
アメリカの二大政党は路線の明確な存在ではない。徹底した大統領制であり、議会運営も日本とはまったく異なる。首都ワシントンでの連邦政治は地方政党の“寄り合い所帯”のようなルーズな組織で営まれている。議会での党議拘束はなく、個々の議員は独立した存在である。
各党の議員の前に政策的な親近性はないし、それが求められることもない。選挙も個人本意だから、討論会(ディベート)などを通じて個人の見解を明らかにしていく。議会も個人本意だからつじつまは合う。大統領選挙の候補も、長期間の予備選挙の過程を経て選出されるのであり、そのプロセスのなかで向こう四年間の政策を選択していく。
これに対して西欧では、英独など議院内閣制の国が多いこともあって、政党ははるかに政策的にまとまりがある。党議拘束もあり、選挙も議会運営も政党本位だ。
ただ、各党間の立場が近づく傾向が見られ、政党間の相違は多少明確になっている。アメリカ型に近くなっているわけで、それをカバーするのがマニフェスト(政権公約)ということになろう。党首選で政策を競い合い、それをもとにマニフェストにまとめて、向こう数年の政策を総選挙で問うのである。
こうして見てくると、わが国の自民党、民主党が目指すべきは、西欧型が無難であろう。生じるべくして生じる小規模な分裂は認めて、各党内の政策的多様性を多少なりとも整理し、スッキリさせながら、政策中心の党首選挙、マニフェストを通じて、政党本位・政策本意の選挙をしていくという方向性である。(『改革者』2000年1月号・一部加筆修正)
二大政党制は英語ではトゥー・パーティ・システム(二党制)といい、二党が政権をめぐって激しく競り合い、ある程度の年数のうちで政権交代の可能性がある政党制をいうものだ。日本ではたまたま「二大政党制」と言い習わしており、「大」の字に惑わされてか、二党の議席が伯仲していなければならないと思い込んでいる人が多い。マスコミや政界だけでなく、政治学者もそうだが、ひどい誤算だ。
代表格のイギリスの例を示そう。2001年総選挙でブレアの労働党は413議席であり、保守党は166議席だった。保守党の議席は労働党の四割ほどしかなく、伯仲とはほど遠い大差だが、誰も二党制が崩れたとは言わない。
小選挙区制だけならこれくらいは議席が開くのである。「小選挙区制は小さな得票差だが、大きな議席差となり、安定政権をつくりだす制度」と言われることを想起してもらえばよい。…十数年の幅で見て政権交代の可能性があれば、それでよいのだ。
二党制か穏健多党制か
このような点を確認できれば、わが国は1996年衆議院選のときから二党制に近かったのであり、2004年の参議院選はそれを誰の目にも明らかにしたに過ぎない。ただ、公明党の連立鞍替えで政権獲得を狙うシナリオが残ると、イギリスとは全く別なことになる。それは戦後しばらくの間の(西)ドイツに近いもので、「2党プラス2分の1政党制」などと言われる。つまり、公明党が存在感を示し続けるなら、二党制とはかなり異質なものとなる。
日本の政党政治は今、その岐路にたたされている。結論を先に述べると、筆者は、民主党(自由党合併前の)の戦略次第で二党制に持っていけると考えており、それを期待する。
ドイツの第三党と公明党の比較
単純な二党制とは多少異なる構図になっているのは、公明党の存在のためである。…公明党の側には、流れが民主党となったなら、今度は民主党と連立を組めばよいとう思惑がある。(中略)
戦後のドイツでは、「緑の党」が台頭する1983年まで、「変速に大政党制」の様な形が続いた。二つの大きな政党と、一つの中規模政党からなる政党制であり、「2プラス2分の1政党制」とも呼ばれた。
保守のキリスト教民主同盟・社会同盟と、左派の社会民主党という二大政党があったが、ともに単独過半数には至らず、第三党の自由民主党がキャスティングボートを握る状態が、35年近く続いていた。
ところが日本では、「議会は立法部」ということで、暗黙のうちにアメリカ型が理想とされているふしがある。だが、同じ議会といっても、イギリス型はまったくイメージが異なる。そういうことに無頓着に、議会は立法部なのだから議員が法案をつくらなければならない、とか、法案の修正が行われてこそ議会だと語られてきた。
そもそも、多くのアメリカの書物では、「権力分立」とは大統領制だけをいう、としてある。議院内閣制は権力分立に含まれない、と説明するものが少なくないのだ。議院内閣制では、立法部と行政部に融合が見られるからである。立法の主要な部分である法案は政府が用意するのだから、確かに機械的に分立はされてはいない。
この点を認識するなら、「議会は立法部」という説明は、大統領制についてはピッタリ当てはまるものの、議院内閣制では少々事情は異なる。強引に当てはめると、いろいろと無理な面があるのだ。
日本では、アメリカ型の「立法作業の議会」に近いものだけをイメージして議論がなされてきた。だが、イギリスはそれとはまったく異なる議会を発達さえているのであり、それはそれで「議会政治の母」といわれるほど伝統のあるものなのである。「新しい国会像」を構想するにあたっては、まず両者を視野に入れておかなければならない。(日本政治の座標軸: 小選挙区導入以後の政治課題 著者: 加藤秀治郎)
民主党の大誤算
ついこの前まで、二党の議席が伯仲していなければならないと思い込んで、自民党が公明党と組んで過半数を維持し、自公で与党化してしまった結果、公明党に拒否反応を示す自民支持者の票がかえって減り、自民党自体に社会民主主義的政策が増えていき、国民にとって不明確な政策で失速していった過ちを、いま民主党は学ぶどころか真似をしていっそう不明確な民主主義とはほど遠い党が主導する全体主義政党へと過ちを犯してしまっていたのだ。
要するに加藤先生の本文から見れば、新進党の結成以降、自民・新進の争いの中で埋没し、さきがけと旧社民党が合同し、保守色を失い、合同した旧民主党は二大政党制という幻想にととりつかれた結果、旧民社党などと合流した新政党(新進党→自由党)と数の論理でさらに合同したことが、そもそも間違いだったことは明らかだ。数合わせのために左翼から中道・保守まで思想の異なった何だか判らない烏合の衆化してしまった。まず目指す綱領の掲げられない、いや掲げればまとまらないのだ。民主党の迷走し暴走する結果になったことで戦後最悪の政党だ。
雨宿りに来たよそ村の旅人に誘いに乗って軒下を貸して母屋をもっとも守旧的な勢力に乗っ取られてしまい、せっかくの売り物である自民党ではないクリーンな政党をという目的が失われてしまった。しかも社民・国新連立政権は過半数に拘るあまりに、宇宙的なとらえどころのないブラックホールのような、あるいは実態の見えない鵺(ぬえ)のような得体の知れない不気味なものに豹変させてしまったのだ。国民にはいっそうつかめない中国共産党の全体主義ごとき塊りになっている。
ビスマルク宰相の明言「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」(愚か者は、自分の経験から学ぶと信じている。私は最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶ事を好ましいと判断する。という意味)を学んでいない。
この沈みかけた泥船から賢いねずみが逃げ出すのは、時間の問題だが、国と国益を考え人びとを引っ張っていく意識がなければ、政治の混乱をただただいつまでも長引かせるだけだ。政党よりも政治家自体の質と器が問われているのだ。
中国や北朝鮮、宗教原理国家など、まだ終わっていない限り、それらと戦うものを「保守」というならば、日本人はそれを待っている
日本人にとっての神、日本人にとっての宗教とは何なのか。この問いはむしろ、日本以外の宗教世界、日本とは異なる神意識の世界を知るために求められるべきかも知れない。そしてこんにちほど、この問いが切実なときはないように私には思われる。なぜなら、こうした問いの一方に、神の認識そのものが世界を動かしているとされ思える現実があるからだ。
いまも世界各地で止むことがない民族紛争において、それがたとえ経済問題を本質に抱えているにせよ、神の名のもとに銃を手にし、神の名のもとにその引き金を引くという民族の決意を耳にすることは、近年決して珍しいことではない。そこでは「神のために戦えば勝てる」という意志が絶えず明らかにされている。
ならば、このように人の意志を右にも左にもし向けることができる神の存在に対して、日本人にとっての神はどんな位置づけが可能なのか。日本人にとって宗教はどの程度、重いのか軽いのか。この問いは、私には観念論を離れ、ひどく現実的だ。
こんにち、政治や経済におよぶ、さまざまな構造問題の是非が問われることがあっても、日本人の行動原理ともなる、このもっとも身近な宗教的な感性・精神性について問われることはほとんどない。しかし日本人のこの精神性こそ、広く現代の日本の状況を招いているのではないだろうか。(中略)
日本人の行動原理には、日本の温順な自然風土が促している。この風土がアミニズムを育み、この湿った大気と大地が特有の霊魂感をまねき、絶対否定の思想を生まない要因もつくってきた。この精神風土が、一人の神に定めてしまうこと、一つの原理に限定してしまうことを拒ませてきたのではないだろうか。日本人は多様性のなかに、曖昧ななかに折り合いを求めてきたところがある。(2003 久保田展弘『日本多神教の風土』)
中国、ロシア、北朝鮮はまだ民主主義国家ではない。 「歴史は終わっていない」のである。終わらないどころか歴史は戻ってしまいました。そもそも歴史が終わるには、ロシアと中国という二つの国が民主主義国家になるということが前提にありました。ところが、この二国はどうにも民主化されないし、今後もされそうにありません。少なくともアメリカやヨーロッパが考えるような民主主義国家にはならないでしょう。日本だって欧米にそっくりにはならないんですから、歴史は終わらないわけですよ(西尾幹二『正論』4月号)。
圧倒的に多いのが無党派層である。自民党でも民主党でもない。政党による小選挙区一人制選挙による二大政党制は根付かないのではないだろうか。「生活第一」といいながら、政治そのものよりも次の選挙を考えている「選挙第一」であることがいかに危険であるかが証明されたのだ。
政党とは本来の意味するパーティ的な意見の合う議員がまとまることは必要だが、アメリカ議会でのそれは、党議拘束はなく、個々の議員は独立した存在である。イギリスは比例型であり、議員個人を選ぶのではなく大きく保守党と労働党の二党のどちらかを選ぶ形になるので、政権交代が起きる。これも政策が大きく変化し良し悪しなのだ。
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日本人ならコレを読め!
テレビ東京の、「世界を変える100人の日本人」という番組があり、その中で筒井康隆の「日本人ならコレを読め!」というコーナーがある。