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その「脱官僚」ではうまくいかない

以前に、脱官僚・政治主導はいいが、閣僚が省庁に多数入り主導するのは、野球を知らない人が監督・コーチをするようなもので、それでは選手は勝手にやらせるよりもっと野球にならないと書いた。民主党がモデルにしているイギリスでも、大量の閣僚、政務官の弊害が叫ばれている。
isMedia 2009年09月25日(Fri) WEDGE編集部
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/535?page=1
国家戦略局に行政刷新会議、閣僚委員会や政務三役会議に各省政策会議・・・。これらの取り組みは、「いよいよ時代が変わった」という実感を国民に与え、マスコミも概ね高い評価を下しているようです。
 これらの取り組みの根幹にある思想は「政府与党一元化」です。飯尾潤氏の『日本の統治構造』(中公新書)をはじめとして、日本の政策決定システムは「政府」と「与党」が分立してしまっているとかねてから指摘されてきました。この二元構造こそが官僚主導をもたらしたのであり、議院内閣制のモデルであるイギリスを見習って「一元化」すれば「脱官僚」し、「政治主導」を確立できるというのが民主党の考えです。
官僚におんぶにだっこだった政治家
 自民党の政策決定システムは、省庁間調整から与党内調整、さらには与党対応まで官僚に大きく依存していました。「官僚主導」という言葉は、選挙の洗礼を受けない役人が、その役割を超越して政治家の領分に踏みこみ、勝手に利権を差配しているという印象を与えます。しかし、「官僚主導」の本質は、方針決定や利害調整といった政治家の本分を、政治家自身が放棄してきたことにあります。
多くの政策は、複数の省庁が異なる観点から所管しています。例えば環境関連なら、環境面は環境省、エネルギー面や業界・企業対応は経済産業省、外交面は外務省となります。法律改正や新法制定の際は、主たる所管官庁が関係省庁に事前に仁義を切ってから作業に入りますが、省庁の利害は衝突することが多く、時間をかけて調整することが欠かせません。
 事前調整が済み、法律案を作って、内閣法制局の審査が終われば、全省庁に法律案を送り、質問や意見を受け付ける正式調整の段階に入ります(一般に「各省協議」と呼ばれます)。
 政府提案の法律であれば、ここで官僚の仕事は終わりそうなものですが、この次の与党調整ステップこそが本番です。法律案ができあがれば、どんな法律でも与党審査のプロセスを通します。自民党では、政調会長の下に「政調審議会」という合議組織があり、その下に各省に対応して厚生労働部会や経済産業部会といった「部会」があります。部会には、「○○族」と呼ばれる族議員が勢ぞろいし、役所からは課長クラス以上が出席します。
 所管官庁の官僚が概要を説明し、議員が意見表明や質問を行うというのが部会の流れですが、議員の支援者にとって厳しい内容があれば、「部会は脅しや吊るし上げの場になる。議員からの質問が殺到し、何日もその対応に追われることもあります」(中堅官僚)。
 与党審査を通らなければ、閣議には持ち込めないため、所管官庁の担当局長や担当課長は、有力議員の顔を立てたり、なだめすかしたり、力を借りたりしながら、部会、政調審議会、総務会といったプロセスを通過させるべく全力を挙げるわけです。
 政府(各省庁)は首相、大臣、副大臣といった政治家が掌握していますから、政府内(省庁間)調整が済めば、それは内閣全体の意志となります。首相は与党の議員が選んだ人ですから、与党内の調整はなくてもよさそうに見えるかもしれませんが、そうはいきません。党が同じでも議員はそれぞれ選挙区や支持母体が違いますから、異なる利害をもっています。
 この与党内の利害調整を官僚にやらせるのではなく、政治家がやろう、それも幹事長や政調会長といった与党側ではなく、大臣や副大臣といった政府側でやろうというのが民主党の考えです。
 先に挙げた民主党の取り組みを素直に受け止めれば、官僚がやってきた利害調整をすべて政府側の議員が担うことになります。各省協議などの政府内調整は閣僚委員会で行い、与党の政策調査会の機能はすべて政府に移管し、与党の議員は各省の副大臣が主催する「各省政策会議」で意見を言うだけにとどめる。言ってしまえば、与党内の審査プロセスはなくなるわけです。
課題は民主党内の利害調整
 しかし、自民党時代に慣らされた官僚たちはみな、「本当にできるのだろうか」と首をかしげています。民主党の議員もかなり多種多様な利害を反映しているはずであり、与党内の調整を政府に一元化できるほど、その調整は簡単ではないと想像されるからです。長く与党の側にいた自民党ですら官僚に頼っていたのに、それより経験の浅い民主党の議員が、官僚に頼らなくてもいいほど、各政策の細部をきっちり理解しているとも思えないということもあるでしょう。
 内閣への100人送り込みも閣僚委員会も決して悪くありません。しかし、それらは手段にすぎません。自民党時代はまるで仕事をしなかった副大臣や政務官が、官僚以上の働きをできるのかどうか。官僚の力を頼らずに閣僚が与党内の大切な利害調整をできるのかどうか。日教組や自治労といった支持母体の反発を説得できるのか。民主党の政治家が、利権誘導という政治家の性を乗り越えることができるのかどうかが問われています。
 ○○会議といった仕組みづくりばかりに、いつまでも傾注しているようではいけません。そのような形ばかりの「政治主導」が進めば進むほど、屋上屋の組織体間の調整は結局、官僚が担うことになり、「脱官僚」は絵に描いた餅となることでしょう。
本丸は公務員制度の再構築
 これまで「脱官僚」のために必要な政治の側の意識改革、能力向上について述べてきましたが、「脱官僚」の本丸は、政治家の改革と連動する形での官僚側の改革です。しかし、それは渡辺嘉美氏らが主張するような、政治家が官僚の人事権を掌握し、とにかく官僚には政治家の言うことを聞かせればいいんだというような改革ではありません。
 なぜなら、官僚の本当の問題は、長く続いた自民党政治のなかで、国益のために高い専門性を研鑽することよりも、省益を高める政策の遂行のために、政治家に気に入られることに熱中していることにあるからです。「局の総務課長クラス以上では、政治家との調整が下手だと出世できない」(ある事務次官経験者)のです。
 最近『霞ヶ関維新』を著したプロジェクトKの芳野行気氏(元環境省)はこう言います。「できる局長は、アンテナを張って危なそうな議員を見極め、フットワーク軽く早め早めに根回しを済ませておくことができる。政治家対応能力が官僚にとっての評価ポイントになる」。
 霞が関をよく知る研究者は、「選挙事情や政治家のプロフィールに詳しい官僚が多い」「課長以上は政治家のイエスマンばかり」と嘆いています。竹下内閣から村山内閣まで官房副長官を務めた石原信雄氏も、「幹部クラスでも政治家に進言する気概がなくなってきた。能力というより環境の問題だ」と言います。
経済が低成長時代に入り、国際競争が激化するなか、選挙対策でどうしても近視眼的にならざるを得ない政治家に、長期的視点から煙たいことを言う官僚がいなくなれば、国益は大きく失われます。官僚の最大の問題は、政治的調整ばかりに時間をとられ、専門性を磨く暇がなくなったことにあります。
 安倍政権から麻生政権にかけて内閣府大臣官房審議官を務めた湯元健治・日本綜合研究所理事は「民間人にとって官のポストは相当リスクがあり、よほどの志がなければ行くのは難しい」と言います。シンガポールのように、1億円積まないと有能な人材を確保できないとなれば、コストも跳ね上がります。
 だからこそ、いまから時間をかけて官僚の意識を改革していかなければなりません。そのためには、公募制導入や選考・審査プロセスの透明化で、一部の省庁や政治家のためではなく、国民のための政策を立案するよう、官僚を動機づけることが必要です。このような、票にはなりにくい制度改革に、腰を据えて民主党が取り組むかどうかが日本の将来を分ける分水嶺となるでしょう。
 政治家の能力向上も、公務員制度の再構築も、一朝一夕にはできません。諸外国の例をみても、定着には少なくとも10年はかかります。
 民主党がこれらの面倒なことを放置すれば、結局、厳しい国際情勢や経済状況に対応できず、政策実行が遅れ、国民から批判を浴びることになるでしょう。そうなったとき、また官僚のせいにするのでしょうか。
 もうすでに官僚の士気低下は目を覆うばかりになっています。代わりとなる制度を構築せずに、天下りを禁止したことも大きな要因です。以前なら50代の審議官クラスから肩たたき(退職勧奨)を行い、天下りで組織の外に出すことでヒエラルキー組織の新陳代謝を図っていましたが、それが突円できなくなりました。昨年度から専門スタッフ職という職群が設定され、外に出せなくなった官僚に、給料を下げる形で仕事を与え、本省内で抱え込む仕組みが始まっています。
 とはいえ実態は、「専門スタッフ職は部下も仕事もなくまさに窓際。ああいう将来を見せつけられるのは辛い」(中堅官僚)という有り様です。これまで続けてきた人事制度の出口を変えるのなら、当然、人事制度そのものも見直さなければならないはずです。
 村山内閣から小泉内閣まで官房副長官を務めた古川貞二郎氏は、「年次主義から能力主義への移行は当然。またキャリアでも政策推進を得意とする将来の次官・局長候補には難しいポストを数多く経験させる一方、分析力が優れた者には調査・研究などのポストでじっくり経験を積ませる複線型人事を、入省5~6年目から導入する必要がある」と言います。
 「会計検査院や公正取引委員会、証券取引等監視委員会などの監視部門はまだ人が足りない。そういう有意義な仕事に人を振り向ければよい」(塩川正十郎・元財務大臣)との指摘もよく理解できます。対策が不十分なまま出口だけを絞れば、組織が沈滞するのは当然です。
 「40代、50代になっても深夜残業が当たり前の課長補佐ポストなんて、身体がもたない」(財務省官僚)、「今でも入省4~5年目のレベルの仕事をずっとやり続けている。これ以上、上の人が増えれば、当然、意思決定も遅くなりストレスも増える」(総務省官僚)、「その上、4年後からは定年が60歳から65歳制になる。一体どうなるのだろうか」(内閣府官僚)・・・。これらの声を無視してよいものでしょうか。
対立の図式で官を壊死させるな
 こういう状況に、「官僚憎し」を掲げる、浅はかな議員が、進駐軍気取りで乗り込んできたらどうなるでしょうか。「政と官の信頼関係を構築し、官僚を総動員しなければ良い政治はできない」(石原氏)。
 民主党がマニフェストで掲げた「国家公務員総人件費2割削減」が暗い影を落としています。本当に公務員の人件費は、2割下げなければならないほど、高すぎるのでしょうか。ムードだけでそんなことをすれば、モチベーション低下を招くだけでしょう。
 そもそも、労働基本権を与えてリストラをするという発想は、マニフェストの最大の矛盾点です。「官僚憎し」でとにかく民間と同じ条件にすればリストラできると考える原理主義議員と、悲願の基本権付与を達成したい労働組合関係議員の同床異夢になっています。
 経営者たる政治家はころころ代わり、人件費は予算だから国会に縛られる。使用者に当事者能力がない上に、労働組合には組織が潰れるかもしれないという危機感がない。労働基本権を与えれば、そんな労使が交渉で労働条件を決めることになるわけですが、それでなぜ2割削減できるのでしょうか。
 これから政権交代が繰り返されることになれば、徐々に官僚は党派性を強めていくことになるでしょう。あの次官は民主党系で、あの局長は自民党系、というように。政治家と官僚が一緒になって政争に明け暮れることになる前に、「党派性よりも専門性」を明確にした公務員制度の設計に急ぎ取り組む必要があります。
 代替する集団がいないのに、これまで唯一の政策立案集団だった官僚組織を官僚たたきで壊死させれば、再構築には多大なコストがかかります。そうなってから、諸外国と比較して少人数かつ低コストで、それなりに優秀だった官僚組織を懐かしんでも遅いのです。民主党が「政と官の問題」に対し、パフォーマンスを脱して、真摯に取り組んでくれることを切に願います。
官僚たたきで制度を改革していいのか
 「天下りなんて許せない」、「民間は不況でこんなに苦しいのだから、公務員ももっと身を削れ」と怒りを感じるか。いずれにしても感情論に陥りやすい対象であるだけに、「何のために何を改革すべきなのか」を冷静するのは、とても難しいテーマです。
 公務員は社会の公器であり、その制度設計は国家百年の大計に属するもののはずです。現在の公務員制度は、戦前の仕組みを源流とした長い歴史を持っていますから、変えるとしてもそれなりの覚悟が必要です。しかし、このところの一連の議論は、政争の具として弄ばれ、単なる「官僚たたき」の色彩を強めています。
 公務員へのバッシングが強まった背景の一つに、「居酒屋タクシー」がありました。たしかに官僚がそういう特権的待遇を受けていたことに問題がないわけではありませんが、より本質的な問題はタクシー業界の過当競争であり、霞が関官僚の凄まじい残業実態であったはずです。
 しかし、特にその後者について切り込んだメディアはあまりみられませんでした。どのメディアも普段官庁に取材しているなかで、官僚たちの疲弊ぶりは散々目にしているであろうにもかかわらず、です。しかも、取材をしている記者の側こそが、ハイヤーやタクシーを大量に抱えているなんていう笑えない話もあります。実態や本質を知っているにもかかわらず、そのことには触れずに、後に一種のメディアスクラムに突き進むのは、その後の中川昭一・前財務金融相酩酊事件でも同様です。
 いま一度、「政治主導」、「天下り禁止」といった、キャッチフレーズに踊らされることなく、冷静に公務員制度を検討することが必要です。
 厳しい国家財政の下、公務員の人件費は年々抑制されてきましたが、情報公開やパブリックコメントなどの導入で業務量は増える一方。「国家に奉仕したい」と期待を膨ませた若き官僚を待ち受けるのは、調整や議事録作成などに忙殺される毎日です。
 さらに「国会待機」や「質問主意書」が官僚を疲弊させています。居酒屋タクシー事件では、タクシー利用実績の調査のために、全省庁で大幅な残業がなされ、しかしさすがにタクシーには乗れないから省内に宿泊するという、なんとも皮肉な事象が発生しました。
 「外国と比べて官僚の仕事が多いのは、マルセイ対策があるから」とは某省課長の弁。この「マルセイ」とは、政治家などへの政治的な根回しのこと。その割合は「課長クラスで全仕事量の1割、審議官クラスで5割、局長クラスで7割程度」に達するというから、驚くほかありません。
 米国では1人で100名近くの政策秘書を抱える議員もいるくらい、議員スタッフが充実しています。日本ではこうした役割の多くを官僚が担っています。与党間の調整役として局長が奔走することも珍しくなく、取材のなかでは、政党のマニフェスト作りにまで官僚が関与しているとの声すら聞こえてきました。日本の「政」と「官」の役割分担はこれほどまでに不明確です。
天下り根絶だけすればいいのか?
 「このままいけば、40歳過ぎると、みんな隠れてせっせと就職活動に励むだろう」ある省庁の30代中堅キャリア官僚はこうつぶやきます。「正直言って、天下りを目指して官僚になる奴なんていない。だけど、40代前後から省内の競争がグッと激化するのは事実。これからは脱落しても面倒見ませんよ、省内には留めてやるけど、ろくな仕事はなくて、給料も民間より安い、最後までいても年金はかなり低い、ということなら、転職も真剣に考えざるを得ない」。
 多くの同期入省者から事務次官1人に絞り込んでいく過程で、各省庁の官房(人事担当課)は、ポストに就けなかった者に“肩たたき”を行って、関連する民間企業や独立行政法人、特殊法人などの職を斡旋します。一度天下りした後も、後輩に交代していく必要があるため、2度目、3度目の天下り先が用意されます。これがいわゆる「渡り」です。
 麻生首相は野党や世論の非難を浴びて、「渡り」の全面禁止、各省庁による天下り斡旋の猶予期間短縮に踏み込んだ。姿勢転換が遅かったことを除けば、概ねメディアでは好意的に受け止められています。
 しかしこの悪名高い「天下り」、単に“禁止”さえすれば事足りるのでしょうか。
 制度化されていない慣例とはいえ、官房が全員の面倒をみることで、官僚の安定性や中立性が担保されてきたのは事実です。天下り根絶は、官僚たちが、自分で自分の処遇を獲得しなければならなくなることを意味します。冒頭のコメントにみられるように、競争から脱落した過半の官僚たちが、よりよい処遇を求めて切磋琢磨する状況は果たして望ましいのでしょうか。
 現在の公務員法ではよっぽどのことがない限り「降格」が認められていないため、一度局長になってしまえば、審議官には落とせないし、給料も下げられません。その状態のまま政治任用化が進んで、いったんは政治家に重用された官僚が政権交代のたびに次々と放り出されていけばどうなるでしょうか。
 天下りは根絶されているし、出世にかかわらず一定の処遇を補償する仕組みもないとすれば、省内にやる気を失った中堅層が大勢滞留し、組織がよどんでいくのは明らかでしょう。
破壊だけでなくシステム再構築を
 「内閣に国家戦略スタッフ30人、各省に政務スタッフ5人程度、大胆に民間登用」という方針は見た目は良いですが、これは官僚の世界で頑張るより、うまく民間から登用されたほうが出世できるということを意味しています。米国のウォール街や軍需産業の例を引くまでもなく、特定業界の専門家がロビーイングまがいに行政を牛耳ることの怖さは考えておくべきではないでしょうか。
 日本では、人事院が級別定数(ポスト別の人数)を、行政管理局が組織定員(省庁別の人数)をがっちり管理してきたため、諸外国に比べてかなりコンパクトな人員規模になっています。人事院の勧告制度で、給与も民間や諸外国より安く抑えられてきました。年金も、他の先進国の半分ほどしかありません。それなりに効率の良い政府を作ってきたと評価することもできるわけです。
 たしかに、天下りと特殊法人の結託による不透明な行政慣行や、6回も7階も「渡り」を続け、80歳近くまで天下りを続けた元官僚の存在など、官僚の側にもやりすぎがあったのは確かです。しかし一方で、天下りシステムで生涯賃金をバランスさせてきたのも事実でしょう。
 システムを破壊するだけで再構築しないというのは無責任以外の何物でもありません。慶應義塾大学の清家篤教授はこう指摘します。「労働市場のなかで、優秀な人を採用し、国家に奉仕するプロに育て、能力を十分に発揮してもらうためには、国民はそれ相応のコストを負担する必要がある。敬意と感謝の念を示してやる気を高めるのが人事の上策である」。
 その他、「幹部公務員人事の一元化」や「労働基本権付与」といった方針にも大きなデメリットがあります。いまこそ国民が公務員制度改革に関心を払うべき時ではないかと思います。
優先順位がおかしい民主党
http://koujiyama.at.webry.info/200909/article_128.html
 
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  • 日テレ葉山エレーヌアナ 巨乳露出事故!!
    前代未聞の”乳出しハプニング”が起きたのは7日朝。情報番組『スッキリ!!』の生放送中で、その決定的瞬間が全国ネットで放送された。
    http://hayamaerene.cocolog-nifty.com/blog/
    朝から刺激的な映像が全国放送され、ある意味”放送事故”ではあるが、一方では「あんなに胸がおおきいとは・・・」と、葉山アナに好意的な声も上がっている。
    http://hayamaerene.cocolog-nifty.com/blog/

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