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白洲次郎と民主党

NHK「白洲次郎」の3回を観た。1、2回放送からずいぶん待たされた。ふとテーブルを観るとNHKから受信料振込の封書が置いてあった。NHK JAPANデビューに抗議し署名もしている自分は、今度こそ払うまいと決めていたのに、すでに先月に引き落とされていた。あまり見ないBS分も合わせると3万円近いから余計腹立たしかった。
なぜ、3回目がこんなに間があいたのかわからないが、衆議院選をはずしたのだなと思う。NHKの計算高さが見える。
白州次郎は当時希有な英国留学の外交官だった。自分は自分だという英国仕込みの合理性を貫き、売国奴という誤解も多かった。しかし最後には、サンフランシスコ講和条約で用意された英文原稿を見て、「なぜ英語で演説するのか。日本が独立する演説は、日本語でやらなければならない。」と、急いで巻物を手造りし日本語で行うようにした。
 「俺は日本人だ。」帰国した吉田に「あなたの仕事は独立で終わった。首相を辞めろ。いますぐ辞めて次の首相に任せなければ替えられない。」という。吉田茂が言う。俺にはっきりものを言ってくれるのは次郎だけだ。いままでありがとう。次郎は言う。「早死にした父親に吉田さんは似ているんだよ。」だから怒られてもついていったのだ。そんな単純なことで理屈じゃなかった。そして、彼の根底にあるのは、自分の人にはできない長所を生かし信念をもって日本を独立させることだった。誇りとしての武士道精神だったのである。
歴史の両側(1) 『東京裁判』 学校で教えてくれなかった近現代(55)
http://koujiyama.at.webry.info/200908/article_186.html
さて、民主党が性急に進めようとして摩擦を起こしている。民主党に何が足りないかを考えていた。
日下公人先生の「心情」から語る靖国論にその答えが隠されているように感じるのである。
2006年8月24日
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/p/38/index1.html
(1)~英霊の気持ち~「表向きの議論」と「心情の議論」
2006年8月15日の終戦記念日に、小泉首相が靖国神社を参拝した。日本の首相の参拝については中国、韓国から非難され続けており、今までもたびたび外交上の問題となってきた。民主党の新代表となった小沢氏が靖国問題を政争の種として持ち出したことで、日本国内でも分祀だ何だと政治家やマスコミが騒いだ。
 靖国問題の議論がなぜややこしいかというと、それは法解釈などの「表向きの議論」と、一般国民それぞれの「心情の議論」があるからだ。
 表向きの議論をしている人は、大概、法律に詳しい人ばかりだ。歴史学者でも官僚でも、そういう人たちは皆、理屈の世界で話をする。まずは「憲法にどう書いてあるか」というところから始まって、次に「靖国神社は宗教法人である」と展開していくのだ。
 確かにそれはそうなのだが、それなら靖国神社はどんな宗教なのだろうか。宗教法人法を読んでもよく分からない。とにかくその法律に基づいて、靖国神社自身が自らの「教義」や「寄附行為」などの規則を作っている
 しかしこれも、いくら読んでも、何が書いてあるかよく分からない。少なくともわたしの日本語の力ではよく分からないことが書いてある。それなのに、表向きの議論をする人たちは、それらをもとにして議論をする。だから、さっぱりわけが分からない。
国民の心情は何種類もある
 一般国民といっても、仏教の人もいれば、神道の人、無宗教だと称する人もいるというように、何種類もの違った考え方をする人たちがいる。もちろん、戦争で亡くなった軍人の遺族もいる。当然、一般国民の心情は何種類もある。だから、みんな互いに遠慮して、発言をしない。日本人は、相手が必ず賛成する意見しか言わないからだ。正体不明の議論には黙っている人が多い。
 そうかといって、黙っている人が何も考えていないのかというと、そうではなく、実は考えていて、ある見解に「反対」のときに突然怒り出すことがある。反対のときだけ自分の意見が出てくるのだ。賛成のときは黙っている。
 靖国神社に対する日本人の考えが、仮に4種類あるとしたら、多くの人が4種類をそれぞれ少しずつ持っていると思う。どれか一つに固まっている人はおそらくいないだろうと思う。だから、多くの人が自分の意見を明確にできずに黙っているのだろう。
「靖国神社の英霊は寂しかった」
 わたしの銀行時代の先輩で、靖国神社の経理をやっていた人がいる。その人は戦争中、中国大陸を1000kmも歩いて桂林まで行って、戦いに負けて負けて負けて、また1000km歩いて帰ってきたという経験がある。
 彼は銀行に勤めて、定年退職のころ、靖国神社から経理課長か経理部長をやってくれという話があった。
 「給料は証券会社へ天下った場合の3分の1くらいしか出ないけれど、受けるか」と聞かれ、彼は受けたそうだ。
 「自分は危うく靖国神社に祭られるところだったんだ。自分の知っている人が何十人もあそこにいるんだ。そういう場所のお世話をして残る一生を暮らせるのは幸せだから、給料が安くてもやる」と、彼は靖国神社で働くことにした。
 ずっとあとでわたしは靖国神社に行って、その人と話すことがあった。彼は「靖国神社は今や寂れきっていて、誰も来てくれない。来てくれるのは、夜暗くなってから、隅っこの暗いところでいちゃいちゃしているカップルくらいだ。そういう連中に対して『神域を汚すものだから、パトロールして取り締まろう』という意見が出るが、わたしは断じて反対している」と言った。
 「わたしは、死んだ人たちの気持ちを知っている。誰かに来てほしいんだ。寂しいんだ。誰でもいいから靖国神社へ来てくれて、にぎやかにしてくれればうれしいんだ。それが死んだ英霊たちの気持ちだ。危うく英霊になりそうだったわたしがそう思うんだから、取り締まるなんてとんでもない」と。
サイパン島で死んだ人たちはカップルの来島を喜んでいるかも
 「たくさんの日本人が死んだサイパンへカップルが旅行に行って、昔の戦車とか大砲とかを遊び場にして、いちゃいちゃやっているのは嘆かわしい」と新聞は書いた。
 わたしはそれを読んで、靖国神社の先輩の話を思い出し、「死んだ人は、喜んでいるかもしれない」と思った。
 自分たちが命を捨てて戦って、それで米国は日本を尊敬するようになったから、戦後、若い日本人は経済だけでやっていくことができた。そのおかげで豊かになって、こうやって自分の子供や孫が遊びに来てくれている。サイパン島で死んだ人は、カップルがたくさん来て喜んでいるんじゃないか。
 死んだ人は、誰かが来てくれればうれしい。若い人が来て、遊んでいてくれて、それで結構だ。そういうことがあるとわたしは思っている。
 そして、こうしたことは今のうちに伝えておかないと、だんだん代が替わっていくにつれて分からなくなっていってしまうだろう。
(中略)
自衛隊の隊員は靖国に祭られるか
 防衛問題評論家の志方俊之さんは、元自衛隊の陸将で、北部方面総監だった。その前は旭川の第2師団長で、さらにその前は米国大使館に勤務され、そのもっと前、赤ん坊のときは、お父さんが陸軍中将だった。
 お父さんはシベリアへ連れて行かれて死んだそうだ。その志方さんが、自衛隊と靖国について興味深い話をされていた。
 サマワへ行った自衛隊が帰国したとき、「1人も死なないで帰ってくるとは、こんなうれしいことはない」と志方さんは言った。「サマワへ行ったのは全部自分の部下だった人たちである。誰か3、4人は死ぬんじゃないかと思っていた」と。
 志願者の中から500人、あと100人足して合計で600人の自衛隊員がサマワへ派遣された。その自衛隊員たちの多くが幹部に「死んだら1億円くらいくれるらしいが、それはいいとして、靖国神社はどうなのですか」と質問したそうだ。
 そこで幹部は、そういう隊員たち10人くらいを引き連れて、お正月に靖国神社に行ってお参りをして、宮司に会い、「わたしたちは靖国神社へ行けるんでしょうか」と聞いた。
危険な任務に就く自衛隊にもっと礼儀を尽せ
宮司の返事は、こうだった。
 「とんでもない、あなたたちが祭られるはずはないんです」。
 理由を聞くと、「まずあなたたちは軍人じゃない」。確かに、昔から自衛隊は軍隊じゃないと言っているんだから、それはそうだ。「それから、戦死しなきゃダメなんですよ」とも言われた。
 「サマワへ行って死んだって、それは戦死じゃありません。事故死か何かです」というわけだ。確かに「サマワには戦争に行くんじゃない」と、首相は国会で何度も繰り返し言っていた。
 要するに、「軍人でない人が戦争でない理由で死んだのに、靖国神社に祭るわけがないだろう」という扱いだったと、志方さんはおっしゃっていた。これは、表向きの議論をする人たちの考えだ。でも、宮司までがそんなことを言って追い払ってしまうとは、冷たいなとわたしは思った。
 それからもっと前の話で、宮沢元総理大臣が、警官にカンボジアへ行けと命令したことがあった。そのとき、見送りには行ったが、出迎えに行っていないと、いまだに怒っている人がいる。カンボジアでは1人が死んだ。死んだ人とその仲間は、やはり出迎えてもらいたいのだ。
 サマワから1人も死なずに帰ってきたと喜んでいるが、誰が出迎えに行ったのだろうか。やはり、危険なことをする人に対しては、礼儀を尽くさないといけないと思う。自衛隊の人は危険を乗り越えて任務を果たしたのだから、上の人も上の人の任務を果たさねばならない。
(2)~儒教では前政権を絶対に許さない~国家の正当性のために「天」が生まれた
 中国が総理大臣の靖国神社参拝をいつまでも問題にするのは儒教の影響である。
 中国の儒教的な考え方について、孟子までさかのぼって考えてみよう。まず2000年前の中国は、やたらと国家が交代した。どこかの勢力が南下してくるたびに戦争が繰り返され、結局、強い者が勝って、新たに国を造った。
 強い者が勝つことは明々白々なのだが、そこに何か理屈をつけたい。それは、強いから勝ったということでは世間が安定しないからだ。
 「おれの方がもっと強い」と、ほかの誰かがチャレンジしてくれば、戦争は何百年も続いてしまう。この繰り返しをやめたいから、新しく君主になった者は「もはや交代はない」と言いたいし、国民も安心したいから賛同する。国民は「新しく出来た国はもう滅びない、その君主は何か特別な存在なんだ」と思いたいのである。
 ではその「特別」とは何か。そこで彼らが発明した架空の論理は、「天がある」ということだった。君主になるような立派な人には、天から「あなたがここを統治しなさい」という天命が下るんだという論理。
 だから君主を「天子」、つまり「天の子ども」と言うようになった。天子の言葉は、天の声だから、みんな従えというわけだ。
 これが「レジティマシー」、つまり正統性がどこにあるかという議論である。統治力の根源は軍事力だとは、なるべく言いたくない。そこで「天」と言う。
 でも誰も天を見たことがないから、目に見えるようにするために、「天壇」という丸い礼拝所を作った。現在は「天壇公園」という北京の観光名所になっているが、石で円形の礼拝所を作って、その真ん中に天子が立ってお祈りをした。
 すると天の声が聞こえるという、途方もない儀式をした。そういうことをすれば、国民は「本当にそうかもしれない」と一瞬でも思ったのではないか。
 これがそのまま日本にも入ってきて、天皇が同じことをした。だが、天皇一人が儀式を執り行っても、誰も天の声だと思わない。日本人は天皇が天の声を中継ぎしていると思わなかった。日本人はそういうことを、中国のようには本気にはしなかったのである。
(3)~靖国は英霊の同窓会の場~靖国神社は宗教を問わない
 靖国神社について考えるとき、そもそも靖国神社はどんな宗教なのか、という話が取りざたされる。
 一般的に日本には、仏教もあれば神道もある。神道には実は、道教が入っている。日本人はそれら全部を混合して、自分にとって都合のいいものだけをとっている。
 「八百万(やおよろず)の神」などと言ったり、外国から渡来したプリンシプル(原理原則)で割り切るようなものも取り入れたり、そしてもっとリアリズムで考えた常識的なものも取り入れて、それらを適宜使い分けている。そうした日本人の宗教心を踏まえて考える必要がある。
 江戸時代が終わり、明治政府が出来て、国家として軍隊を持つようになり、日本は外国とも戦うようになった。
 軍隊では、兵士同士が会話の中で「もしかしたら今夜は最後で、明日は死ぬかもしれないな」などと語り合って「おまえは仏教徒か」「いや、おれは神道だ」となると、「じゃ、死んだらもう会えないね」となる。
 仏教徒は、阿弥陀仏のところへ行ったり、極楽へ行ったりする。行いの悪かった人は、犬畜生に生まれ変わる。ところが神道の人は、極楽には行かない。どこに行くか分からない。
 とにかく兵士たちが「もう会えないね、寂しいね」と話しているのを聞いて、こんなことでは強い軍隊にならないと思い、明治政府は「東京招魂社」をつくった。これが靖国神社の始まりである。
 招魂社、つまり「魂を招く社(やしろ)」をつくって、死んで故郷へ帰って祭られた人でも、「例大祭」という春と秋の大祭のときには、また靖国神社へ戻って、みんなで集まって同窓会をやれと、明治政府は言ったのだ。
 神道でも仏教でもキリスト教でも何でもいいから、死んだら一度ここへ集まれば、天皇陛下もお参りして、ねぎらってくれる。それが招魂社で、やがて靖国神社になっていく。
 だから「靖国神社は仏教か、神道か」などと問題にする向きもあるが、実はどちらでもない。「死んだらあそこへ集まってから解散しよう」とか、「解散してから、でもときどきは集まろう」という、同窓会の場なのである。
(4)~戦没者の魂はどこにいくのか~死者の魂は「草葉の陰」にいる
 靖国神社が神社である以上、死者の鎮魂は神道にのっとって行われるはずだ。そこで、神道における「死者」の考え方を知る必要がある。神道において、霊魂とは何なのか。死者とは何なのか。
 以前にわたしは神道の解釈をひろさちやさん(宗教評論家)に聞いたことがある。ひろさちやさんは仏教の本をたくさん書いている人だが、神道のことも教えてくださった。
 「神道では、人間が死んだら霊魂はどうなるんですか」と聞くと、ひろさちやさんは「人間が死んだら、魂は家の周りの低いところにいるんです」と答えた。
 わたしは「黄泉(よみ)の国」を思い起こした。道教において、死んだ人が行く黄泉の国は地下にある。その考え方が日本にも入ってきて、天照大神やスサノオノミコトなどの日本の神話の中にも出てきている。
 例えば、自分の死んだ妻が恋しくて、追いかけて地下の国まで行くという話があった。死んだ妻は地下の国にいたということは、死んだ霊魂は黄泉の国へ行くのだ。
 では、その入り口はどこかというと、ひとまず家の周りの低いところにあるという。「草葉の陰からあなたを見ているよ」というのは、そういうことなんだとわたしは思った。なお、堀一郎著の『民間信仰』には「亡魂は家の棟を離れぬ」とする地方もあると書かれている。
(5)~国民の心にはマグマがくすぶっている~靖国問題は(A+B)×C
 靖国問題への国民の関心は8月15日がピークで、そのあとはすっかり離れてしまった。だが、無意識の中で国民の心にくすぶるマグマは今もあると思う。それをきちんと整理して議論しないといけない。
 靖国問題については、わたしは「(A+B)×C」だと思っている。Aとは、日本の俗信や民間信仰などの、マグマのような「国民の心」のことだ。もっとも日本人は「わたしは無宗教だ」などという人が多いのだから、あまり深くは考えていないのだが。とはいえ、そう言いながらも日本人はそれぞれ心の底で何かを思っている。それがA。
 Bは、政治と裁判と法律のこと。この決着がついていない。A+Bは、中曽根元首相のころから議論しているのに決着はついていない。そこへ「×C」がきた。Cとはチャイナ(=中国)のことだ。
 憲法、裁判、宗教法人法、あるいは「首相とはなんぞや」とか、「天皇とはなんぞや」とか、そういったA+Bをきちんと解決しておけば、Cがきたときでも対応できるのだ。しかし、A+Bが放ったらかしになっていたところにCが入ってきたから、話はややこしくなった。
 今、実はCについても正体不明のまま議論をしている。中国人自身は、はっきりしているけれど、日本人が中国の研究をしていないから、Cのことが分からない。
 勝手に自分たちのほうで、「ではA級戦犯だけを分祀すればいいんでしょう」など、日本の常識で中国を解釈している。「これで関係が改善するはずだ」と思っても、それではちっとも改善されない。
 日本は中国対策が全然ダメだった。同時に、日本国内対策もダメだった。その結果として、靖国問題の火種は今もくすぶり続けている。
(6)~遺書に見る戦没者の思い~特攻隊員は死を「飾りたかった」
 8月15日の靖国参拝のとき、「国民の心を代表してお参りにきた」と小泉元首相は語った。しかし、その「国民」の中には、英霊が入っていない。
 もしかすると小泉さんは「入っている」と言うかもしれない。「入っている」根拠として、彼は鹿児島の知覧へ行って、特攻平和会館を見て、そこにあった神風特攻隊の人の遺書を読み感動したときのことを話すだろう。「あそこへ行って、わたしは感動した」から、国民という中に英霊の心も入っていると言うだろう。
 だが、それは特攻隊の隊員たちの遺書を読んだだけじゃないかとわたしは言いたい。その遺書には、大きな偏りがある。
 遺書は、表向きは立派に書いてある。それは素晴らしいものだ。20歳ぐらいの若い男が、ここまで立派な文章を書くのかと感動する。あらゆる関係者に配慮し、自分の心を一つに決めて、それをまとめて文章にして残した。たった18~20歳で。昔の教育はすごいものだと感動する。
 それはそれでいい。しかし、その遺書を表面的に読んだだけでは分からないものがある。まず、遺書を書いた特攻隊員たちは自分の死を飾りたいと思っていた。
 死からは逃れられない。死ぬと決める。その死をなるべく高く売りつけたい。「高く売りつけたい」というと表現は悪いが、立派な姿で死にたい。遺書には、そういう思いも入っているのだ。
 うちの息子は立派な息子だった、雄々しい息子だった、けなげな息子だったと、親にほめられたい。立派な人だったと、周りの人に思われたい。そういう意識が遺書には入っているはずだ。
(以上)
 民主党や旧社会党、共産党に欠けているのは、「表向きの議論」と「心情の議論」の乖離なのではないか。
 どんなに雄弁に理屈で説得しようとしても、心情的にどこか納得できない、おかしいのではないかと思うのだ。
 自民党が古くさくていい加減でアナログ的でも、どうしようもなくなったら寂しいし危機感を抱くのである。多くの国民がそうだと思う。そもそも自由党と日本民主党が戦後の社会党の台頭に危機感を抱き、合同した経緯が戦後日本の民主主義の歴史だからだ。つまり民主主義の二大政党が自由民主党という党内に二つあったと解釈できる。だから戦後一党が政権を執ってきたのはふさわしくないというのは正しいようでそうでもない。二大派閥が政権交代をおこなっていたのである。他が恐ろしい左翼政党ばかりだからだ。経済再建第一の自由主義の吉田自由党と、ソ連も認めようとするリベラルの鳩山民主党であった。
 内情はそんなに単純なものではないかもわからないが、米軍占領下からの独立のために合同し、自主憲法制定をかかげたことは間違いない歴史だ。
死者の霊に拝礼することは理屈じゃないんだ!
http://koujiyama.at.webry.info/200909/article_129.htmlでも書いたが、自分はこう思う。
 少なくとも国のトップに立つ人は、雄弁で感動的な演説はもちろんのことだが、正しい歴史認識は持たねば国際政治は判断を誤りかねない。日本の戦後生まれの政治家に欠落している致命的な問題だ。個人的には先祖の墓参りや近所の神社に参拝している首相なら、なぜ公人として靖国神社に参拝しないのか。日本を守るために亡くなられた多くの尊い英霊に拝礼することだ。宗教解釈や法律の理屈ではない。中韓が文句を言えば親の墓参りはできないのか。たとえそれが戦犯に対する間違った解釈なら宗教の違いの問題だといえばいいし、何遍も説明するのだ。先祖の墓参や神社参拝と別だと考える発想がそもそも問題である。
 いま日本人を代表して国連で演説できるのも、そうした日本のために命を賭けて戦ってこられた多くの先人たちのお陰なのだ。個人的にはどんな価値観を持っても自由である。しかし、一国の首相であれば、国民を代表して尊い命に一年に一度ぐらいは感謝を示さねばならないことを忘れないでほしい。
 国の首長として国民の代表して先人を敬い、国家構想を明確にわかるように説明し主導することが最大の職務だろう。命がけで祖国や親・子どものために戦われた何百万の英霊に拝礼しない国の首長がどこの国にいるのだろうか。坂本龍馬などの明治維新の志士、日露戦争の東郷平八郎ら国の礎を築いた人たちも祀られている。
 戦後の独立を回復した吉田茂・白洲次郎らと比べると可哀想だが、靖国神社に参拝しない政治家は性根が腐っている非国民としか思えない。また、命がけのしたたかさ・たくましさが外交・防衛には課せられるということを肝に銘じてほしい。
 
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  • 白洲次郎 町田

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