鳩山首相が基本的村山談話を踏襲と発言した。つまり彼の歴史認識がそれほど不勉強で浅はかであるという事実を世界に知らしめたといえる。
村山談話や河野談話がなぜ問題かはここでいうまでもないですが、それは戦争に至った経緯を歴史的事実をふまえた客観的な発言ではなく、戦争の被害国に対する単なる心象的な発言だからである。
中国と朝鮮半島が友愛などという甘い戯言が通用するような歴史を経てきた国家ではないことは、歴史をみれば明らかであろう。多くの識者は、日本の戦争のはじまりを大東亜戦争からみることは正しくないという。そもそも明治維新からの近代国家として欧米列強の仲間入りをした日本と、列強の植民地化に翻弄されてきた大陸側の東アジア・東南アジアを同一視してとらえることは無理なのである。
つまり、鳩山政権は、細川・村山政権と同レベルの衆愚政治を三度くり返すのだ。
首相は胡主席との初の会談で「日本と中国はお互いに違いがあるが、違いを認めながら乗り越えて信頼関係を構築する。それが軸になって東アジア全体の構想を構築したい」と「友愛精神」について触れ、自身が掲げてきた「東アジア共同体」についても言及した。
それが、「いろいろあったけど、過去は過去でこれからは仲良くしよう」というのなら、違いを認めず過去のことを堀くり返して政治的に反日・抗日活動を行っているのが中国・韓国側であるから、友好関係を難しくしていることを中国・韓国が自らが乗り越えないといけないということなのだ。
渡部昇一先生は、日本の戦争史は、少なくとも日清戦争からみなければならないといいます。
ヨーロッパ共同体を組織する国々は、キリスト教という同じ宗教観・価値観をもった国同士である。それでさえも、第二次大戦後に敗退しかけたドイツ・ザールの石炭産業を共有化しようという経済共同体構想からはじまり、紆余曲折を経てユーロの共通通貨までには長い時間がかかっているのである。
それに対して、鳩山首相は東アジア共同体構想が「東アジア地域をわが国の基本的な生活空間ととらえ、経済協力と安全保障の枠組みをつくる」ことで、共通通貨の創設などを唱えている。
周恩来は、日本に戦争責任を求めなかった。口実に利用し始めたのは朝日新聞の南京虐殺があったとする記事を中国共産党と南北朝鮮が政治的に利用しだしたのだ。東京裁判と戦争責任を表面化させたのは社会党・土井たか子である。
村山談話をめぐる発言が中国側にとって格好の「おみやげ」になったのは間違いない。歓迎とは裏腹に中国にとっては鳩山政権がくみしやすいとみている側面もあるようだ。
自民党がこれまでとってきた中国との友好は、経済的な友好関係であって、東アジア共同体などに踏み込めないのは、中国・韓国との政治体制と国家の成熟度の違いが決定的にネックになっているからだ。だから少なくとも難しい中韓を除いた豪州を含めた大平洋地域の共同体構想をめざしてきた。
したたかな中国を「友愛」などというわれわれ日本人でもよくわからない定義で、これまで苦労してきた外交が様変わりするほど甘い相手ではない。小泉元首相が靖国参拝を通してきた政治信念を、安倍・福田・麻生と低下させ、さらに民主党政権では細川・村山レベルまで後戻りさせることになった。日本の主権は日本人のものではないことが現実になろうとしているのである。
民主党政権を一刻も早く引きずり降ろさねば日本が危ない。日本を沈没させる国家反逆罪に等しい衆愚政治である。
東アジアの近現代史 日清戦争と三国干渉
http://koujiyama.at.webry.info/200908/article_161.html
【新生自民党】 「新旧分離」案
http://koujiyama.at.webry.info/200909/article_125.html
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