薩摩と長州は最初は仲が悪かった。長州は攘夷派であり、薩摩は幕府方であった。
しかし、真の敵は夷敵である列強国であるとわかり、尊皇攘夷で一致団結した。
倒幕の大義名分として錦の御旗が必要だった。天皇の勅であった。
官軍となったとき、諸藩は味方に回らざるを得なくなった。
西郷隆盛は江戸城無血開城を果たす。当初は徹底的に幕府と戦うつもりだったが、将軍慶喜の大政奉還をもって、ことは静かに収まった。その功績は勝海舟、和宮、篤姫の働きかけだったとされる。
数合わせに手段は選ばず、薩長土肥、旧幕臣、公家なんでもいい。
そして明治新政府が誕生したが、肥前の江藤晋平が下野し、土佐の板垣も下野した。
西郷はやがてあまりにも非情な旧武士たちへの処遇と近代化を進める大久保や木戸、岩倉に意見が合わず下野し、職を失った旧武士たちの不満をしょって反旗を翻したのである。
大久保もやがて旧下級武士に倒れた。
伊藤博文が政党内閣制を主張した大隈重信を追い出した。
板垣退助らが政府が藩閥政治であると批判し自由民権運動をおこす。
板垣は自由党を、大隈重信は立憲改進党を結党した。
伊藤はドイツの憲法を参考に、大日本帝国憲法を制定し、議院内閣制をスタートさせた。
歴史はそうだった。
さて、
小沢自由党は鳩山民主党と合同した。目的ただ一つ、自民党を倒すことのみだ。
そのためには数合わせで旧社会党右派といわれる層や労働、日教組、民団、・・・大連合となった。
その時歴史は動いた。
代表を退いた小沢代行は選挙の手腕で自民党を倒し政権交代を果たすことが叶った。
ついに自民党は、約50年間固定していた国会議事堂の自民党衆議院議員室を民主党に無血開城したのだ。
本日大阪の番組で野中広務氏が出演していた。
「自民党がおかしくなったきっかけは、そもそも小沢君が40代で自民党の幹事長をしたことだ。
このまま民主党の中で封じ込めておければいいが。。。彼はじっとしていられないたちだからなぁ。。。」
細川政権も村山政権も、そして鳩山政権も実態は小沢に担ぎ上げられたお飾り総理である。
小沢・鳩山献金問題が再燃する。
米国が猶予期間を過ぎて本腰で圧力をかけ、中国がつるはしを振りかざす。
ロシアが吠える。
民主党政権は来年の参議院選挙まで何もできないだろう。
国会は空転し、鳩山傀儡政権は頓挫し政界再編が早々に起こる。
きっと。
↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。