箕谷(みいだに)古墳群


兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷

昭和58年(1983)度から59年度にかけて、兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷で公園整備のため行われた箕谷古墳群の発掘調査により、須恵器、金環3点、鉄鏃・馬具等の鉄製品、鉄刀など103点の遺物が出土しました。
八木川下流域左岸の谷奥に立地し、2号墳は東西12m、南北14mの円墳であり、長さ8.6m、幅1.2m、高さ1.7mの横穴式石室。出土した須恵器により、6世紀末から7世紀初旬に築造されたと考えられており、出土状況から2回以上の追葬が行われたとみられています。

  

3号墳は3段の列石を巡らせた円墳で兵庫県下でもこれだけです。2、3、4号墳(直径7mの円墳)、5号墳(直径6mの円墳)の4基の古墳が現地保存され、平成4年(1992)12月18日に「箕谷古墳群」として国の史跡の指定を受けています。石室はすべて谷の入り口方向である南に開口するよう規則的に造られています。そして2・3・4・5号墳と順次標高の低い方から高い方へ築かれています。時期が新しくなるにつれて墳丘・石室が小規模化しているのが特色で、この時期の古墳の変遷過程をよく示しています。

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八木城趾


養父市八鹿町今滝
今日は午前中は叔父の一周忌の法要と、午後からは左官屋をしていた祖父の一番弟子で、遠い親戚にあたるおじさんの葬儀が重なる。 重なったので一周忌法要は母が出席することにしていた。
余裕ができたので出席することにした。 高校の恩師(2年3年の担任)が、この家の同じ苗字の遠縁にあたり、「法事で一度顔みたいな」と聞いていたので、久しぶりに再会できるのを楽しみにしていたこともあったからなのだ。 しかし都合により、遠縁はご遠慮いただき近親者のみとなり、会えなくなったので残念だ。
この親戚の目の前に八木城跡がある。 付近の神社シリーズがほぼ終わり、城跡へと移行しているところで帰り際に山頂だけスナップ。 八木氏は、南北朝の争乱(室町)時代から戦国時代(安土桃山時代)には、但馬山名氏に属して、山名氏の四天王(太田垣、八木、垣屋、田結庄)の一人として、但馬に勢力を誇った。 からにかけての城跡があり、昔から養父郡内における政治的中心地として利用されてきた。

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