戦後処理

歴史の両側(1) 『東京裁判』 学校で教えてくれなかった近現代(55)

サンフランシスコ講和条約で戦争問題は終結している 基調講演に立った渡部昇一氏(上智大学名誉教授)は、次のように発言されました。 「日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判の諸判決を受け入れたが、講和条約とは過去についてこれ以上は問わないというのが原則だ。A級戦犯「平和に対する罪」で禁固7年に処された重光葵は鳩山内閣の外相になり、国連でも日本代表として演説し、そうした重光の死に対して国連では黙祷を捧 […]

独立の回復 学校で教えてくれなかった近現代史(49)

国際連合と冷戦の開始 1945(昭和20)年10月、連合国は、2度の世界大戦への反省に立ち、新たな戦争を防ぐための国際組織として、国際連合(国連)を結成しました。しかし、戦争の芽はなくなりませんでした。東ヨーロッパを占領したソ連は、各国共産党の活動を通じ、西ヨーロッパにまで共産主義の影響を及ぼし始めました。アメリカは、その影響力を封じるため、西ヨーロッパに大規模な経済援助を行い、1949年にはソ連 […]

日本の復興と国際社会 学校で教えてくれなかった近現代史(48)

占領の開始 1945(昭和20)年8月末、アメリカ軍を主体とする連合国軍による日本占領が始まりました。 アメリカの占領目的は、日本が再びアメリカの驚異にならないよう、国家の体制をつくり変えることでした。日本政府は存続しましたが、その上にマッカーサー司令官が率いる連合国軍司令部(GHQ)が君臨し、その指令を二被音声夫が実行しました。 ポツダム宣言にもとづき、陸海軍は解散させられました。外地にいた軍隊 […]

終戦をめぐる外交と日本の敗戦 学校で教えてくれなかった近現代史(47)

空襲の被害 戦争末期、国民は直接、戦火にさらされることになりました。1944(昭和19)年7月、日本の委任統治領だったマリアナ諸島の一つサイパン島が陥落し、ここから日本本土を空襲できるようになったアメリカ軍は、年末から爆撃機B-29による無差別爆撃を開始しました。子どもたちは危険を避け親元から離れた地方の寺や親戚の家などに疎開しました(学童疎開)。1945(昭和20)年3月11日には、東京大空襲が […]

ロシアとアメリカの交渉

ロシアが北方領土への日本側の人道支援を拒否する姿勢を打ち出した背景には、「ソ連崩壊以降の困窮状態を脱し、経済復興を成し遂げたロシアには、もはや支援は不要だ」という自負がちらつく。崩壊したときが交渉のチャンスだったと思いますが、日本政府の外交や緊急時の対応には敏速さが欠けていることに苛立ちます。 ロシアが石油が高騰し崩壊の危機が免れたのですがここにきて石油が値下がりしたことによって、サハリンの開発に […]