但馬の幕末維新

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王政復古と鳥羽・伏見の戦い 学校で教えてくれなかった近現代史(21)

  • 2009.08.21

王政復古の大号令 徳川家茂の死後、将軍後見職の徳川慶喜は徳川宗家を相続しましたが、幕府の自分に対する忠誠を疑ったため、征夷大将軍職への就任を拒んでいました。5か月後の12月5日ついに将軍宣下を受けます。しかし、同月天然痘に罹っていた孝明天皇が突然崩御。睦仁親王(後の明治天皇)が即位しました。 翌慶応3年(1867年)薩摩藩の西郷・大久保利通らは政局の主導権を握るため雄藩連合を模索し、島津久光・松平 […]

小五郎但馬に潜む 学校で教えてくれなかった近現代史(17)

  • 2009.08.21

開国攘夷に傾く 蛤御門の変(禁門の変)が起きる2年前の文久2年(1862年)、藩政府中枢で頭角を現し始めていた小五郎は、これまで通り練兵館塾頭をこなしつつも、常に時代の最先端を吸収していくことを心掛ける。 兵学家で幕府代官江川太郎左衛門から西洋兵学・小銃術・砲台築造術を学ぶ 浦賀奉行支配組与力の中島三郎助から造船術を学ぶ 江戸幕府海防掛本多越中守の家来高崎伝蔵からスクネール式洋式帆船造船術を学ぶ […]

【但馬の歴史】 幕末の但馬(2) 生野の変

  • 2009.08.21

  ↑ それぞれクリックして応援していただけると嬉しいです。 江戸時代後期の文久3年(1863年)10月に但馬国生野(兵庫県生野町)において尊皇攘夷派が挙兵した事件が起きました。「生野の乱」、「生野義挙」とも言います。 1716年(享保元)、生野奉行を生野代官と改称します。但馬は石見・佐渡と並ぶ幕府の三大鉱山として栄えた生野銀山を筆頭に、明延、神子畑、中瀬、阿瀬等の金・銀などを産出する鉱山が各所に […]

【但馬の歴史】 幕末の但馬(1) 池田草庵と青谿書院(せいけいしょいん)

池田草庵と青谿書院(せいけいしょいん) 文化10年7月23日、兵庫県養父市八鹿町宿南に生まれる。青谿書院を開き、子弟教育に励む。但馬聖人と呼ばれた。 ●生い立ち 但馬の生んだ偉大な儒学者(中国の古典を研究する人)であり、教育者の池田草庵は養父市八鹿町宿南に文化10年(1813)7月23日に生まれました。池田家はもともと旧家で、村三役(庄屋・組頭・百姓代)の組頭の孫左衛門の三男として生まれ、名を禎蔵 […]