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第1章 3.ヒボコ出現により塗り替えられた出石のビフォーアフター

2018/09/25
 
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ヒボコ出現により塗り替えられた出石のビフォーアフター

『国司文書 但馬故事記』第五巻 出石郡故事記によると、

アメノヒボコが出石にやってきて、初代多遅麻国造となる前とその後では、出石及び但馬に大きな変化が起きたことが分かる。

第五巻 出石郡故事記は、以下からはじまる。

オオナムチ(国作大己貴命)は、出雲国より伯耆・稲葉(因幡)・二県(二方)国を開き、多遅麻タヂマ(但馬)に入り、伊曾布イソフ(のちの七美郡)・黄沼前キノサキ(のちの城崎郡)・気多ケタ(気多郡、今の豊岡市上佐野、中筋地区・浅倉・赤崎を除く旧日高町・竹野町床瀬・椒)・津(狭津→佐津、のちの美含郡)・藪(養父)・水石(ミズシ、御出石とも記す。のちの出石郡)の県を開く。

(比地、のちの朝来が漏れているが、朝来は当初多遅麻国主の在住地であったので県名を省いたものであろう)

オオナムチと八上姫の間に、ミヅシクシカメタマ(御出石櫛甕玉命)を生まれる。
御出石櫛甕玉命は、アメノホアカリ(天火明命)の娘、アメノカグヤマトメ(天香山刀売命)を妻にし、アメノクニトモヒコ(天国知彦命)を生む。
第1代神武天皇は、御出石櫛甕玉命の子、天国知彦命を(初代)御出石県主とする。
6年(前655年)春3月、天国知彦命は、国作大巳貴命・御出石櫛甕玉命を水石丘に斎き祀り、御出石神社と称しまつる。

式内御出石神社(名神大):豊岡市出石町桐野986
水石神社:豊岡市但東町水石 447)
(元々は御出石県の中心は、豊岡市但東町水石であったと思われる。)

(初代)御出石県主となった天国知彦命は、小田井県主・イキシニギホ(生石饒穂命)(または稲年饒穂命、城崎郡故事記には瞻杵磯丹穂命、美含郡〃には胆杵磯丹杵穂命と記す)の娘、ニギシミミ(饒石耳命)を妻にし、アメノタダチ(天多他知命)を生む。
第2代綏靖スイゼイ天皇6年(実年西暦前32-15年)夏4月、天国知彦命の子、天多他知命を御出石県主とする。
天多他知命は、美伊県主の武饒穂命の娘、福井毘売命を妻にし、アメノハガマ(天波賀麻命)を生む。
第4代懿徳イトク天皇7年(実年西暦1-17)3月春2月 天多他知命の子、天波賀麻命を御出石県主とする。
天波賀麻命は、丹波国造の祖、真太玉命の娘、ユキヨヒメ(幸世毘売命、あるいはサチヨヒメ)を妻にし、アメノフトミミ(天太耳命)を生む。
第5代孝昭天皇40年(実年西暦18-59年)秋7月 天波賀麻命の子、天太耳命を御出石県主とする。
天太耳命は、小田井県主の佐努命の娘、サイビメ(佐依毘売命)を妻にし、マタオ(麻多烏命)を生む。

タニハから分国して多遅麻はヤマト政権下へ

ヒボコが登場するまでの出雲・伯耆・稲葉・二県と多遅麻のすべての県主は同様に出雲のオオナムチ(国作大己貴命)から世襲であった。

ところが、『国司文書 但馬故事記』第五巻 出石郡故事記突如、ヒボコが現れる。「6代孝安天皇53年、新羅王子天日槍帰化す」とはじまり、61年、多遅麻国造として出石県に府が置かれる。ヒボコは御出石県主天太耳命の娘、マタオ(麻多烏命)を妻とする。ヤマト政権であるヒボコと地元の県主の娘との婚姻は、まさに政略結婚である。

6代孝安天皇のころ、ヤマト政権が日本海のタニハ・タヂマをヤマト政権下に組み入れたと考察できる。

これは、播磨風土記にあるアメノヒボコと葦原志許乎命(伊和大神)との国争いが連想される。葦原志許乎命と天日槍命が土地の占有争いをした時、葦原志許乎命の黒葛のうち1本は但馬気多郡、1本は夜夫郡(養父郡)、1本はこの村に落ちた。そのため「三条(みかた)→御形」と称されるという。一方、天日槍命の黒葛は全て但馬に落ちたので、天日槍命は伊都志(出石)の土地を自分のものとしたという。

この説話の背景は、それまでの出雲系が支配していた中国地方から播磨・但馬・タニハのうち、日本海側をヤマト政権が戦わず倭(ヤマト)という大きな国に組み入れたことを語っているようにみえる。奇しくも、出石のヒボコから続いた多遅麻国造は、一度夜夫郡(養父郡)へ遷り、のちに気多郡へ遷ったあと但馬国府まで続く。

第6代孝安天皇53年*1 新羅の王子、天日槍命が帰化する。
天日槍命はウガヤフクアエズ(鵜草葺不合命)の御子、イナイ(稲飯命)の5世孫である。
アメノヒボコ(『日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」)は、八種ヤクサ神宝カンダカラを携え、御船に乗り、秋津州アキツシマ(本州の古名)に来る。筑紫ツクシ(九州北部)より穴門アナト(下関の古名)の瀬戸を過ぎ、針間ハリマ国(播磨)に至り、宍粟シソウ邑(今の宍粟市一宮町)に泊まる。人々は、この事を孝安天皇にお知らせする。
天皇は、すぐに三輪君の祖・オオトモヌシ(大友主命)と、倭直やまとのあたえの祖・ナガオチ(長尾市命)を針間国に遣わし、来日した理由を問うようにいわれた。
ヒボコは、謹んで二人に向かって話した。
「わたしは、新羅王の子で、我が祖は、秋津州の王子・イナイ(稲飯命)。そしてわたしに至り、五世におよぶ。
ただいま、秋津州に帰りたくなり、わが国(新羅)を弟の知古に譲り、この国に来ました。願わくば、一ウネの田を賜り、御国の民となりたい」と。
二人は帰りてこの由を天皇に奏す。
天皇はミコトノリ(天皇のおおせ、命令)して、針間国宍粟しさわ・しそう邑と淡路国出浅いでさ邑とをヒボコに与える。
しかし天日槍は、再び奏してう。
「もし、天皇の恩をいただけるのであれば、自ら諸国を視察し、意にかなうところを選ばせてください」と。
天皇はそれを許された。
ヒボコは、菟道川(宇治川)をさかのぼり、北に入り、しばらく近江国の吾名あな邑に留まる。さらに道を変えて、若狭を経て、西の多遅摩国(但馬)に入り、出島いずしま(*2)に止まり、住処スミカを定める。
ところで、近江国の鏡谷陶人かがみだにのすえとは、天日槍の従者で、よく新羅風の陶器を作る。
さて天皇は、ついに天日槍命に多遅摩を賜る。(但馬を与える)
61年(前332年)春2月、ヒボコを多遅摩国造とする。
ヒボコは、御出石県主ミズシアガタヌシ・アメノフトミミ(天太耳命)の娘・マタオ(麻多鳥命)を妻にし、アメノモロスク(天諸杉命)を生む。

実は「天日槍」(または日矛神)を祭神としている神社は出石神社だけではなく、同じ旧出石郡の桐野にある御出石神社も現在は「日矛神」のみを御祭神とする。また出石郡では2社のみが名神大社(名神大)である。しかし御出石神社は出石神社よりも古く、元々の祭神は日矛神ではない。

『国司文書 但馬神社系譜伝』第五巻 出石郡神社系譜伝によると、

埴野郷 御出石ミズシ神社 出石郡御出石村鎮座
祭神 大己貴命・御出石櫛甕玉命
創建は人皇一代神武天皇6年春3月、御出石丘に鎮座す。この故に御出石県となす。

水石神社

但馬国一宮 出石神社

出石郷 伊豆志坐神社(出石神社) 出石郡出石丘鎮座
祭神 天日槍命・天太耳命・麻多烏命・稲飯命・御出石櫛甕玉命・天国知彦命・天多他知命
人皇七代孝霊天皇40年秋9月、(2代多遅麻国造)天諸杉命は天日槍を出石丘に斎き祀り、且つ八種神宝を納む。

(国史文書編纂者のひとりである)文部経道は、
謹んで案ずるに、古事記は八種神宝をもって『出石八前大神宝』となす。これ児戯じぎに似る見解なり。故に採らず。然りといえども、この日鏡は、天日槍の御霊代となすべく、熊神籬は、稲飯命の御霊代となすべし。その他は、稲飯命の瑞宝なるか。あるいは、また播磨風土記に帰化時代のものと説くをもって疑いあり。故に採らず。この一文は、新良貴氏(朝来主帳)の家伝により記すものなり。

今の出石神社御祭神は

  • 伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ、出石八前大神)
  • 天日槍命(あめのひぼこのみこと)

となっている。

『国司文書 但馬故事記』第五巻 出石郡故事記は、「天諸杉命は天日槍を出石丘に斎き祀り、且つ八種神宝を納む」天日槍命と同等に神宝が祀られているが、『国司文書 但馬神社系譜伝』第五巻 出石郡神社系譜伝に記されている祭神は、天日槍命・天太耳命・麻多烏命・稲飯命・御出石櫛甕玉命・天国知彦命・天多他知命で、2代多遅麻国造となった天日槍命の子、天諸杉命が、「人皇7代孝霊天皇40年、伊豆志八座神を出石丘に斎き祀り、八種神宝を納む」となっている。

伊豆志八座神が祭神であり、八種神宝は納められた神宝である。伊豆志八座神は八種神宝のことではない。数が合わないが、天日槍命・天太耳命・麻多烏命・稲飯命・御出石櫛甕玉命・天国知彦命・天多他知命をさすのだろうか?

『国司文書 但馬故事記』第五巻 出石郡故事記は、御出石櫛甕玉命は但馬の各県を開いた国作大己貴命の子で、出石の祖である。その子孫が御出石県主として天国知彦命(初代)・天多他知命(2代)・天波賀麻命(3代)・天太耳命(4代)と天太耳命の娘でヒボコの妻となる麻多烏命、ヒボコは稲飯命の5世孫とある。

また、御出石神社の今の御祭神は日矛神であるが、実は、御出石神社の元々の御祭神はヒボコではなかったようだ。現在地は豊岡市出石町桐野986であるが、当初は御出石村で、今の豊岡市但東町水石であると思われる。古社地かどうかは分からないが、水石区内には水石神社がある。(そのことを示すように社号標は式内御出石神社)これは度々の洪水によって流失した社を、氏子中である周辺の村々によって現在地に再建したものである。


  • *1 孝安天皇6年 孝安天皇の在位は、実年で西暦60-110年と推察すれば、孝安天皇6年は1年を春と秋に分ける春秋年で今の1年が2年となるから、西暦63年ではないか?!
  • *2 出島 出石の誤記ではないかとも思われるが、だろう
  • *3  清彦 スガヒコ キヨヒコとする場合もあるが、『国司文書 但馬故事記』編集者吾郷清彦氏はスガとヨミガナをふっている。
  • *4 袍(ほう) 衣冠,束帯のときに着る上着
  • *5 惶 音読み)コウ・訓読み)おそれる おそれる。かしこまる。あわてる。あわただしい。
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