/ 9月 26, 2018/ ■作品集, アメノヒボコは日本人?!/ 0 comments

出雲・丹波からやってきた神々

すでに何度も書いているが、拙者は『国司文書 但馬故事記』は偽書だとする立場をとっていない。そのすべてが正しいとは思っていないが、『古事記』『日本書紀』でさえも腑に落ちない箇所はあるし、概ね時代の出来事や神社のいわれ等がこれほど詳細に記された史書は他に例がないからだ。「国司文書」については重複するのでここでは割愛し、詳細は「はじめに『但馬国司文書 但馬故事記』」を御覧いただきたい。

『国司文書 但馬故事記』は、但馬の旧八郡を各郡ごとに気多郡から二方郡まで全八巻で構成されている。その中で「第五巻 出石郡故事記」だけは他の郡ではまったく記されていない天日槍(以下、アメノヒボコ)の出自や代々の多遅麻国造・出石県主となったその子孫らと、屯倉と中島神社、出石軍団に関する三宅氏についてなど、ヒボコ及びその子孫についての詳細な記述がかなりの部分を占めているのが特徴だ。

たとえば「第一巻・気多郡故事記」では、

但馬のクニ(集落国家)誕生は、国作大己貴命くにつくりおおなむちのみこと(大国主)の勅を受けて天照国照彦天火明命あまてるくにてるあめのほあかりのみことが西方し但馬にやって来て、両槻天物部命ナミツキノアマツモノノベノミコトの子、佐久津彦命さくつひこのみことが(気多の)佐々原を開くことからはじまる。

「第二巻・朝来郡故事記」でも、同じく国作大己貴命(大国主)の勅を受けて天照国照彦天火明命が丹波を開いてのち、アメノホアカリは養父郡に入り、比地県(朝来郡の古名)主を任命することから朝来郡がはじまる。

「第四巻・城崎郡故事記」と「第三巻・養父郡故事記」では、天照国照彦天火明命は、天照大神あまてらすおおみかみ

の勅を受けて田庭たにはの真名井原に降り、丹波を開いてのち西方して但馬に入り、豊岡原に降り、御田を開き、真名井を掘り真名井を名づけて御田井おだい(のちの小田井)という。そののち佐々前原ささのくまはら(佐々原と同じ)に至り、佐久津彦命に御田を開かせる。後世その地を真田稲飯原さなだいないはらという(今は佐田伊原という)。

天火明命はまた、天熊人命を夜父に遣わし、養蚕をおこなう。故にこの地を名づけて谿間屋岡原という。天火明命は、佐久津彦命の子、佐伎津彦命に浅間原を開かせる。

時に国作大己貴命・少彦名命・蒼稲魂命は、高志国(越国)より帰り、御出石県に入る。その地を開く。国作大己貴命は「蒼稲魂命と天熊人命と共に協力して国作りの御業を補佐せよ」と教え給う。二神は、天火明命に勧めて、比地の原(のち朝来)を開かせ、垂樋天物部命を比地に就かし真名井を掘り御田を開く。

天火明命は、
御子の稲年饒穂命を小田井県主(のち城崎郡)となし、
その子長饒穂命を美伊県主(のち美含郡)となし、
佐久津彦命を佐々前県主(のち気多郡)となし、
佐久津彦命の子、佐伎津彦命を屋岡県主(のち養父郡)となし、
伊佐布魂命の子、伊佐御魂命を比地県主(のち朝来郡)となす。

「第一巻・気多郡故事記」では、天照国照彦天火明命は国作大己貴命(大国主)の勅を受けて但馬に入るとあるのに対し、城崎郡故事記では、田庭の真名井原に降り、丹波を開いたのは、天照大神の勅を受けてであるが、まず小田井を開いてから佐々前原を開く。但馬にやって来たのが、同じく天照大神の勅を受けてなのか、自らの意思でそうしたかが書かれていないので分からない。

1.但馬国誕生 出石の特異性と最初の大転換期

「第五巻・出石郡故事記」は、

「国作大己貴命は、出雲国より伯耆・稲葉(因幡)・二県国を開き、多遅麻に入り、伊曾布・黄沼前・気多・津(佐津)・籔(養父)・水石(出石)の県を開く。

大己貴命と稲葉の八上姫との子である御出石櫛甕玉命みずしくしかめたまのみことが天火明命の娘、天香山刀売命を娶り、天国知彦命を生み、人皇一代神武天皇は、天国知彦命が御出石県主となす。」

二方郡を除く他の郡が、国作大己貴命は丹波から但馬へやってくるのに、出石郡だけはこの記載がなく、

さて、突如、出石に天日槍が住み着いて初代の多遅麻国造に就く。『日本書紀』では「垂仁3年3月、新羅王子の天日槍が渡来した」とあるが、『国司文書 但馬故事記』第五巻・出石郡故事記には人皇6代孝安天皇61年と記している。

 

但馬のクニと水稲耕作の黎明期

『国司文書 但馬故事記』に異論があるのは承知であるが、ここでは置いといて、その記述からみると、天照国照彦天火明命は国作大己貴命(大国主)の勅を受けて但馬に入ったのは、人皇一代神武天皇誕生直前である。『古代日本「謎」の時代を解き明かす」』 長浜浩明氏は、神武天皇の在位は皇紀ではBC660~BC585の76年間となっているが、これは1年を2年とする春秋年が使われているためで、皇紀を実年に換算すると、BC70~BC33からとしている。

つまり、神武天皇即位のBC70年以前であれば、これは弥生時代中期にあたる。水稲耕作は、紀元前5世紀中頃に、大陸から北部九州へと水稲耕作技術を中心とした生活体系が伝わり、九州、四国、本州に広がったとされる。北部九州へ伝わった水稲耕作技術は約400年経って丹波・但馬へ伝播したことになる。ここで現在の豊岡市日高町である気多郡の最初の田が国府平野など広大な田園地帯があるのに、やや緯度の高い佐々前(今の佐田・道場)なのかだ。おそらくは円山川の豊岡以南から支流の出石川流域はまだ湖沼地帯で、度々氾濫し、人が居住したり耕作地として不適だったと想像できるのである。豊岡市日高町と出石町に水上という地名が今も区として存在しているが、円山川などの水位が今よりも数メートル高かったとも推測する。

条里制によって国府平野から国分寺辺りの円山川流域に水稲耕作が本格的に始まったのは、律令が整備された飛鳥時代後期から奈良時代中期だろう。

以上の通り、アメノヒボコが出石にやってきて、初代多遅麻国造たぢまのくにのみやつことなる前とその後では、出石郡の治世に最初の大変化が起きたことが分かるのと同時に、他の七郡では、ヒボコについては一行たりとも記述がないのだ。

これは、ヒボコ及びその子孫の影響力が出石郡内に限られ、他の郡でははじまりから故事記の記述が終わる人皇49代光仁天皇朝まで国作大己貴命から脈々とその子孫が治め、のち人皇12代景行天皇32年、多遅麻の気多に下った物部大売布命の子や子孫が、多遅麻国造・県主(のち郡司)となっている。

2.三県の大県主 日子坐王(彦坐王)

『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記によると、

第十代崇神天皇十年秋九月、丹波国と若狭の国境青葉山の賊、陸耳の御笠らが群盗を集め民物を略奪した。天皇は、四道将軍のひとりで、彦坐王(第9代開化天皇の第三皇子で、第12代景行天皇の曾祖父である)と、子の丹波道主命とともに丹波に派遣させ、これを討たせる。陸耳は南に向かい蟻道川(由良川の古名と思われる)に至り土蜘蛛匹女を殺す。陸耳は与佐の大山(大江山)にいたが、彦坐王等の追跡に遭い竹野に逃げた。陸耳は大敗して多遅麻黄沼前海に走る。この時、狂の土蜘蛛が陸耳に加わり、再び勢いを増す。ついに御碕の海で賊を滅ぼした。

天皇はその功を賞し、彦坐王に、丹波・多遅麻・二方の三国を賜う。彦坐王は諸将を率いて多遅麻粟鹿県あわがのあがたに下り、刀我禾鹿とがのあわが宮(*1)に居した。姓を日下部足尼くさかべのすくね(宿祢)と賜い、諸国に日下部を定める。

これによって彦坐王は、国造より上の大国主となった。彦坐王が亡くなると船穂足尼命が多遅麻国造となる。大夜父宮に遷る(出石のヒボコの子孫が世襲してきた多遅麻国造が養父郡に遷る)。

陸耳は玖賀耳とも書き、陸(くが)というのは今の北陸地方の名前である。したがって陸耳御笠は陸国くがのくにの王である。この陸(玖賀)国こそ『魏志倭人伝』が伝える、邪馬台国と激しく争っていた狗奴国くなこくに他ならないとする説がある。

以上は、崇神天皇の初期に、四道将軍として、北陸へ大彦命、東海へ武渟川別、西海へ吉備津彦、丹波へ彦坐王(丹波道主命)の4将軍を派遣諸国を平定し、畿内にしか力の及ばなかった大和朝廷が全国規模に拡大した。崇神天皇はまた、戸口を調査し、課役を科し、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に遷し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動したが、垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。

*1 刀我禾鹿宮 禾は本来イネと読むが、禾鹿を粟鹿と同一に記す条が多いことにより、ここではアワと読む。刀我は今の東河であるから、粟鹿(郷)も最初は刀我郷に含まれていたのかも知れない。

3.日本武尊の東夷と大売布命

第12代景行天皇32年(313年)夏6月、伊香色男命の子、物部大売布命は、日本武尊の東夷に従い征伐を賞し、摂津の川奈辺・多遅麻の気多・黄沼前の三県を賜う。大売布命は多遅麻に下り、気多の射楯宮(今の豊岡市日高町国分寺石立)に在り。多遅麻物部氏の祖なり。

神功皇后二年、気多の大県主物部連大売布命の子、物部多遅麻連公武を、多遅麻国造と為し、府を気多県高田邑に置く。(これ以降、律令制により国司が任命され、但馬国府は気多郡に固定する)

第42代文武天皇庚子4年(701年)春3月、二方国を廃し、但馬国に合わし、八郡となす。朝来・養父・出石・気多・城崎・美含・七美・二方これなり。府を国府邑に置き、これを管る。従五位下、櫟井臣春日麿を但馬守となす。

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