南構遺跡(兵庫県豊岡市日高町久斗)について

いただいたパンフレットから

去る10月26日(土)、一般国道483号北近畿豊岡自動車道(八鹿豊岡南道路)の建設に伴い、豊岡市久斗(本籍は祢布)の南構遺跡の現地説明会が行われました。当日告知があったのかなかったのか、それもネットから知って毎日新聞一社のみでした。翌日現地へ行ったみました。

伯耆国庁・国分寺をたずねる


伯耆(ほうき)国庁・国分寺跡

鳥取市から倉吉市へは国道9号線が、鳥取バイパス、青谷羽合道路が開通し、国庁所在地で別の旧国であるが時間的に早くなった。高校時代にまだ国鉄だった頃、同級生3人と香住から夜行の山陰号でどこまで行けるかと乗った。今は時効だろうが最初で最後のキセル乗車である。誰も乗っていない客車で限界を感じて倉吉駅で降りて引き返した。深夜の倉吉駅は遠くて寂しい思いがしたことを覚えている。

鳥取県は倉吉に限らず道路がやたらに多く整備されていて、方向がわからなくなります。しかも、倉吉市周辺は、30年近く前に来た頃とはがらりと様相が違い、商業施設や住宅開発が進み、最近某CMで登場の鳥取の羽合も北栄町も市町境の区別がつきません。

  

国府・国衙・国庁


各令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を「国府」、またその中心となる政務機関の役所群を「国衙」、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を「国庁(政庁)」と呼んだ。

今回の倉吉市訪問は、式内社と国庁裏神社ですが、もちろん国府国分寺跡も関心はあった。伯耆国府・国分寺跡は国庁裏神社を探す途中に偶然に立ち寄った。伯耆国府跡は国道313号(美作街道)の沿いのなだらかな広大な丘陵地にあって自然がよく残っていて壮観です。但馬国府の住人として、国府と国分寺は関心が湧いて、これまでに丹後、因幡、若狭(丹後は国分寺跡、若狭は博物館のみ)をまわりました。

また、話が脱線するが、欠くことができないのは豊岡と倉吉は山名氏に縁が深いということであろう。伯耆は南北朝時代、足利尊氏に属して伯耆守護になった山名時氏の代からである。時氏は難しい時代を生き抜き、伯耆を含めて因幡・丹波・丹後・美作五ケ国の守護職を兼帯する大勢力に成長した。時氏の死後氏清の時、山名氏は勢力を拡大し、ついには室町時代の日本全国六十八州のうち六分の一にあたり、山名氏は「六分一殿」とか「六分一家衆」と呼ばれる大守護大名になった。

山名氏の強大化に対して危惧を抱いた室町三代将軍足利義満は、その勢力の削減を謀るようになった。あたかも、山名氏内部で惣領と庶子家の対立が生じ、それを好機とした義満の策謀によって山名惣領の時熙は没落、代わって氏清・満幸らが山名氏の主流となった。しかし、義満はさらに山名氏の勢力削減を図り、その挑発に乗せられた氏清・満幸らは明徳の乱を起こして没落、山名時熙が惣領に返り咲いたものの但馬・伯耆・因幡三国の守護職を保つばかりとなった。山名氏は時熙のあとを継いだ持豊(宗全)の代になると、但馬・備後・安芸・伊賀・播磨の守護職を与えられ、着実に勢力を回復していった。宗全は、城崎城・九日市城を詰め城とする九日市(豊岡市九日市)の丘陵に広大な守護所を構えたとされている。1467年(応仁元年)には応仁の乱の勃発に至った。この時、宗全は西軍の総大将として同じく東軍総大将の細川勝元と戦ったが、乱の最中である1473年(文明5年)に宗全は病死する(同年に勝元も急死)。そんなこんなで守護として最初の領地が伯耆であり、宗全が本拠とした国が但馬(豊岡市)なので、豊岡市と倉吉市は姉妹都市となってもよいような間柄なのであると勝手に思っている。(^^ゞ

主な国衙遺跡には、武蔵国衙(府中市)、周防国衙(防府市)、伯耆国衙(倉吉市)、常陸国衙(石岡市)、近江国衙(大津市)、土佐国衙(香美市)などがある。これらの国衙遺跡から、各国の国衙区画プランにいくつかの共通点があることが判っている。

伯耆国庁跡は、伯耆大山を西に望む久米ケ原という丘陵にある。あたりは一面の草地で、農道の脇に史跡の説明板が一つ立つだけだ。国庁の範囲は、張り出し部を含めて東西が324メートル、南北は227メートル。儀式を行う内郭(政庁)と実務を行う外郭(官衙(かんが))が確認されている。この遺跡の北東には、国府に関連する法華寺畑遺跡と不入岡(ふにおか)遺跡があり、2000(平成12)年に3つの遺跡をまとめて、「史跡・伯耆国府跡」と名付けられた。 平安時代、律令制によって各地に置かれた国府は、地相の面で一定の条件を求められていた。「東に川、西に大道、南に窪地(くぼち)、北に山」。いわゆる四神相応(しじんそうおう)の地で、これが当時、最も尊い地形とされた。 伯耆の国庁はまさに四神相応の地にあった。北に四王寺山、東に国府(こう)川、南には低湿地、西には道がある。1970年代の調査でこの遺跡が確認されたとき、専門家をさらに驚かせたことがあった。周辺は都市化を完全に免れており、古代さながらの景観を保っていた。「国府の遺跡としてきわめて貴重」という評価を得たのは当然である。現在、法華寺畑遺跡と国分寺跡は歴史公園として整備されています。

伯耆国分寺跡

国庁跡にほぼ隣接しており、近い位置に伽藍配置がよく残っている。天平13年(714年)聖武天皇の発願により全国の国ごとに造営された国立の寺院跡です。寺域約2.9ヘクタール、東西182m、南北160m。主要建物の遺構は、南門、金堂、講堂、塔などがあります。

歴史的発見!卑弥呼の居館か

卑弥呼の居館か 奈良・纒向遺跡から3世紀前半の建物跡が出土
産経IZA 2009/11/10 21:27
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡など2棟が見つかり、市教委が10日、発表した。倭国の女王、卑弥呼が活躍した時代(2世紀末~3世紀前半)とほぼ一致。中国の歴史書・魏志倭人伝には「卑弥呼の宮室(宮殿)は楼観や城柵(じょうさく)を厳かに設け」と記され、卑弥呼の居館の可能性が浮上し、邪馬台国畿内説をさらに有力にする一級の資料になりそうだ。
石野博信・香芝市二上山博物館長(考古学)の話 「建物の大きさだけでなく、建物群の中心軸が東西一直線に並んでいる点がすごい。これほど計画性のある建物群の遺構が見つかったのは古墳時代を通じて初めてだ。外郭もあり、復元されたら壮観だろう。祭祀(さいし)空間なのか政治空間なのかは現段階では分からないが、卑弥呼の館の可能性はある」

石野博信氏は兵庫県立考古博物館の銅鐸の講演と実験で存じている。
かねてから付近に箸墓古墳があり、纒向(まきむく)遺跡は広大な遺跡跡なので邪馬台国九州説もあるが、国内最大規模の大型建物跡などが東西一直線に並んでいる点からほぼ間違いない。邪馬台国もヤマトの当て字だ。九州に倭国のひとつがあったことも確かだから、時代から中央王権が置かれていた場所であることは間違いないとされてきた。
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【たじまる】 箕谷(みいだに)古墳群


兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷

昭和58年(1983)度から59年度にかけて、兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷で公園整備のため行われた箕谷古墳群の発掘調査により、須恵器、金環3点、鉄鏃・馬具等の鉄製品、鉄刀など103点の遺物が出土しました。
八木川下流域左岸の谷奥に立地し、2号墳は東西12m、南北14mの円墳であり、長さ8.6m、幅1.2m、高さ1.7mの横穴式石室。出土した須恵器により、6世紀末から7世紀初旬に築造されたと考えられており、出土状況から2回以上の追葬が行われたとみられています。

3号墳は3段の列石を巡らせた円墳で兵庫県下でもこれだけです。2、3、4号墳(直径7mの円墳)、5号墳(直径6mの円墳)の4基の古墳が現地保存され、平成4年(1992)12月18日に「箕谷古墳群」として国の史跡の指定を受けています。石室はすべて谷の入り口方向である南に開口するよう規則的に造られています。そして2・3・4・5号墳と順次標高の低い方から高い方へ築かれています。時期が新しくなるにつれて墳丘・石室が小規模化しているのが特色で、この時期の古墳の変遷過程をよく示しています。

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自然のたからもの ~丹波竜&コウノトリに会おう!~

NHK神戸のニュースよりです。
兵庫県では、丹波市で日本最大級の恐竜化石発掘と、豊岡市で放鳥された国の特別天然記念物であるコウノトリの野外における孵化・巣立ちなど、兵庫県の身近な自然の素晴らしさにあらためて気付かされるニュースが相次ぎました。これらの地域の話題を中心に、人と自然のつきあい方、豊かな自然環境の再生と地域づくりなどを考える展覧会を開催します。
本展は、発掘された丹波竜の化石、コウノトリの剥製から、恐竜のレプリカ・模型、コウノトリの餌となる自然の生き物などの展示、そしてNHK制作の映像、ギャラリートーク、ワークショップなども織り交ぜ、家族全員で自然について楽しく学んでいただきます。
主催 NHK神戸放送局、NHKプラネット近畿、共同通信社、全国地方新聞社連合会
共催 兵庫県立人と自然の博物館、兵庫県立コウノトリの郷公園
協力 兵庫県丹波市、兵庫県豊岡市
後援 兵庫県教育委員会、神戸市教育委員会
会期 平成21年1月7日(水)~1月12日(月・祝)<6日間>
<入場時間>午前10:00~午後8:00 ※最終日は午後6:00まで
会場 大丸神戸店9階特設会場
住所/兵庫県神戸市中央区明石町40番地 電話:078-331-8121
ワーク ショップ
ワークショップ(各日2回・①午後1時~ ②午後3時~) ※参加対象:小学生
平成21年1月10日(土)
化石から恐竜の姿を描こう!  講師・・・徳川広和さん(恐竜・古生物造形作家)
平成21年1月11日(日)
コウノトリの大きさを体感しよう!  講師・・・コウノトリの郷公園
平成21年1月12日(月・祝)
化石のレプリカ作り  講師・・・人と自然の博物館
※参加ご希望の方には、各日10時から当日2回分の整理券を配布します。(定員:各20名程度)
丹波竜のちーたん・コウノトリのコーちゃんや、「ダーウィンが来た!」のヒゲじいとの写真撮影会も行います!
入場料 無 料
問い合わせ
大丸神戸店 電話:078-331-8121
NHK神戸放送局 電話:078-252-5000(平日/午前9:30~午後6:00)

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【たじまる】 「詩経」の木簡、国内初出土

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写真:読売新聞

今朝の地元紙である神戸新聞にトップで載っていました。
ネットで調べるとほとんどの全国紙にも載っていました。
中国最古の詩集「詩経(しきょう)」に触れた木簡が国内で初めて出土し、同時に二百二点の木簡が見つかり、一つの遺跡では県内最多、全国でも二、三番目の数だそうです。
祢布ケ森遺跡では一九八六年から十六点の木簡が見つかっていた。一つの遺跡で出土した木簡数では、下野(しもつけ)国府(栃木県)の約五千五百点に次ぎ、阿波国府(徳島県)の二百五点に並ぶそうです。 出土した木簡のうち約二十点は、七月八日まで遺跡近くの但馬国府・国分寺館で特別公開されます。
TEL0796・42・6111 (6/20 21:33) 神戸新聞 つづいて 九九を何度も練習したような木簡も見つかったそうです。
神戸新聞 (6/21 08:48)

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