姫路市内の式内社を投稿しました

放送大学姫路サテライト面接授業「姫路城の歴史」の合間に、近くの式内社を廻って来ました。というより、それも目的の一つでしたが、あと旧飾磨郡では村岳神社とあと2ヶ所が残ってます。

  


式内社 白国神社(兵庫県姫路市白国)   式内社 射楯兵主神社(兵庫県姫路市総社)


姫路護國神社

播磨

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式内社 赤淵神社(朝来市和田山町枚田)を投稿しました

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式内社 赤淵神社(朝来市和田山町枚田)を投稿しました。

但馬國式内社131座めぐりも、ついにここ赤淵神社が最後になった。正しく言えば、古社地から新しく移転した場所が分からずいけないままの神社や熊が出るとかいわれて社殿まで行けなかったのは、あと4社残っているが。。。

養父市・朝来市の式内社をアップしました

養父市広谷から県道70号線に入り建屋から八代トンネルを抜けて朝来市の山口村周辺の式内社

式内社 社内神社(養父市森)

式内社 斎神社(養父市長野)

式内社 足鹿神社(兵庫県朝来市八代)

式内社 佐嚢神社(兵庫県朝来市佐嚢)

式内社 倭文(しどり)神社(朝来市生野町円山)

を投稿しました。

旧城崎郡の式内社めぐり

6時に豊岡市上佐野の雷神社をめざし出発。早朝は涼しく快適です。詳しい説明は丹国拾遺抄(ギャラリー)に神社毎に記すとして、まずは巡った式内社を順番にあげておきます。

気多郡狭沼郷

雷(いかづち)神社 「奧津彦命、奧津姫命、火結神」
名神大 兵庫県豊岡市上佐野稲場542-2

城崎郡城崎郷

深坂(みさか)神社 「寄日方命」 式内社 兵庫県豊岡市三坂字見手山76-1
豊岡藩主京極家御陵地
家老石束家墓地

嘉麻土(かまど)神社 「奥津日子命」 式外社 豊岡市上陰イナバ395-1

奈佐郷(豊岡市五荘地区)

久麻(くま)神社 「熊野忍隅命」 式内社 兵庫県豊岡市大字福田大門196
布久比(ふくひ)神社「岩衝別命」 式内社 兵庫県豊岡市栃江一ノ宮60
九龍神社 式外社 兵庫県豊岡市栃江

城崎郡田結郷大濱庄

小江神社(おえ)「豐玉彦命」式内社 兵庫県豊岡市江野1452
※天然記念物に指定された高さ三十米、目通り四米の大ケヤキがあり、樹齢三〇〇年と推定される。

美含郡竹野郷(豊岡市竹野町)

桑原神社(くわばら)「仁布命」式内社 兵庫県豊岡市竹野町桑野本字稲蔵
※県下一の大イチョウ
桑原神社(くわばら)「稻倉魂神、大己貴命」式内社 兵庫県豊岡市竹野町森本苗原463-1
色来神社(いろく)「國狹槌命」式内社 兵庫県豊岡市竹野町林宮ノ谷1236-1
阿古谷神社・森神社「大山祇命、八幡大神」式内社 兵庫県豊岡市竹野町轟字轟356-1
鷹野神社(たかの)「武甕槌神 配 天穗日命、天滿大自在天神 合 須佐之男命、建御雷命、伊波比主命、五男三女神」式内社 
兵庫県豊岡市竹野町竹野馬場町84-1

城崎郡田結郷気比庄

西刀神社(せと)「西刀宿袮」式内社 兵庫県豊岡市瀬戸字岡746
桃島神社(ももしま)「大加牟豆美命」式内社 兵庫県豊岡市城崎町桃島宮脇1339-1

城崎郡田結郷灘

久流比神社(くるひ)「闇御津羽神」式内社 兵庫県豊岡市城崎町来日ロ587-2

以上13社

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春来峠から湯村温泉の式内社


式内社 面沼神社 新温泉町竹田
旧八太郷社
二方郡総社だった古社
面沼は「めぬま神社」だが延喜式神名帳には「面沼メヌ」とふってある。

御祭神 倉稻魂命 美尼布命 天穗日命
配祀 保食命 稚産靈命
合祀 天神地祇 伊弉諾命 伊弉册命 素盞嗚

国道9号と岸田川を浜坂へ行く県道47号線交差点北。車で行くには旧道へ。

玄松子さんによれば、
鎮座地の字は、米持(めじ)といい、
当社の鎮座する山麓の丘は面治山と呼ばれており、米持大明神とも、面治(めじ)大明神とも称していた。
しかしながら、延喜式に「面沼」と誤記された結果明治三年六月に、面沼神社と改称したらしい。


雪深い温泉町の拝殿・本殿は老朽化が激しいこともあるのだろう。覆屋で包まれているのが特徴。


八幡神社 新温泉町湯
全但バス湯村営業所の道を挟んだ反対側。井筒屋さんの前といった方が分かりやすいかも。


拝殿

国道9号を鳥取方面へゆく。大きな峠が数カ所あるが、なかでも春来峠は最大の難所のひとつで、昭和50年12月にバイパストンネル(春来トンネル:全長1,696m)ができるまでは、村岡町和田から丸味・春来峠を越えて湯村温泉に通じる山陰と山陰と山陽・京阪神をつなぐ国道9号の峠として、日に4000台の車が越えたと言われる兵庫県を代表する峠の一つだった。子ども時代にバスに乗ってこの峠を越え標高さのあるくねくねとカーブの続く坂道を通った記憶があるが、何十年ぶりに今回は新温泉町歌長(湯谷)から春来の神社を訪ねるために通ってみた。国道だった二車線道路は現在は兵庫県道561号湯谷和田線となっている。

柤岡へつながる道が県道上にほぼ平行に走る。車ではそば屋さん「てっぺん」のあるところから入る。県道入口から「てっぺん」という案内板があちこちにあるので目印になる。


町営春来バス停と春来集落の中心部


五社大明神(春木神社)

春来小学校脇に参道があった。春来小学校は平成22年閉校。
さて、春木神社という名称はなくなり、「五社大明神」と呼ばれていてる。ここではないかと思ったが、年の為に畑仕事から帰りのような通りかかった地元のご老人に聞いたところ、春来の神社はここだけで、子どもの頃から五社大明神と呼んでいたといわれた。
五社とは祭神 天照皇大神、伊弉諾命、伊弉册命、大己貴命、少彦名命のことである。一説に「波比岐命、天穂日命」との説がある。


参道

五社大明神は、春来地区の柤岡へつながる道から石段が続く最高部に鎮座する。


社殿 日中は明るいが境内は木々に囲まれてうす暗い。でどうしても逆光になってしまう。


湯村温泉の中心部を流れ岸田川に合流する春来川は、この春来字湯谷を発する。春来から尾根伝いに柤岡(けびおか)へ、また村岡側の隣の丸味から柤岡へ道(県道265)がつながる。照来(てらぎ)は照来小学校や郵便局などがあり高原地帯で集落も多く、太古は山陰道ではなかったかと思われる。春来神社以外に式内社はないので照来地区の信仰も集めていたのであろう。


春来峠頂上付近 標高:431m

子ども時代に観光バスに乗ってこの峠を越えた記憶はこの辺りだと思う。くねくねと狭いカーブを幾重にも登っていくのが、すごく印象に残っている。


丸味集落の下から村岡方面

和田線は右にカーブしているが、長楽寺・但馬大仏への新しい立派な橋がかかっている方から帰る。ここから先は大仏が完成した時に来たことがある。


長楽寺 但馬大仏

神社の詳細は、「丹国拾遺集」にまとめることにする。

静神社(しずかじんじゃ)・子午線塔

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日本標準時 最北端の塔

静神社に向かう途中、最北に子午線塔が建てられています。東経135度 北緯35度41分

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京丹後市網野町磯
御祭神 静御前

当地で禅師の娘として生まれたとされる静御前は、父の死後、母とともに京都へ上り白拍子となりました。その後、舞を源義経に見そめられ、側室となりました。しかし義経は兄・頼朝に追われ、子どもも殺されてしまいます。

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悲しみにくれ故郷の磯に戻った静御前は、二十余歳の若さでこの世を去りました。義経への愛を貫いた静の気丈さ。それをはぐくんだ故郷・磯には、静御前をまつる静神社が悲恋の面影を残すかのようにひっそりとたたずんでいます。また、周辺には静の庵跡に建つ静御前生誕の地の碑、義経が船を着けたといわれている入艘の浜と沖の飛び岩があります。

 

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【京都散策】 晴明神社

  
安倍晴明を祀る人気の神社 一の鳥居    二の鳥居

晴明神社は晴明公の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた拠点であった場所です。

晴明公が亡くなられた後、一条天皇は晴明公の遺業は非常に尊いものであったこと、そして晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで寛弘4年(西暦1007年)、そのみたまを鎮めるために晴明神社を創建されたのです。

古い資料によれば東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売という広大な地域が神社の土地であったとされています。ところが、応仁の乱の後豊臣秀吉の都造り、度々の戦火によってその規模は縮少。そして、古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。そこで、地元の氏子が中心となり各式年祭、つまり嘉永6年、明治11年、明治36年、昭和3年に整備改修が行われました。また昭和25年には多年の宿望であった堀川通に面する境内地を拡張するなど御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。

晴明神社由緒より

天日鉾に関係のある神社を訪ねて

敬老の日です。

「但馬乃国伝説」の作成のために、国府・中筋から出石郡の神社をまわってきた。


伊福部神社は、出石町中村にあった。ここは縮軍演説で有名な斉藤隆夫氏が生まれたところで、静思堂が建てられている。その前に伊福部神社が建っている。
なかなか格式のある古社だ。伊福部とは、製鉄のふいごを吹く部で、近くに鍛冶屋という地名があり、製鉄に関係した部民が生活していたのだろう。

日高町にもかつては伊福(イフ・いう)村があったし、気多は鉱山が早くから発見されていた土地だから、かつてこの辺りも砂鉄が採れたのかも知れない。


日出神社

また丹後加悦に抜ける道筋で、日本海に抜けて丹後に、また朝鮮半島につながる。

少し奧には天日鉾に関係のある日出神社がある。なかなか古い社殿が残っている。
出石郡はなかなか興味が深まるので、今後も研究してみたい。

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